日本語と日本文化


三輪山にいます神


古事記では、神武天皇以後八代の天皇については極めて簡略で儀礼的な記述しかない。そのことから、これらの天皇の実在性が疑われることともなった。専門家にはこれを欠史八代と呼ぶものもある。ところが記述は、十代目の崇神天皇に至って俄然迫真性を帯びる。というのも、崇神天皇は「初国知らしし御真木の天皇」(古事記)と呼ばれる通り、天皇家の始祖王として認識され、したがって実在性にも疑いがもたれていないからである。

崇神天皇(ミマキイリヒコ)から、垂仁天皇(イクメイリヒコ)、景行天皇(オホタラシヒコ)と続く初期の王権を、崇神王朝とか三輪王朝と呼んでいる。恐らく三世紀半ばから四世紀初頭にかけて、奈良県の三輪山山麓を根拠にして、大きな勢力を振るい、そこから全国統一を狙っていたのではないかと考えられるのである。

その三輪山に鎮座するのがオホモノヌシである。このオオモノヌシが三輪山に祀られるようになった所以を、古事記と日本書紀が、それぞれニュアンスの違いを伴いながら語っている。

古事記では次のようになっている。スクナヒコナとともに国造りに励んだオホクニヌシが、スクナヒコナが常世の国に去って後、大層嘆き悲しんで、「吾独り何にかよくこの国を得作らむ。孰れの神と吾と、能くこの国を相作らむや」と思っていたところ、海を光らせて寄り来る神があって、「よく我が前を治めば、我能く共与に相作り成さむ」といった。そこでオホクニヌシがどのように治め奉ったらよいか尋ねたところ、「吾をば倭の青垣の東の山の上に拝き奉れ」と答えたという。

ここでは素性の知れぬ神がオホクニヌシのもとに現れ、自分を大和の三輪山に祀れと言っているだけで、その神が、オホクニヌシとどんな関係にあり、また何故大和の地に祀られることを望んだか、その理由は明らかにされていない。ただ、三輪山王権が樹立された大和の地にも、オホクニヌシの影が落ちているということだけが、暗示されているのみである。

ところが、日本書紀では、この部分はもっと詳しく書かれている。古事記と違って出雲神話を排除している日本書紀にして、この部分だけを取り上げているには、其れなりの理由があったのだろう。

それを指摘したのは、神話学者の三浦佑之氏である。氏はまず日本書紀第八段一書第六の記事に着目する。すなわち、スクナヒコナに去られたオホナムジのもとに、「神しき光り海に照して、忽ちに浮かび来る者」があったので、オホナムジが素性を尋ねると、「吾はこれ、汝が幸魂奇魂なり」との返事があった。そこでオホナムジが、「唯然なり。すなはち知りぬ、汝はこれ、我が幸魂奇魂なり。今何処にか住まはんと欲ふ」と重ねて尋ねたところ、オホナムジの幸魂奇魂は「日本国の三諸山」に住まんと欲ふと答える。日本国の三諸山とは大和の三輪山のことである。

日本書紀のこの記事は、オホナムジの幸魂奇魂が大和の三輪山に祀られたということをいっているわけだが、しかしそのことから即、オホナムジの分身こそが大和の地を守護しているだと読むのは難しいと氏はいう。だが、オホナムジに代表される出雲の文化が、三輪山にいます神を通じて大和の文化とかかわっている可能性も否定できない。

この三輪山に祀られたオホナムジの幸魂奇魂がオホモノヌシとして登場するのは崇神期七年のことである。何故当初はオホナムジの幸魂奇魂とされていたものが、途中からオホモノヌシに変ったのか、そこのところはよくわからないと氏は言う。オホモノヌシと呼ばれる三輪山に居ます神と、オホナムジの幸魂奇魂とされたものとはもともとは別々のものだったのが、途中から一体のものとされたのではないかと氏は推測するのだが、この両者の間を結ぶ意図はもつれていて、なかなか明確な像が見えてこないようだ。

こうした途中経過を脇へ置いてみると、天皇家の定着した大和の地には、天皇家にとって外的な神がもともと鎮座していたという推論は成り立つ。天皇家はその土着の神と宥和することによって、大和の地に定着できた、そうも考えられるのである。

さて、三輪山の北山麓には崇神天皇陵と考えられている行燈山古墳があり、そのすこし南側には景行天皇陵と考えられている渋谷向山古墳がある。崇神天皇が支配の拠点にしたという師木の水垣宮は、大神神社のすぐ南側にある。

崇神天皇の記事を読むと、この天皇が祭祀王としての性格を強く帯びていることがわかる、と氏は言う。たとえば、次のような記事である。

「この天皇の御代に、役病多に起こりて、人民死にて尽きむとしき。ここに天皇愁ひ嘆きたまひて神床に坐しし夜、大物主神、御夢に顕はれて曰りたまひしく、こは我が御心ぞ、故、意富多多泥古をもちて、我が御前を祭らしめたまはば、神の気起こらず、国安らかに平ぎなむ、とのりたまひき」

つまりここでは、天皇は寝ながら、即ち憑依状態にありながら、神のお告げを蒙るシャーマンの役目を果たしているわけである。天皇が蒙った神のお告げに従って、それを神主を通じて実現する、そうすることで疫病が収まる、そういう構図が成り立っているのがわかる。

崇神天皇の持っていた霊的な能力は、他の天皇の記述からもうかがえる。そのことから、日本の天皇制は、その初期においては、シャーマニズムと強く結びついていたと推測される。




  
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