日本語と日本文化


神功皇后(荒ぶる女帝)


日本の神社の中でも、もっとも多くの末社を抱え、規模が大きいとされる八幡神社は、応神天皇とその母君神功皇后を祭神として祀っている。昔から武運の神とされ、源頼朝はじめ武将たちの篤い信仰を集めてきた。また、蒙古襲来や外国との戦争の際には、国家鎮護の切り札ともなってきた。その背景には、両神とりわけ神功皇后の業績に対する、民衆の畏怖と尊敬がある。

神功皇后については、実在説、非実在説が並立しているように、わからない部分が多い。記紀には、摂政として60数年間、国の政を行ったとあり、また、新羅に出兵して三韓を平らげたとある。その征服者としてのイメージが、後に八幡信仰に結実したのであるが、神功皇后の実像自体は、深い謎に包まれたままである。

確からしくいえることは、神功皇后が巫女であったということである。古事記には、神功皇后が神の意思として告げた託宣に、仲哀天皇が従わなかったために、天皇が神罰にあたって死んだとある。皇后が巫女の役割を果たすというのは、後世の人の目には奇異に映るが、古代の天皇制においては、天皇の権威を側面から高めるために、皇后が巫女として、神託を垂れる役割を果たしていたらしいのである。

巫女といえば、まず思い起こされるのは、かの卑弥呼であるから、神功皇后を卑弥呼に比定する見方も生まれた。卑弥呼を超えて、天照大神に比定する見解までもが現れた。日本の天皇制を、女の力の視点から捉え直そうという試みである。

これらは極論であるにしても、古代天皇制において、巫女が重大な役割を担っていた事を、深く考えさせるのである。

次に、神功皇后の新羅出兵の意義について、記紀は神のお告げによるものだといっているが、真相はどうだったのかという、問題が残る。

四世紀の後半に、日本が朝鮮半島に出兵したことは、広開土王碑文など朝鮮側資料にも示されているので、歴史的事実として、ほぼ間違いがないと思われる。だが、日本が三韓を属国化したという主張には、十分な裏づけが得られていない。このような中で、神功皇后はどのような役割を果たしたのか。

記紀の記述によれば、皇后は仲哀天皇が死ぬと、葬儀を行うこともなく、直ちに新羅に向かった。そこまで皇后を駆り立てたのは、どんな事情だったのか、興味は尽きないのである。

中哀天皇の死後、応神天皇の即位までの60数年間、日本には天皇が不在だった。これを大空位時代と呼ぶ。この間は神功皇后が君臨するのであるが、何故かくも長期にわたり空位の状態が持続したのか、ここにも大きな謎がある。

記紀には、仲哀天皇が死んだとき、神功皇后は既に天皇の種(応神天皇)を宿していたとし、新羅征伐から戻った直後に出産したとある。もし、そのとおりだとすれば、その数年後には、応神天皇が即位しても不思議ではない。むしろその方が自然というべきである。にもかかわらず、大空位時代は長く続いた。その理由はなんであったのか。

このことは、様々な憶測を呼んだ。

まず、応神天皇が仲哀天皇の嫡子だというのは、作り事ではないかというものである。日本書紀の記述どおりとすれば、応神天皇は69歳で即位し、さらにその後41年間在位したことになる。古代の天皇の寿命は、時に誇張されることがあるので、このことのみを以て不自然とはいえないが、応神天皇は仲哀天皇の死後、だいぶ経ってから生まれたのではないかという憶測に、傍証を与えるのである。

仲哀天皇の死にも謎が多い。日本書紀は病気で死んだとも、あるいは熊襲との戦いの最中、矢に当たって死んだとも書いている。古事記のほうは、神功皇后を通して託宣された神意に従わなかったために死んだと書いてある。この天皇はヤマトタケルの子であるとされているが、その辺も人の想像力をくすぐる。

新羅征伐における神功皇后の姿は、勇ましい限りである。そこから、神功皇后の軍神としてのイメージが定着した。それにしても何故、女性が軍神となるのか。

アマテラスオオミカミを始めたてまつり、日本の神話は女の力に満ち満ちている。それにしても、戦の神の役まで女性に担わせるとは、面白い国民性だといえるかもしれない。いづれにしても、神功皇后は、歴代の天皇の中で、神性を帯びた最後の君主であった。


    


前へHOME日本神話次へ

  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである