日本語と日本文化


神武東征


日本の神話は、神武天皇以降人代に入る。最初の人皇とされる神武は、天孫の直系の子孫として、また大和王権の創立者として、わが国の歴史においては、巨大な存在といえるのであるが、その事跡をめぐっては謎が多く、後世の人々の想像力を駆り立ててきた。

神武天皇にかかわる記紀の記述は、比較的あっさりとしており、東征の結果、大和の橿原で即位したということにつきる。東征の過程においては、熊の霊力にあたって全軍が眠らされたり、タケミカズチが天上から投げてよこした刀によって勝利をさずかるといった、超自然的な逸話も出てくるが、戦いの叙述は淡々としている。スサノオやオオクニヌシにみられる神話的な霊力はもとより、後のヤマトタケルにみられる英雄的な色彩も、あまり感じさせぬ。

記紀を虚心に読む限りにおいては、カムヤマトイワレヒコのなしたことは、九州の高千穂を出発して、海伝いに東へと向かい、大和地方に跋扈していた土民を退治して、畿内の王ともなったということである。

そこで、カムヤマトイワレヒコが、何故東征に立ち上がったのかという問が生まれた。

学者の中には、古代の日本には、対立するいくつかの地域的な勢力があって、そのなかから、九州に根拠を置いていた勢力が畿内の勢力と戦って勝った結果、畿内を新たな中心地として統一国家を樹立したのであろうと推論するものもいる。カムヤマトイワレヒコは、九州の王として、畿内の勢力と戦い、日本の覇者になったのではないかというわけである。

もし、大和にあった勢力がそのまま統一国家を樹立したのなら、神武東征のような説話は余計なものだったろう。また、日本の神話の体系の中で、天孫降臨の地を、わざわざ大和以外に求める必要もなかったであろう。

というわけで、神武東征は、日本の王権の起源について、さまざまな問題を投げかけているのであるが、真相はいまだ謎のままである。

神武天皇が大和の橿原で即位したのは、西暦紀元前660年のことだとされている。聖徳太子も、暦の理法にもとづいてそのように主張していたとされる。古事記の成立以後は、当代から古事記の記述にある各天皇の在位年数を遡ることによって、この数字が正当化されもしたようである。

しかし、そうだとすれば、神武天皇は137年生きたことになり、崇仁天皇の如きは168年生きたことになる。何故こんなことにこだわるかといえば、この国においては、つい最近まで、記紀の記述が史実として喧伝されていたからなのである。

ともあれ、神武天皇については、架空の人物だとする説と、実在の人物だとする説とが並立していて、いまのところ定説を得ない。


    


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