日本語と日本文化

辟易賦:成島柳北讒謗律を風刺す


成島柳北の奇文「辟易賦」は明治8年8月17日の朝野新聞に掲載された。この年の6月に讒謗律と新聞紙条例が施行され、政府はさっそくそれを適用して、末広鉄腸らの新聞人を弾圧し始めたので、成島柳北はこの文を作って、政府を痛烈に批判したのである。

題名も内容も、言うまでもなく蘇軾の名文「赤壁賦」をもじったものだ。当時のインテリの間では、蘇軾は教養の一部となっていたから、その文のパロディは痛烈な効果を持ったに違いない。

一字一句赤壁賦を踏まえ、しかも風刺としてきわめて効果を挙げている。是非原典と読み比べることをお勧めする。

「乙亥之秋八月既望社主僕ト机ヲ並ベテ燭台ノ下ニ集ル。投書頻リニ来タツテ編集終ラズ。紙ヲ展ベ筆ヲ握ツテ讒謗ノ律ヲ調ベ條例ノ文ヲ誦ス。少焉(シバラク)アツテ汗両腋ノ下ヨリ出デテ横腹ノ邊(アタリ)ニ沾滴(シタタル)ス。心配胸ニ横ワリ困苦肝ニ銘ス。一身ノ置キ所ヲ失ヒ万事ノ茫然タルヲ覚ユ。慄々(ゾクゾク) 乎トシテ邪ヲ受ケ風ヲ引キ其ノ寝タ所ヲ起コサルヽガ如シ。惴々(ビクビク)乎トシテ一生懸命軽業デ綱渡リスルガ如シ。是ニ於テ筆ヲ投ジテ嘆クコト久シ。机ヲ敲イテ之ヲ歌ウ歌ニ曰ク。猫ノ説狸ノ話空論ヲ出シテ流行ニ連レル。漸々(ヨウヨウ)ニシテ予レ凌ギ。贔屓ヲ国ノ四方ニ望ム。僕ニ法螺ヲ吹クノ癖有リ。口ニ任セテ之ヲ書ク。

「其事曖昧然トシテ眠ムルガ如ク酔フガ如ク魘(ウナサ)ルヽガ如シ。其種少々ニシテ絶エザル糸ノ如シ。幽霊ノ虚説ヲ録シ情死(シンジウ)ノ痴情ヲ記ス。社主愀然トシテ眉ヲ顰(ヒソ)メ小声デ僕ニ問フテ曰ク何為レゾ其困ルヤ。僕ノ曰ク罪重ク罰速カニシテ末廣家ニ蟄ス是日新堂ノ咎ニ非ズヤ。北日報ヲ望ミ。東報知ヲ望メバ。双方相ヒ並ンデ鬱々トシテ悄々(シホシホ)タリ。是レ編者ノ分聴ニ呼バレタル譯(ワケ)ニ非ズヤ。其ノ刑事ニ及ビ口供(クチガキ)ヲ奉リ。仰セニ従ツテ下(サ)ガルニ至テハ。罰金何円禁獄科ニ応ズ。口ヲ極メテ冤ヲ訴ヘ臂ヲ張テ理ヲ弁ズルモ。誠ニ無益ノ事ナリ。而シテ何ノ為メニモナランヤ。況ヤ吾レト子トハ貧乏ノ社ニ開業シ。許可ヲ願テ発兌ヲ事トス。一本ノ禿筆ヲ執リ報告ヲ得テ以テ相認メ愚説ヲ天下ニ示ス。厳シキ條例ノ一件吾ガ性ノ臆病ナルヲ哀シミ御威光ノ窮リナキヲ感ズ。戸長ニ向ツテモ以テ閉口シ役人ヲ望ンデ長(トコシナ)ヘニ恐ル。迚モ勝ツ可ラザルヲ知テ泣ク子ト地頭ニ比ス。社主曰ク卿(オマヘ)モ亦屁ト瘡(カサ)トヲ知ル乎出ル者ハ斯クノ如クニシテ未ダ嘗テ尽キズ。膨腫(ハレ)ル者ハ彼レガ如クニシテ急ニ引込ムこと無シ。

「蓋シ其ノ悪クム者ヨリ之ヲ観レバ則チ片時モ以テ用捨スル能ハズ。其ノ悪マザル者ヨリ之ヲ観レバ則チ人モ我レモ皆罪無キ也。又何ゾ危ブマンヤ且夫レ天地ノ間人各心有リ苟モ吾レノ是(ヨシ)トスル所ニ非レバ一寸デモ引クコト無シ。但シ壓制ノ旧習ト頑固ノ偏人トハ。耳之レヲ聴ケバ腹ヲ立チ目之レヲ視レバ色ヲ変ズ。之ヲ諭シテモ益無ク。之レヲ説イテモ聴カズ。是攘夷家ノ無法者也。而シテ吾レト子ト共ニ嫌フ所ナリ。僕驚イテ墨ヲ磨ツテ之ヲ記ス。蝋燭既ニ尽テ座敷真ツ暗ナリ。相共ニ机邊ニ仮寝(ウタタネ)シテ薮蚊ノ頻リニ刺スヲ知ラズ」

文中に末広云々とあるのは、当時曙新聞記者だった末広鉄腸のこと、日新堂はその発行所、日報は東京日日、報知は郵便報知社である。

柳北はまた、「後辟易賦」と題した一篇を、同年10月15日の朝野新聞に掲載した。そちらは「後赤壁賦」をもじって、当時の征韓論者を風刺したものだが、辟易賦ほどの好評は博さなかったようである。

なお、柳北自身は、この文を含めて、政府要人攻撃があだとなって、讒謗律違反に問われ、四ヶ月間の投獄生活を余儀なくされた。


    


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