日本語と日本文化


荷風の女性遍歴その三


馴染を重ねたる女一覧表の九番目は大竹とみである。この女のことを荷風は一覧表の欄外に書き、しかも
「大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼」
と言う具合にごくさりげなく書いているのみであるが、日記本体にあたると、荷風のこの女への執着には相当のものが感じられる。それはこの女が美形だったことによる。この女を荷風は、自分が生涯に出会った女のなかで最も美しいとまで言っている。

この女とは銀座を歩いているときに偶然出会ったとしているが、出会ったその日のうちに彼女のアパートに同行して早速懇ろになっているところから、以前から顔を見知った仲だったに違いないと思わせる。その出会いを荷風は次のように記している。

「ひとり新橋の方に歩み行きし時、偶然千疋屋の楼上より下り来れる某女に逢ふ。以前或珈琲店の女給仕人にて目下は芝桜川町に住み、人の妾となり、又折々男を引入れて春を鬻ぐ女なり。帰りの道筋同じきがまま、誘はれて其家に立寄りしに、二階六畳ばかりの一間に西洋ベッドを置き、枕頭に紅色の電灯をつけ、石油ストーブを据えたるさま、宛然巴里の魔窟を想起せしむ。抑かくの如き装置は何人の教へたるものにや。今は新聞牛乳の配達夫も口笛にカルメンの進行曲を吹鳴し行くことを思へば、何事も西洋模倣の東京に、かくの如き私娼の生じたるは、蓋し怪しむには足らざることなるべし」(12/17)

この女は銀座界隈を歩みつつ、それらしき男の袖を引いて、一夜を共にして春を鬻ぐ女で、荷風はそれを売春の世界における西洋の模倣の一例と見なしているのである。その数日後には女の方から偏奇館に荷風を訪ねてくる。その折の様子は次のように記されている。

「夜初更を過ぎし頃、忽然門扉を敲くものあり。出でて見るに、過日銀座にて偶然見たりし桜川町の女にて、今宵は流行の洋装をなしたり。女子紅粉を施し夜密かに独居の人を訪ふ。其意問はずして明なり。炉辺に導き葡萄酒を暖めキュイラッソオを加味して飲む。陶然酔を催し楽しみ窮まりなし。酔中忽然として仏蘭西漫遊のむかしを想出したるは、葡萄酒の故にはあらず、洋装の女子其衣を脱して椅子の上に掛け、絹の靴足袋をぬぎすてむとするの状、宛然ドガ画中の景に似たるものありしが為ならずや」(12/21)

この女がすっかり気に入った荷風は、その後女の家に出向いたり、女を自分の家に呼び寄せたり、膠の如くくっつきあって日々を過ごした。次はその女の容貌・経歴を記した部分。

「晡時桜川町の女訪ひ来りし故、喜び迎えて笑語する中、長き冬の夜は早くも二更を過ぎたり・・・この女のことはいかに放蕩無頼なるわが身にもさすがに省みて心恥しきわけ多ければ、今まで筆にすることを躊躇ひしなり。されど相逢ふこと殆毎夜に及び、情緒纏綿として俄に離れがたき形勢にとなりたれば、包まずことの次第を記して、後日の一噱に資す。女の名はお富といふ・・・痩立の背はすらりとして柳の如く、眼はぱっちりとして鈴張りしやうなり。鼻筋見事に通りし色白の細面、何となく凄艶なるさま、予が若かりし頃巴里の巷にて折々見たりし女に似たり。先年新富町にて見たりし妓お澄に似て一段品好くしたる面立也。予の今日まで狎れしたしみし女の中にては、お澄とこのお富の面ざしほど気に入りたるはなきぞかし・・・お富は年すでに三十を超え、久しく淪落の淵に沈みて、其容色将に衰へむとする風情、不健全なる頽廃の詩趣を喜ぶ予が眼には、ダーム、オー、カメリアもかくやとばかり思はるるなり。去年十二月に逢ひしその日より情交忽膠の如く、こなたより訪はぬ日は必かなたより訪ひ来りて、これと語りあふべき話もなきに、唯冬の夜のふけやすきを恨むさま、宛ら二十前後の恋仲にも似たりと思へば、さすがに心恥しく顔の赤らむ心地するなり。人間いくつになりても色欲は断ちがたきものと、つくづくわれながら呆れ果てたり」(1/12)

これからすると女は三十前後の色気盛り、男をとろかせるコツに通じていたのだろう。手練手管で荷風を誘惑したらしい。荷風のほうでもその手練手管にとろける一方、女のぞっとするような美しさにも惹かれたようだ。次はその美しさを表現した部分。

「夜初更のころお富来りて門を敲く。出でて門扉を開くに、煌々たる寒月の中に立ちたる阿嬌の風姿、凄絶さながらに嫦娥の下界に来りしが如し。予恍惚殆自失せんとす」 

阿嬌も嫦娥も妖艶な色気で男を悩殺した女。荷風はそんな女に悩殺されることを喜んでいるのである。

荷風はこの女を自分の家に入れて一緒に住みたいと口説いてみたが、女は自由を束縛されるのはいやだと言って応じないので、江戸見坂に囲って月々の面倒を見ることとした。つまり妾にしたわけだ。しかし長くは続かなかった。女がいつまでも荷風に束縛されるのを喜ばなかったためだろう。なお荷風の小説「かし間の女」はこの大竹とみをモデルにしているようである。

一覧表十番目の女は古田ひさである。この女のことは一覧表のコメントに、
「銀座タイガ女中 大正一五年中」
とあるばかりだが、これも日記を読むとかなり波乱にとんだ関係を荷風は持ったようである。荷風が接した女の中では、カフェーの女給上がりで、かなりしたたかなところがある。小説「つゆのあとさき」の女主人公君江は、この古田ひさをモデルにしている。しかも女の情夫まで一緒に登場させているところから見ると、荷風はこの女にかなり振り回されたのであろう。

古田ひさの初出は大正一五年十月二十四日である。
「太訝の女給お久来る。年は二十五六なり。もと薬研堀に住みし商家の娘にて、十七八の頃株屋に嫁ぎしが不縁となり、其後は処々のカッフェーを渡り歩き、老母を養える由」

この女の容貌は「つゆのあとさき」で君江を描いているとおり、十人並みだったのだろう。それでも荷風を引き付けたのは別に魅力があったためだと思われる。しかしこの女は曲者だった。情夫と自称する男が現れて脅かされたり、女自身からもたかられた。そんなわけで荷風は一年後の昭和二年十月八日を最後にこの女と縁を切っている。その折の様子が日記に次のように記されてる。

「正午女給お久来りて是非とも金五百円入用なりと居ずはりて去らず、折から此日も邦枝君来合せたれば代りてさまざま言ひ聞かせしかど暴言を吐きふてくされたる様子、宛然切られお富の如し、已むことを得ざる故警察署へ願出づ可しといふに及び漸く気勢挫けて立去りたり、今まで心づかざりしかど実に恐る可き毒婦なり」

この女は数日後に警察のやっかいになり、その尻拭いに荷風が赴いた。そこで荷風は警官から散々小言を言われる羽目になりいささか辟易としないでもなかったが、この事件をかえって面白がっている様子も日記からはうかがえる。実際荷風はこれに懲りず、カフェー通いを続けるのである。

十一番目の女は白鳩銀子である。本名を田村智子といい、大正九年ごろ折々出会うとあるから、今村栄よりも前に馴染んだことになるが、それよりも後ろに位置付けたのは、交情の度合いが弱かったということか。

大正九年九月二十六日に清元梅吉のところで出会い、以後偏奇館でしばしば逢引きしている。それまで荷風が交わった女達とは異なり、陸軍中将の娘だったこの女に荷風は彼なりに神経を使って交際したようだ。彼女はその後舞台芸術家の伊藤喜朔と結婚し、伊藤智子の名で成瀬巳喜夫の映画「妻よ薔薇のやうに」に出演したりしている。白鳩銀子とは彼女の別の芸名であろう。

十二番目の女は清元秀梅である。この女は大正十一年頃に折々出会ったとあるから、白鳩銀子との関係が途絶えてから馴染むようになったのだろう。もともとは清元梅吉の内弟子で、荷風が清元の稽古に通ったことが出会いの機縁だ。娼妓ではないが、それらしく好色なところがあったらしく、彼女のそんな様子を荷風は次のように描写している。

「大正十一年八月三十日。晴。夜清元秀梅と牛込の田原屋に飲む。秀梅酔態妖艶さながら春本中の女師匠なり。毘沙門祠後の待合岡目に往きて復び飲む。秀梅欷歔啼泣する事頻なり。其声半庭の虫語に和す。是亦春本中の光景ならずや」





  
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