日本語と日本文化


を入れ言葉:慇懃無礼な謙譲語


ユニークな言語学者野口恵子女史が、敬語の乱れの一例として「を入れ」言葉を取り上げている。「を入れ」とは、「有権者の皆さんとお会いをいたしました」のように、「お会いいたしました」とすべきところを、わざわざ「を」を入れて「お会いをいたしました」と表現する類の言い方だ。

女史によれば、はじめ政治家の間で好んで用いられていたが、そのうちマスコミにも広がり、いまでは普通の人でもいうようになった。

これは間違った言い方だと女史はいう。このような表現が現れた背景には、「お話しいたします」が「お話をいたします」とほぼ同じ意味で使われていることがある。この両者の関係が「お会いいたします」と「お会いをいたします」との間に持ち込まれて、奇妙な言い方が出来上がったのだと女史は推論する。

「お話しする」は「話す」の謙譲語で、「お話をする」は「話をする」の「話」に「お」をつけて丁寧にしたものだ。

「お会いをする」の「お会い」は「お話」とは違って名詞ではない。だから「お話をする」と同じ次元の言い方ではない。「お会いする」と「お話する」との間の表面的な類似性に引きずられて出て来た誤った言葉遣いだ。

「お会いをいたします」のほかにも、「お待たせを申し上げました」、「お伝えを願います」、「ご覧をいただきたい」のように、「を入れ」言葉はさまざまな謙譲語について用いられるようになってきた。「お会い」と同様、「お待たせ」、「お伝え」、「ご覧」という名詞形は存在しないのだから、これらもやはり間違った表現なのだと女史は力説する。

なぜこんな表現が広がってきたのか。女史はその背景について突っ込んだ言及をしていないが、敬語の過剰というべきこの国の言語文化の現状が影を落としているのだろう。

なにしろ最近の日本人は、やたらと丁寧な表現をしようとする傾向が強い。その結果敬語が連発されるが、敬語は十分な訓練をつんでいないとうまくいえないものだ。その訓練のためには人との会話、つまりコミュニケーションを活発に行う必要がある。ところがいまの日本人はコミュニケーションの希薄化が指摘されるほど、人と付き合うのが嫌いなフシがある。それで変な敬語が氾濫するようになるのだろう。

敬語には相手に敬意を表する働きのほかに、相手を疎遠にあつかう働きがある。親しい間柄では普通敬語など使わないものだが、初対面の人とは敬語を使って話さなければならない。それは「わたしはあなたを丁寧に遇しています」という意思表示であるとともに、「わたしはあなたに親しみを感じていません」との意思表示にもなりうる。恋人になって欲しい異性からいつまでも丁寧な言葉遣いをされたら、普通の人は不安になるものなのだ。

ところでこの「を入れ」ことばが政治家から流行りだしたのには、わけがありそうだ。日本では政治家といえば先生の類だが、言葉遣いは丁寧にして、あくまで謙虚な姿勢をアピールしなければならない。その結果謙譲語を多く用いるようになる。だが先生たちは心の中では「自分は偉い」と思っているに違いない。

そんな先生たちは素直な謙譲語が使えないのだろう。そこで素直な謙譲語である「お会いする」のかわりに「お会いをする」のような慇懃無礼な言い方をするようになったのだろう。

とまあ、いってはみたものの、これはあくまで筆者の勘繰りである。


    

  
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