日本語と日本文化


あたら、をしいことをした:日本語の語源


「あたら若い命を散らす」という言い方がある。この場合の「あたら」には、「惜しい」とか、「もったいない」という意味合いがある。これは副詞的な用例であるが、古代には「あたらし」という形容詞形が良く使われた、と言語学者の阪倉篤義氏はいう。(日本語の語源)

「・・・又、田の畔を放ち、溝を埋むるは、地をあたらしとこそ、我がなせの命、かくしつらめ」(古事記)

これはスサノオの乱暴を、姉君のアマテラスオオミカミが擁護して言う場面で、「田の畔を放ったり、溝を埋めたりするのは、土地がもったいないというので、弟はこんなことをしたのでしょう」と言う意味である。ここでは「あたらし」は「もったいない」、「惜しい」と言う意味で使われている。

「あたらし」の語源は「あたる」という動詞だろうと阪倉氏は推測する。「いたむ~いたまし」、「つつむ~つつまし」と同じ機制から生じたというわけである。

「あたる」とは、「的が当たる」というように、的中するとか、適合するとか、合致するとかいう事態を指して言う言葉である。それ故、「あたらし」には、適合すべきだという意味が基層としてあり、そこから、適合すべきなのにそうでないのは残念だ、惜しいことだとする意味合いが生じた。

このように「あたらし」と言う言葉には、そうであるべきなのにそうでないことに対する無念の気持ちが込められているわけである。

「あたらし」と同じような意味あいをもつものに「をし」という言葉がある。現代でも「惜しい」という形で使われている言葉だ。

「をし」とは、自分が持っているものを失うことへの残念な気持ちをあらわす言葉だ。そこから、物や人に対する愛着を表す意味にも用いられた。その場合には「愛し」と書いて「をし」と読ませた。この用例としては「日本書紀」欽明天皇の条にある「汝、命と婦と孰れか尤だ愛しき」がある。「お前は自分の命と女と、どちらに愛着があるか」という意味である。

愛着を表す言葉としてはほかに、「かなし」がある。もともとは、自分が求めているものが手に入らずにいる事態を、悲しいと感じる哀惜の念を表す言葉だった。それが転じて、「いとしい」という意味合いに使われることもあった。

「をし」と「かなし」はどちらも、哀惜や残念さを表す言葉だが、「をし」が今まで持っていたものを失うことの残念さを表すのに対して、「かなし」のほうは「欲しいのに手に入れることのできないものにたいする希求の念を表すという違いがある、と阪倉氏は指摘している。

あたらし、をし、かなし、のうち、古代語の意味合いから大きく離れずに使われれているのは「をし→惜しい」だけである。「かなし→悲しい」のほうは、哀惜よりも悲哀の感情を表すものに特化してしまったし、「あたらし→あたらしい」の方はまったく異なった意味合いで使われている。

「新しい」ということばのもともとの形は「あらた」であった。だから「あたら」とは全く無縁の言葉だったのだが、それがどういうわけか音韻変化して「あたらし」になってしまったようだ。それにともなって、もともとあった「あたらし」の方は使われなくなり、「あたら」と言う形で、なかば文語的なコンテクストでのみ使われるようになった。一方、「あらた」のほうは、「あらたな」という形で生き残っている。




  
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