日本語と日本文化


日本霊異記における游離魂の蘇生説話:山折哲雄「日本人の霊魂観」


山折哲雄氏は「日本人の霊魂観」という著作の中で、「日本霊異記」を取り上げながら、古代日本人の霊魂観の変遷を分析している。それは基本的に言えば、日本古来のシャーマニズム的な霊魂観と、仏教的な世界観とが融合していく過程としてとらえられることになる。

日本霊異記は、弘仁年間(810−823)に奈良薬師寺の景戒沙門が撰述したものとされている。奈良から平安初期にかけての霊異に関する民間流布の説話を集めたものであるが、そこには記紀に現れているような我が国固有の霊魂観と、外来思想としての仏教的応報観念とが、独自の融合反応を見せていると氏は特徴づけている。

我が国固有の霊魂観とは、シャーマニズム的な特徴を帯びている、と氏はいう。人間の霊魂というのは肉体から遊離するものであるというのが、その基本的な前提である。この游離魂を巡って、それが生きている人間にとりつくと、取りつかれた人間はいわゆる神がかりの状態になる。これを憑霊と言い換えることができる。一方、遊離魂が文字通り遊離徘徊して、異界をさまようことがある。これを脱魂と言い換えることができる。このように、遊離魂を巡る憑霊と脱魂の体系が、シャーマニズムとしての日本古来の霊魂観を形成していたとするのである。

憑霊現象についての言及は、記紀に四箇所見られるという。@アマテラスオオミカミが天の岩屋隠れをしたときのアマノウズメノミコトの神がかり、A神武東征の際に神武天皇がタカミムスビノミコトの霊によって神がかりすること、B崇神記における、ヤマトトトビモノソヒメの神がかり、C仲哀記における神宮皇后の神がかり、の四つである。

記紀におけるこれらの神がかりを特徴づけるとすれば、いづれも憑依する遊離魂よりは、憑依される巫女的な人格の方に関心が向いているということだろう。ということは、古代日本においては、シャーマンとしての巫女の社会的な地位が非常に高かったことを反映しているからだ、と見ることもできる。これに対して霊異記における憑霊は、遊離魂の方に重点が置かれている、と氏はいう。

記紀における脱魂現象についての記述としては、イザナギやスサノオの黄泉の国訪問があげられる。イザナギもスサノオも死んではおらず、したがって彼らの遊離魂ではなく、肉体を備えた生き身の人間としての彼ら自身が異界訪問をするわけなのだが、しかし内容からして、脱魂的シャーマニズムの異界訪問譚のバリエーションとみなすこともできる。

イザナギの異界訪問譚においては、イザナギはイザナミを求めて異界を訪れる。それに対してイザナミは、自分はすでにヨモツヘグヒをしてしまったので、もはやもとには戻れなくなったけれども、あなたが一つだけタブーを守れば、私を連れ戻すことができるという。そのタブーとは、決して妻たるイザナミの姿を見ないというものであった。しかしイザナギは黄泉平坂に向かって逃げる途中、誘惑に負けて後ろを振り返りイザナミの姿を見てしまう。そのためにイザナギはイザナミを連れ戻すことができなかった、というのがこの説話の骨格である。

このイザナギの異界訪問譚の骨格は、日本霊異記に出てくる遊離魂の異界訪問譚にそっくり取り入れられている。その場合注目すべきなのは、この異界訪問が仏教でいうところの六道輪廻のアナロジーに重なっていることだ。そこに、霊異記の時代の民衆が、日本古来の霊魂観の上に、仏教的な世界観を重ね合わせ始めていたことが伺われるというのである。

日本霊異記の説話は全部で百十六縁あるが、そのうち遊離魂の蘇生をテーマにしたものが十五縁ある。これらに共通してみられる要素としては、まず、遊離した魂が異界を訪問し、そこで見聞した事柄を蘇生した後に物語るということ、もう一つは、生き返った時に宿るべき身体が残っているように、一定期間その身体をそのまま保存しておくようにと、遊離魂の主体たる人物が言い残しておくことである。

遊離魂の異界訪問が脱魂的シャーマニズムの信仰を、遺体の一定期間の保存が殯の風習を、それぞれ表していることはいうまでもないだろう。

ここで興味深いのは、游離魂の異界訪問である。一例として上巻第三十話を取り上げる。膳臣広国が慶雲二年乙巳秋九月十五日に死んで、黄泉の国の閻羅王のもとに行き、三日を経て蘇ったという物語である。

広国の遊離魂は冥界からの使者二人に導かれて大河を渡り度南国に至る。度南国とは黄泉の国のことである。その黄金の宮殿には閻羅大王がいる。閻魔大王のことである。そこで広国は、亡妻が鉄の釘を打たれ鉄の縄に縛られて苦しんでいる様子を見せられる。さらに南の方に行くと、亡父が同じようにして苦しんでいるのを見せられる。その上で、彼ら亡者たちの生前の罪と、冥界における因果応報の道理を聞かされて、広国の遊離魂は、来た時と同じ道をたどってこの世に生き返る。

この話の中に出てくる度南国が仏教で言う地獄のイメージと重なっていることは容易にみてとれるが、仏教で言う地獄が天〜地〜地下という垂直的な構造の中で地下に位置付けられているのに対して、ここで描かれた地獄は、この世と連続した地平にあることを感じさせる。イザナギは訪問した黄泉の国もまた、そのようなものであった。

日本霊異記のこの説話においては、日本古来の黄泉の国のイメージに仏教的な地獄のイメージが重なって、今日の目から見れば中途半端な地獄として描かれているように感ぜられる。

この他の物語においても、遊離魂の異界訪問は、ほぼ同じようなイメージで語られている。この第三〇話では表面に出ていないが、多くの物語では、死者が自分の遺体を残しておくようにと遺言したうえで、数日後に生き返ったという風に語られている。

また、他の多くの物語では、この世に戻るにあたって、遊離魂は閻羅王から、黄泉の国で見聞したことを決して語ってはならないと、タブーを課せられている。それにも拘わらず、蘇った遊離魂は、自分が黄泉の国で見聞したことを人々に物語ってやまない。だからといって、タブー破りを咎められることもない。

というわけで、日本霊異記に記された日本人の霊魂観には、日本古来の相と外来文化としての仏教とが、ぶつかり合い、溶け合うというふうに、ダイナミックな展開を見せているということができる。


(参考)日本霊異記上巻第三十 非理奪他物為惡行受惡報示奇事?
 膳臣-廣國者,豐前國宮子郡少領也.藤原宮御宇天皇之代,文武朝.慶雲二年乙巳秋九月十五日庚申,廣國忽死.逕之三日,戌日申時,更甦之而語之曰:「使有二人,一頂髮舉束,一少子也.伴副往程,二驛度許,路中有大河.度椅之以金塗嚴.自其椅,行至彼方,有甚慈國.問使人曰:『是何國矣?』答:『度南國也.』至其京時,有八官人,佩兵追往.前有金宮.入宮門,見有王,坐乎?金之坐.王詔廣國曰:『今召汝者,依汝妻憂申之事.』即召一女.見之,昔死妻.以鐵釘打頂通尻,打額通項.以鐵繩縛四枝,八人懸舉,而將來.王問之言:『汝知是女耶?』廣國白言:『實我之妻也.』復問:『汝知鞫罪耶?』答:『我不知.』問女之,答:『我實知之.擯吾自家出遣.故,?惻厭媚.』王詔廣國曰:『汝實無罪,可還於家.然慎以?泉之事,勿妄宣傳.若欲見父,往於南方.』往而見之,實有我父.抱甚熱之銅柱而立.鐵釘卅七於其身打立,以鐵打.夙三百段,晝三百段,夕三百段,合九百段,?日打迫.廣國見之,悲而言:『鳴呼!何圖之受是苦也?』父言:『我受是苦,吾子,汝知不也.我為養妻子故,或殺生物,或貸八兩綿強倍十兩?,或貸小斤稻而強大斤取,或人物強奪取,或他妻奸犯,不孝養父母,不恭敬師長,不奴婢者罵慢.如是罪故,我身雖少而卅七鐵釘立,?九百段鐵鞭打迫之.痛哉!苦哉!何日免吾罪?何時得安身也?汝忽為我造佛寫經,贖罪苦.慎慎莫忘矣.我飢七月七日成大蛇到汝家,將入屋?之時,以杖懸棄.又五月五日成赤狗到汝家之時,喚犬而相之,唯追打者飢熱還.我正月一日,成狸入於汝家之時,飽供養宍種物,是以繼三年之糧.我無兄弟,上下次第而失理,成犬?白出汁.我必可成赤狗.』凡布施米一升之報,得卅日之糧.布施衣服一具之報,得一年分衣服.令讀經者,住東方金宮後,隨願生天.造佛菩薩者,生西方無量壽淨土.放生之者,生北方無量淨土.一日齋食者,得十年之糧.乃至見造善惡所受報等出.廣國暫徘徊,少子出來.時守門人,見其少子而長跪禮.少子喚廣國,將至片方脅門,押其門而開之.將出,告曰:『速往.』廣國問少子云:『汝誰之子?』答:『欲知我者,汝幼稚時,奉寫觀世音經是也.』還之焉,即見甦還.」廣國至?泉見善惡之報,顯?流布也.作罪得報之因?者,大乘經如廣?,誰不信耶?所以經云:「現在甘露,未來鐵丸也.」者,其斯謂之矣.廣國奉為其父,造佛寫經,供養三寶,報父之恩,贖所受罪.自此以後,迴邪趣正.




  
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