日本語と日本文化


閻魔大王と死者の蘇生(中世人の仏教的死生観)


誰しも子どもの頃に、「うそをつくと閻魔様に舌を抜かれる」といって、親や兄弟から脅かされた経験があることだろう。人は死ぬと閻魔大王の裁きを受けて、極楽へ行けるか地獄へ落ちるか、振りわけられる。その際に、人の罪状のうちにも、うそというのはもっとも罪が重いもので、たんに地獄へ落ちるにとどまらず、舌まで抜かれてしまうというのである。

日本の民衆に仏教が浸透するのは、鎌倉時代以降のことである。親鸞や日蓮はじめ、新しいタイプの仏教者が民衆の中に入り、念仏や法華経の教えを広めたおかげで、民衆の間に仏や浄土への希求が高まった。また、それに伴って、仏教的な考え方も広がっていったのである。

仏教の教えの中でも、中世の日本人にとって、もっとも判りやすかったのは、輪廻転生、因果応報の観念ではなかったろうか。

日本人には古来、あらゆる生き物には霊魂があり、それは形が滅びても生き続けるという、アニミズム的な心性があった。とくに、人間の霊魂は、肉体が滅び去っても消滅することはなく、生者の周辺を漂いながら、ついには神となって天空に上ると考えられていた。場合によっては、霊魂はほかの姿を借りて生き返ることもあった。とくに子どもの場合には、ほかの子に生まれ変わることが、期待もされ、信じられてもいたのである。

この古代的な観念に、仏教の教えが結びつくことによって、死者の再生や、前世の因縁といった、新しい考え方が生じてきた。それらは、人間の罪業に深くかかわることであったから、民衆の仏教理解の中で、閻魔大王の果たした役割は、非常に大きなものであった。閻魔大王こそは、人間の罪業に最後の裁きを下すものだったからである。

中世に流行した民衆芸能・説経のなかに、閻魔大王の裁きによって、死者が甦るという話が出てくる。

説経「をぐり」は、別名を「餓鬼阿弥蘇生譚」というように、非業の死を遂げたものが生き返って、ついには神となる物語である。生き返りは、閻魔大王の慈悲によって果たされるのである。この場面を、説経は次のように語っている。

10人の従者とともに殺された小栗判官が、閻魔大王の前に引き立てられてくると、閻魔大王は「さてこそ申さぬか、悪人が参りたは、あの小栗と申するは、娑婆にありしその時は、善と申せば遠うなり、悪と申せば近うなる、大悪人の者なれば、あれをば、悪修羅道へ落すべし、十人の殿原たちは、お主に係り、非法の死にのことなれば、あれをば、今一度、娑婆へ戻いてとらせう」と宣言する。

ところが、従者たちが、自分らはともかく、主人の小栗を娑婆に戻して欲しいと懇願するのにほだされて、11人ともども戻してやろうといい、「見る目とうせん御前に召され、日本にからだがあるか見てまいれ」と命ずる。日本を見ると、従者たちは火葬にされて体がないが、小栗は土葬にされたために体があることがわかる。

そこで、閻魔大王は、次のように、小栗一人だけを戻すことに決するのである。「さても末代の洪基に、十一人ながらも戻いてとらせうとは思へども、からだがなければ詮もなし、なにしに十人の殿原たち、悪修羅道へは落すべし、我らが脇立に頼まん・・・さあらば小栗一人戻せ」

また、「愛護の若」という説経の中では、死んだ母親が、自分の子が死にかかっているのを助けようと、閻魔大王に懇願する場面がある。

閻魔大王は、その真心にひかれて、母親を娑婆に戻そうとし、戻すべき体があるかどうか調べさせる。ところが、この場合にも、母親は火葬にされて体が残っていないのだった。そこで、ほかに戻すべき死骸がないかどうか、調べさせると、「今日生まるる者は多けれど、死する者とてござなく候、死して三日になり候いたちの体ばかり」あることがわかる。

「大宮聞こしめし、いたちに生を変へるか、御台きこしめし、我が子に会はんうれしさに、それにても苦しからず、はや御いとま、と申さるる、大宮善哉と打たせたまへば、いたちに生が変り、刹那が間に二条の御所に出で、花園山へぞ参りける」

これらの話に伺われるのは、霊魂がふたたび目に見える形をとって蘇生するということである。蘇生するのは、自分の体としての場合もあれば、いたちのような動物の形を借りる場合もある。火葬されて形が残っていないと、自分自身の姿では、生き返ることができないということも、いわれている。

これらの話の背後には、さまざまに屈折した仏教理解があったのであろう。屈折させる原動力となったものが、日本古来の霊魂観や死生観であったことは、想像に難くない。


    


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