日本語と日本文化


よしなしごと(一):堤中納言物語


人のかしづくむすめを、ゆゑだつ僧忍びて語らひけるほどに、年の果てに山寺に籠るとて、「旅の具に、筵・疊・盥・はんざふ貸せ」と言ひたりければ、女、長筵、何やかや供養したりける。それを、女の師にしける僧の聞きて、「我ももの借りにやらむ。」とて、書きてやりける文の詞のをかしさに、書き寫して侍るなり。世づかずあさましきことなり。唐土・新羅に住む人、さては常世の國にある人、我が國にはやまかつ、みやつこの戀まろなどや、かゝる詞は聞ゆべき。それだにも。

すだれあみの翁は角大師の女に名立ち、賤しき中にも、子どものおひさき侍りけるになむ。それにも劣りたりける心かなとは思すとも、わりなき事の侍りてなむ。

世の中の心細く悲しうて、見る人・聞く人は、朝の霜と消え、夕の雲とまがひて、いと哀れなる事がちにて、「あるは少く、なきは數添ふ世の中」と見え侍れば、「我が世や近く」とながめ暮すも、心地つくしくだく事がちにて、「猶、世こそ電光よりもほどなく、風の前の火よりも消え易きものなれ」とも、うらがなしく思ひつゞけられ侍れば、「吉野の山のあなたに家もがな。世の憂き時の隱家に」と、際高く思ひ立ちて侍るを、いづこに籠り侍らまし。

富士の嶺と淺間の峯とのはざまならずば、竃山と日の御崎との絶間にまれ、さらずば、白山と立山とのいきあひの谷にまれ、又愛宕と比叡の山との中あひにもあれ、人のたはやすく通ふまじからむ所に、跡を絶えて籠り居なむと思ひ侍るなり。

此の國は猶近し。唐土の五臺山、新羅の峯にまれ、それも猶けぢかし、天竺の山、鷄の峯の石屋にまれ、籠り侍らむ。それも猶地つち近し。雲の上にひらき登りて、月日の中にまじり、霞の中に飛び住まばやと思ひたちて、このごろ出で立ち侍るを、何方まかるとも身をすてぬものなれば、要るべきものども多く侍る。誰にかは聞えさせむ。年頃も御覽じて久しくなりぬ。情ある御心とは聞き渡りて侍れば、かゝる折だに聞えむとてなむ。

(文の現代語訳)

ある人が大切にしている娘を、身分の高そうな僧が人目を忍んで通っていましたが、年の暮に山寺にこもるというので、「旅の支度に、筵・疊・盥・はんぞうを貸してほしい」と言ってやると、娘は長筵やなんやかやを供養のかわりに貸してやりました。そのことを、娘の師であった僧が聞きつけて、「自分も何か借りてやろう」と、所望の品々を書いた文を送ったのですが、それが面白おかしいので、書き写したところです。僧には似つかわず、あきれたことです。唐土や新羅に住む人、さてはあの世に住んでいる人、わが国なら山賊やすけこましの連中ならやりそうなことですが、そんな連中でさえ、やらぬかもしれません。

すだれ網の老人が角大師の娘とねんごろになり、いやしいながらも、生まれた子どもの行末を楽しみにしていたということです。自分の行為はそれにも劣ると思われるかもしれませんが、どうしようもない事情があって、お願いする次第なのです。

世の中が心細く悲しくて、かつて見聞きした人々は、朝の露と消え、夕べの雲にまぎれて、たいそう悲しいことばかり、「生きている人は少なくなり、死んでしまった者が多くなった」と思われますので、「自分の寿命もそろそろ尽きる頃か」と物思いにふけりつつ暮らしながらも、心をすり減らすことばかりです。「まったく、この世の命は電光よりも短く、風前のともし火のように消えやすいものだ」と、うらがなしく思われます。そこで、「吉野の山の彼方に家でも設けて、世の中が辛くなったときの隠れ家にしたい」と、志を立てたはよいものの、さてどこに篭ろうとしましょうか。

富士と浅間の峰の狭間でなければ、竃山と日の御崎の絶間にでも、でなければ白山と立山の間の谷間にでも、また愛宕山と比叡山の山間にでも、人が簡単に立ち入れないようなところに、世の中から消息を絶って篭りたいと思っているのです。

わが国では近すぎるなら、唐土の五臺山や新羅の峯でもよろしい。それでもなお近いのなら、天竺の山でも、鶏の峰の岩屋でもよろしい。それでもなお地上に近すぎると言うなら、雲の上に開き上って、月日の中に交わり、霞の中に飛んでいって住もうと思い、このごろ準備をしているのですが、どこへ行くにしても、体を捨てるわけにはいきません。必要なものがたくさんあるのです。他の誰にお願いできましょうか。あなたとは長いお付き合いですので、情け深い方だと存じておりますし、こんな折にぜひお願いしたいと思うのです。

(解説と鑑賞)

ある僧侶が、隠遁生活をするという理由で、日頃付き合いのあった女から、いろいろ隠遁に必要な物を借りたところ、それを聞きつけた女の指導者の僧侶が、自分もなにか借りたいと思って、女に無心の手紙を出すと言う趣向の話である。

娘から物を借りた僧侶も、あとからそれを真似して無心をする僧侶も、いずれも日頃からこの娘と深い付合いがあったのだろう。後から無心した僧侶などは、自分との深い仲に免じて是非無心を聞いて欲しいと、かなりあけすけな言い方をしている。

平安時代の末期から鎌倉時代にかけては、僧侶が医療の変わりに加持祈祷をしたり、一家の安寧を祈って読経をしたりすることが広く行われていて、そうした中から、僧侶が一家の娘に手を出すこともままあったらしい。さればこそ、当時の文献たる「庭のをしへ」には、「大方は、いかなるたっとき聖、かしこき僧など申し候とも、ことしげく仰せかはすことあるまじく候」と、僧侶に近づくことを戒めているのである。

この話は、僧侶が女に無心をする手紙を出したという体裁をとっているが、実際には、そういう想定で第三者が創作した「よしなし事」だということが、最後に明らかにされる。二段がさねの工夫になっているわけである。

その手紙の中で、僧侶は、自分が欲しいさまざまなものに言及しているが、それは、当時漢字で物尽くしや名所尽くしを紹介した一種の文字遊びを援用したのではと言われている。

まず、冒頭の部分では、自分が手紙を差し上げた動機について述べる。この世をはかなんで隠遁しようと思うが、隠遁でも暮らさないわけには行かないから、暮らしに必要なものを貸して欲しいと言う内容である。




  
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