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花々のをんな子(一):堤中納言物語


其のころの事と數多見ゆる人眞似のやうに、かたはら痛けれど、これは聞きし事なればなむ。賤しからぬすきものの、いたらぬ所なく、人に許されたる、やんごとなき所にて、物言ひ、懸想せし人は、この頃里に罷り出でてあなれば、實かと往きて氣色見むと思ひて、いみじく忍びて、唯小舍人童一人して來にけり。近き透垣の前栽に隱れて見れば、夕暮のいみじくあはれげなるに、簾捲き上げて、「只今は見る人もあらじ」と思ひ顔に打解けて、皆さまざまにゐて、萬の物語しつゝ、人のうへいふなどもあり。はやりかにうちさゝめきたるも、又恥しげにのどかなるも、數多たはぶれ亂れたるも、今めかしうをかしきほどかな。

「かの前栽どもを見給へ。池のはちすの露は玉とぞ見ゆる」 と言ふが前に、濃き單衣、紫苑色の袿、薄色の裳ひきかけたるは、或人の局にて見し人なめり。童の大きなる、小さきなど縁に居たる、皆見し心地す。

「御方こそ、この花はいかゞ御覽ずる」 と言へば、 「いざ、人々に譬へむ」 とて、命婦の君、 「かの蓮の花は、まろが女院のわたりにこそ似奉りたれ」 とのたまへば、大君、 「下草のりんだうはさすがなめり。一品の宮と聞えむ」。 中の君、 「玉簪花は太后の宮にもなどか」 。三の君、 「紫苑の花やかなれば、皇后の宮の御さまにもがな」。 四の君、 「中宮は、父大臣に、ぎきやうを読ませつゝ、いのりがちなめれば、それにもなどか似させたまはざらむ」。 五の君、 「四條の宮の女御、露草のつゆにうつろふとかや、明暮のたまはせしこそ、誠に見えしか」。 六の君、 「垣穗の瞿麥は帥殿と聞えまし」。 七の君、 「刈萱のなまめかしき樣にこそ、弘徽殿はおはしませ」。 八の君、 「宣耀殿は菊と聞えさせむ。上の御おぼえなるべきなめり」。九の君「麗景殿は、花薄と見えたまふ御さまぞかし」 と言へば、十の君、 「淑景舍は、朝顔の昨日の花と歎かせ給ひしこそ、道理と見奉りしか」。

五節の君、 「御匣殿は、野邊の秋萩とも聞えつべかめり」。 東の御方、 「淑景舍の御おととの三の君、あやまりたることはなけれど、萱草にぞ似させ給へる」 。いとこの君、 「其の御大臣の四の君は、くさのかうといさ聞えむ」 。姫君、 「左、大臣殿の中の君は、見れども飽かぬ女郎花のけはひこそしたまひつれ」。 西の御方、 「帥の宮の御うへ、、葉笹にや似させ給ひつる」。 伯母君、 「右大臣殿の姫君は、吾木香に劣らじ顔にぞおはします」 などいひおはさうずれば、尼君、 「齋院、五葉と聞え侍らむ。かはらせ給はざむめればよ。つみを離れむとて、かゝる樣にて、久しくこそなりにけれ」 と宣へば、北の方、 「さて、齋宮をば、何とか定め聞え給ふ」 と言へば、小命婦の君、 「をかしきは皆取られ奉りぬれば、さむばれ、軒端の山菅に聞えむ。まことや、まろが見奉る帥の宮のうへをば、芭蕉葉ときこえむ」。 よめの君、 「中務の宮のうへをば、まねく尾花と聞えむ」 など聞えおはさうずる程に、日暮れぬれば、燈籠に火ともさせて添ひ臥したるも、「花やかに、めでたくもおはしますものかな」と、あはれしばしはめでたかりしことぞかし。
  世の中のうきを知らぬと思ひしにこは日に物はなげかしきかな

(文の現代語訳)

その頃のこと、と書き出すと、数多くある物語の真似のようで気がひけますが、これは人から聞いたことをそのまま記すのです。ある身分の卑しからぬ好色な男がいました。これはと思う女のところへは至らぬところなく赴き、世間でも好色との評判でありましたが、その男が、高貴な人のお屋敷で言い交わして思いをかけた女が最近実家に戻ったということらしいので、本当にそのとおりかどうか、様子をたしかめて見ようと思って、たいそう人目を忍び、ただ小舎人童を一人だけ伴ってやって来たのでした。その女のいるところに近い前栽の影に隠れて見ていると、夕暮れのたいそう趣のある頃合に、簾を巻き上げて、「いまは覗き見る人もないでしょう」というような顔で打ち解けて、数人の女房たちがさまざまな格好で座り、よろずの物語をしたり、人の噂話をしたりしています。はしゃいで騒いでいるものも、上品にゆったりと構えているものも、大勢でふざけているものもいて、当世風でおもしろい眺めでした。

「あの前栽をご覧なさい。池の蓮の葉の露が玉のように見えますよ」と言っている人の前に、濃い色の単衣、紫苑色の袿、薄色の裳をひっかけている人は、ある人の局で見た人のようです。年長や年少の童たちが縁側に何人かいますが、これもみな見たことがあるような気がします。

「みなさん、この花をどのようにご覧になりますか」と言うと、「いざ、人にたとえてみましょう」と、まず命婦の君が、「あの蓮の花は、わたくしのご主人の女院さまに似ています」とおっしゃいます。ついで、大君が「下草のリンドウはさすがに美しいようですね、一品の宮と申しましょう」と言い、中の君が「ギボウシは太后の宮さまにそっくり」と言い、三の君が「紫苑は華やかですので、皇后の宮さまにそっくり」と言い、四の君が「中宮は、父君の大臣が義経を読ませながらお祈りしているようですので、義経転じて桔梗の花と申しましょう」と言い、五の君が「四條の宮の女御は、露草のつゆのように移ろいやすいと日頃おっしゃっておられますので、そのようにお見受けしました」と言い、六の君が、「垣根のナデシコは帥殿と申しましょうか」と言い、七の君が「刈萱のなまめかしいさまのように弘徽殿はいらっしゃいます」と言い、八の君が「宣耀殿さまは菊と申しましょう、お上の覚えがめでたいようですので」と言い、九の君が「麗景殿さまはハナススキと見まがうようなご様子です」と言うと、十の君が「淑景舍さまは、朝顔の昨日の花のようにはなかい、とお嘆きになっていましたが、それももっとものことと思います」と言ったのでした。

さらに、五節の君は、「御匣殿は野邊の秋萩と申すべきでしょう」と言い、東のお方は「淑景舍さまの妹の君は欠点があるわけではありませんが、萱草に似てらっしゃいます」と言い、いとこの君は「その大臣の四の君はくさのこうと申しましょう」と言い、姫君は「左大臣さまの中の君は見れども飽きない女郎花にご様子が似てらっしゃいます」と言い、西のお方は「帥の宮の北の方は笹の葉に似てらっしゃいませんか」と言い、伯母君は「右大臣さまの姫君は吾亦紅のように負けず嫌いなお顔つきをしてらっしゃいます」と言いましたが、その折に尼の君は「齋院さまは五葉と申し上げましょう、五葉の松のようにお変わりがありませんので。わたしなどは、罪を逃れようとこのように出家して、もう大分経ちました」とおっしゃるので、北の方が「さて、齋宮さまをどのように申し上げましょう」と言われますと、小命婦の君が「気のきいたものはみな取られてしまいましたので、そこで、軒端の山菅と申しましょう、そうそう、わたしがお仕えする帥の宮は芭蕉の葉と申しましょう」と言いました。よめの君が「中務の宮の北の方は手招きする尾花と申しましょう」とおっしゃられる頃合に、日が暮れましたので、女房たちは燈籠に火をともさせて添い伏したのでしたが、その姿を好色な男は、「華やかですばらしい人たちだなあ」と、しばらくの間感動して見ていたのでありました。その折の歌、
  世の中のうきを知らぬと思っていた私だが、これらの女性たちを見ると、物思いが募ることだ

(解説と鑑賞)

この物語の題名には諸説ある。「花田の女御」「縹の女御」「縹の女子」「花々の女御」「花々の女子」などだが、いずれも決め手がない。テクストとした山岸徳平は、「花々の女子」をとっているが、それは、大勢の女たちが、自分の使えている女御たちを花々にたとえるという物語の特徴を踏まえたものである。なお、「縹」は「はなだ」と読み、花の色の明るい青をさす。やはり花に関連した言葉である。

大勢の女たちが集まって、それぞれ自分の仕えている女御を花にたとえ批評しあう様子を、好きものの男が前栽の陰に隠れて盗み聞きするという話。人を花にたとえてうわさすると言う点で、花づくしのパターンに入るが、ポイントは、好色者の男がそれを盗み聞きするという点だ。この男は、自分の恋人が実家に帰ったと聞きつけて、彼女の様子を確かめにやってきたのだったが、彼女と一緒に大勢の女がいて、そのうちの何人かは、男の知っている女であったというのが味噌になっている。

冒頭の部分で、すきものの男が、女を訪ねて彼女の実家に忍び込み、前栽の陰から伺っていると、女の姉妹たちが大勢くつろいでいて、彼女らがめいめいに、自分の仕えている女御を花にたとえながら、その噂話を始める。その様子を伺っていた好色者の男は、「花やかに、めでたくもおはしますものかな」といって、感心する。


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