日本語と日本文化


思はぬかたにとまりする少將(一):堤中納言物語


昔物語などにぞ、かやうな事は聞ゆるを、いと有難きまで、あはれに淺からぬ御契りの程見えし御事を、つくづくと思ひ續くれば、年の積りけるほども、あはれに思ひ知られけり。

大納言の姫君、二人ものし給ひし、まことに、物語に書きつけたる有樣に劣るまじく、何事につけても、生ひ出で給ひしに、故大納言も母上も、うち續きかくれ給ひにしかば、いと心細き故郷に、ながめ過し給ひしかど、はかばかしく、御乳母だつ人もなし。

唯、常に候ふ侍從・辨などいふ若き人々のみ候へば、年に添へて人目稀にのみなりゆく故郷に、いと心細くておはせしに、右大將の御子の少將、知るよしありて、いと切に聞えわたりたまひしかど、かやうの筋は、かけても思しよらぬ事にて、御返り事など思しかけざりしに、少納言の君とて、いといたう色めきたる若き人、何の便りもなく、二所大殿籠りたる處へ、導き聞えてけり。

もとより御志ありけることにて、姫君をかき抱きて、御帳の内へ入り給ひにけり。思しあきれたるさま、例の事なれば書かず。おしはかり給ふにしもすぎて、哀れに思さるれば、うち忍びつゝ、通ひ給ふを、父殿聞き給ひて、 「人のほどなど、口惜しかるべきにはあらねど、何かはいと心細き所に」 など、許しなくのたまへば、思ふ程にもおはせず。

女君も暫しこそ忍び過し給ひしか、さすがにさのみはいかゞおはせむ、さるべきに思し慰めて、やうやううち靡き給へるさま、いとゞらうたくあはれなり。晝などおのづから寢過し給ふをり、見奉りたまふに、いとあてにらうたく、うち見るより心苦しきさまし給へり。

何事もいと心憂く、人目稀なる御住居に、人の御心もいと頼み難く、「いつまで」とのみながめられ給ふに、四五日いぶせくて積りぬるを、「思ひし事かな」と心ぼそきに、御袖只ならぬを、「我ながらいつ習ひけるぞ」と思ひ知られ給ふ。
  人ごゝろ秋のしるしの悲しきにかれ行く程のけしきなりけり
など、「手習に、馴れにし心なるらむ」などやうにうち歎かれて、やうやう更け行けば、唯うたゝねに、御帳の前にうち臥し給ひにけり。

少將、内より出で給ふとておはして、うち叩き給ふに、人々おどろきて、中の君起し奉りて、我が御方へ渡し聞えなどするに、やがて入り給ひて、 「大將の君のあながちに誘ひ給ひつれば、長谷へ參りたりつる程の事」など語り給ふに、ありつる御手習のあるを見給ひて、
  常磐なる軒のしのぶを知らずして枯れゆく秋のけしきとや思ふ
と書き添へて見せ奉り給へば、いと恥しうて御顔引き入れ給へるさま、いとらうたく子めきたり。

(文の現代語訳)

昔物語などにこそ、このような話があると聞きますが、それにしても大変珍しく、あわれながら浅からぬ男女の契についてのお話がありました。それをつくづく思い続けると、大分年月が過ぎたにもかかわらず、しみじみと思い出されるのです。

大納言の姫君が二人いらっしゃいました。まことに、物語に書かれたありさまにも劣らず、何事につけてもご立派に成長されましたが、父上の大納言も母上も続けてお亡くなりになったので、たいそう心細いお邸に、物思いに耽りながら日々を過ごされていましたが、しっかりと面倒を見てくれる御乳母もいなかったのでした。

唯、いつも身近に仕えている侍從、辨などという若い女房がいるばかりで、年が経つにつれて訪れる人も少なくなり、たいそう心細く暮らしておられました。そこへ、右大將の御子の少將と言う人が、つてがあって、大変熱心に言い寄ってこられました。姫君たちには、このようなことは思いもよらないので、返事もしないでおられたところ、少納言の君というたいそう浮ついた若い女房が、何の連絡もせず、少将をお二人のいらっしゃるところへ案内してきたのでした。

少将はもとより下心を抱いておりましたので、姉君を抱いて御帳の内へ入っていかれたのでしたが、そのときの姉君の驚きあきれたさまは、言うまでもないことなので書きません。姉君が思っていたよりも美しいので、少将はその後、人目をはばかりながら通われたのでした。それを父君が聞きつけて、「身分のほどは、不足はないが、なぜそんな心細い人の所に通うのか」と、反対されるので、思うように通うこともままならなくなったのでした。

姉姫君のほうでも、しばらくの間は少将に逢うのを控えていましたが、さすがにそうとばかりもいかないと思ったのでしょう、心を定めて、だんだんと少将になびいていかれるさまは、たいそうかわいらしくまたいじらしかったのでした。昼寝をして寝過ごした折など、姉姫君の顔をご覧になると、たいそう気品があって美しく、見るからに心駆られる風情に見えるのでした。

何ごとにつけても心細く、人目も稀な住いに暮されて、少将の心もあまりあてにはできず、「いつまで続くのかしら」と物思いに耽られる間に、少将の訪れが四五日ないので、「思ったとおりだわ」と心細くなり、袖も濡れてくるのを、「我ながらいつこんな恋心を習ったのかしら」と思い嘆かれるのでした。そして、
  あの人の心が秋の徴のように悲しく思われます、枯れて行くだけの景色のように
こう読んでは、「物思いの手習いになれてしまったわ」などと嘆かれながら、段々夜が更けるので、転寝のつもりで、御帳の前に横になられたのでした。

そこへ少将が、内裏からの帰りだと言って立ち寄られ、戸を叩かれたところ、女房たちは驚いて、妹君を起こし申したうえ、その部屋にお通し申そうとしたところ、少将はすぐに姉姫君の部屋に入って行かれたのでした。そして、「父上の大将の君が無理に誘いますので長谷寺へ参詣していたのですよ」などと語られるうち、あの手習いの和歌をご覧になって
  常磐なる軒のしのぶを知らないままに、枯れゆく秋の景色などと思うのですか
と書き添えてお見せになると、姉姫君はたいそう恥ずかしがってお顔を袖に引き入れられましたが、その様子がたいそうかわいらしくまた子供じみてもいたのでした。

(解説と鑑賞)

この物語は、恋人のスワッピングというべき不道徳な事柄を語ったものである。題名の「思はぬかたにとまりする少將」とは、「思いがけない女と契ってしまう」という意味合いだが、そのとおり、男が相手の女を間違えて契ってしまうばかりか、自分の本来の相手をも、別の男に寝取られてしまうという話なのである。

現代人の感覚からいえば、このようなことは非常に不道徳で人倫に反したように思われるが、平安時代にはそう大袈裟には思われていなかったようだ。というのも、平安時代の婚姻は通い婚と言って、今日のように夫婦が同居しているわけではなく、男が女のもとを訪ねるという形をとっていた。であるから、男が長い間ご無沙汰をしていると、女は男の愛情が薄くなったのかと心配になるし、また、男の不在に付け込んで別の男がモーションをかけてきたりして、男女の婚姻関係は至って不安定だったのである。だから、この物語にあるようなケースは、一般論としてはありえないことではないのであるが、二人の女が姉妹であること、また、その相手の男たちが兄弟のように親しくしていたことなどを考えると、やはりこの物語に出てくる男女の関係は羽目を外し過ぎていると思われないでもない。

男女の関係を整理しておくと次のようになる。まず二人の女が姉妹であること。この姉妹は、生まれは高貴な身分なのだが、両親に先立たれ、後見してくれる者もなく、たいそう心細い暮らしをしている。そこへ、二人の男が絡んでくる。まず、右大將の少将。この男が姉姫のほうに言い寄って結ばれる。ついで、右大臣の少将(権少将とも称される)、この男は妹姫に言い寄って結ばれる。ところでこの二人の少将は、名前も同じで紛らわしいのであるが、続柄も紛らわしい。右大臣の少将の叔母に当たる女性が右大将の少将の母になるのだ。そんなこともあって、右大臣の少将は、右大将の少将と兄弟のように付き合い、右大将の邸に寝泊まりすることもある。スワッピングの舞台になるのは、この右大将の邸なのである。

まず、最初の段では、右大将の少将が、姉妹のことを聞きつけて、姉姫と結ばれるいきさつを語る。




  
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