日本語と日本文化


方丈記(十五)


夫、三界は只心一つなり。心若しやすからずば、牛馬、七珍もよしなく、宮殿、樓閣も望みなし。今さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝ、身の乞食となれる事を恥ずといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれむ。若し人このいへる事を疑はゞ、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば其の心をしらず。閑居の氣味もまた同じ。住まずして誰かさとらむ。

(文の現代語訳)
そもそも、三界のことは心一つ次第である。心がもしも安らかでないならば、牛馬や七珍も役に立たず、宮殿、樓閣に住んでも希望が持てない。今のこのさびしい住まいである一間の庵は、自らこれを愛している。何かのついでに都に出て、身が乞食となることを恥じることがあっても、帰って来てここにいる時には、他人が俗塵にまみれて走り回っているのが気の毒に見える。もし、自分の言っていることを疑う人がいれば、その人は魚と鳥の有様を見るがよい。魚は水にいることに飽きない。魚でなければ其の心はわかるまい。鳥は林にいることを願う。鳥でなければその心はわかるまい。閑居の気味もまた同じことである。閑居してみないで、誰がその趣をわかろうか。

(解説と鑑賞)
この段は、閑居についての結論的な主張である。魚の気持ちは魚でなければわからず、鳥の気持ちは鳥になって見なければわからないのと同様、閑居の赴きも閑居してみなければわからない、そう言って長明は、人々に閑居を勧めているわけである。




  
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