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こいしこいしと申しつたへさせ給へ:日蓮の慈愛


日蓮は生涯におびただしい手紙を書いた。それらは、相手の能力に応じて法華経の教を説いたものだが、そこには日蓮の人間性が強く感じられる。とくに晩年の身延時代に書かれた手紙には、日蓮の慈愛に満ちた人間性が充ち溢れているものが多い。とくに女性に宛てた手紙に、相手の気持ちに寄り添うようなやさしさがある。そうした人間としてのやさしさが、多くの信者、とくに女性をひき付けたのだと思う。ここではそんな日蓮の女性に宛てた手紙をいくつか取り上げ、日蓮の人間性の一端に触れてみたい。

まず、弘安三年(1280)千日尼に宛てて書いた手紙。千日尼は、佐渡流罪中に日蓮の信者となり色々と面倒を見てくれた阿仏坊の妻である。阿仏房は弘安二年の三月に死に、その百箇日後に息子の藤九郎によって遺骨が身延山に納められた。更にその翌年、つまり弘安三年の七月に、藤九郎が再度身延山を訪れた際、日蓮は千日尼への手紙を託した。

手紙の内容は、阿仏坊の冥福を祈り、夫を失った妻の悲しみに寄り添うものである。阿仏坊の冥福については、法華経の功徳によって成仏したことは間違いないと言って、日蓮は千日尼を励ましている。「故阿仏坊の聖霊は今いづくにかをはすらんと、人は疑ふとも、法華経の明鏡を以て其の影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に、多宝仏の宝塔の内に、東向きにをはすと、日蓮は見まいらせて候・・・故阿仏坊一人を寂光の浄土に入給はずは、諸仏の大苦に堕給べし」。阿仏坊のような法華経の信者が成仏しないで、誰が成仏しようかというのである。ここでいう成仏は、即身成仏ではなく、死後における成仏である。成仏した魂が東を向いているのは、釈迦の再来といわれる弥勒仏を拝んでいるからである。

ついで日蓮は、男と妻の深い結びつきを、独得の比喩をもちいて説く。「さては、をとこははしらのごとし、女はなかわのごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみのごとし。羽とみとべちべちになりなばなにをもってかとぶべき。はしらたうれなばなかは地に堕ちなん。いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし。くうじをばたれにかいゐあわせん。よき物をばたれにかやしなふべき。一日二日たがいしをだにもをぼつかなしとをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞもまちくらせどもみゆる事なし。今年もすでに七つきになりぬ」。この後の部分は、日蓮が千日尼の立場に立って語っているところである。その千日尼の嘆きをおもんばかって日蓮はさらに続ける。

「たといわれこそ来らずとも、いかにをとづれはなかるらん。ちりし花も又さきぬ。をちし菓も又なりぬ。春の風もかはらず、秋のけしきもこぞのごとし。いかにこの一事のみかはりゆきて、本のごとくなかるらむ。月は入りて又いでぬ。雲はきへて又来る。この人の出でてかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすらめ。いそぎいそぎ法華経をらうれうとたのみまいらせ給いて、りゃうぜん浄土へまいらせ給いて、みまいらせさせ給うべし」。法華経を受持しておれば、やがて浄土で出会えることがあるはずだと言って、日蓮は千日尼を慰めている。こういうところに日蓮の慈愛とやさしさがあらわれている。

なお、この手紙の冒頭に置かれた端書に、「こう入道殿の尼ごぜんの事、なげき入りて候。又、こいしこいしと申しつたへさせ給へ」とある。どんな事があったのか、よくはわからぬが、こう入道の尼が悲しみに暮れているのに対して日蓮が、自分が同情しているとお伝えください、と言っているのだろう。その同情を日蓮は「こいしこいし」という言葉で表現している。「恋しい」といわれることほど、胸にせまるものはないだろう。その胸にせまる言葉を日蓮は、なにげなく投げかける。そこに日蓮が人をひき付けてやまない秘密があるように思える。

持明院御前に宛てた手紙も夫婦肉親の愛の深さについて説いたものである。「いにしへよりいまにいたるまで、をやこのわかれ、主従のわかれ、いづれかつらからざる。されども、をとこをんなのわかれほど、たとへなかりけるはなし」。この言葉には、夫婦愛こそ人間の愛のもっとも根源的なものだとの日蓮の確信が込められている。

なお、持明院御前は駿河の窪というところに棲んでいたことから、窪尼とも呼ばれていた。その窪尼にあてた手紙には、尼の一人娘への賞賛が書かれている。「故入道殿も仏にならせ給ふべし。又、一人をはする姫前も、いのちも長く、さひわひもありて、さる人の娘なりときこへさせ給べし。当時もおさなけれども、母をかけてすごす女人なれば、父の後世をもたすくべし・・・をやをやしなふ女人なれば、天もまぼらせ給らん。仏もあはれみ候らん。一切の善根の中に、孝養父母は第一に候なれば、まして法華経にてをはす。金のうつわの中に、きよき水を入れたるがごとく、すこしももるべからず候。めでたし、めでたし」。

弘安元年には妙法尼に宛てて書いている。妙法尼の事績は未詳だが、夫の臨終について日蓮に報告したことがあるらしい。その折に日蓮が返事を書いた。妙法尼は夫が南無妙法蓮華経と唱えながら死んだこと、その死に顔は白かったなどと伝えた。それに対して日蓮は、死に顔が白いのは浄土へ迎えられるしるしだといい、また、法華経を唱えながら死んだことは間違いなく成仏できることを保証している。そんな人を夫に持ったあなたは幸せだ、と日蓮は言って、残された妻の悲しみに寄り添っているわけである。「かかる人の縁の夫妻にならせ給へば、又、女人成仏も疑なかるべし。若此事、虚言ならば、釈迦・多宝・十方分身の諸仏は妄語の人、大妄語の人、悪人也。一切衆生をばたぼらかして、地獄におとす人なるべし」

以上ほんのわずかの例を挙げたが、いづれも女性の気持ちに深く寄り沿う日蓮の人柄がにじみ出ている。日蓮がいかに、慈愛と同情に富んでいたか、その人柄がにじみ出てくるのが読み取れるのである。そうした日蓮の人間性あふれる生き方は、「こいしこいし」という言葉に凝縮されている。「恋しい」という言葉ほど、人間の人間に対する素直な気持ちを現わしたものはない。



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