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法華経を読むその十六:如来寿量品


「如来寿量品」第十六は、「従地湧出品」第十五の続きである。「従地湧出品」では、釈迦仏はわずか八十年の間生きただけなのに、無数の菩薩を教化したのはどういうわけか、弥勒菩薩が釈迦仏に問うた。無数の菩薩を教化するには無量の時間を要する。だが釈迦仏が生きて存在したのは八十年間であり、さとりを開いて以降は四十年あまりである。その短い時間に無量の菩薩を教化することができるとは、とても考えられない。弥勒菩薩のこういう疑問に、釈迦仏が答えた内容を記すのが、「如来寿量品」である。

釈迦仏の答えを簡便に言い表せば、仏の本来のあり方は無限の時間にわたるものであるが、方便のために仮に人間の姿をとって一時的にあらわれたということである。仏の方便の姿を、人々は釈迦仏と言って礼拝した。しかしそれは仏の本当の姿ではない。仏の本当の姿は、時間を超越したものであり。また空間を超越したものである、というのが弥勒菩薩の問いへの釈迦仏の答えである。

なぜ、このような方便を用いるのか。釈迦仏はその理由を説明する。もし、本来の姿のままに、常に衆生の近くにいれば、衆生は仏がいつも身近にいることに安心し、それを当然のことと思い、仏には逢い難いと思う心と、恭敬の心を起こすことが無くなるだろう。仏には逢い難いという思いが、衆生をして仏を大事に思わせる。それ故、自分は、滅度すると見せかけて、仏には逢い難しという思いを強めさせるのである。

こうした仏のあり方と、それについての教えを、天台宗では開近顕遠の説と言っている。近きを開き遠きを顕わすということであるが、釈迦仏がこの世に生れてきたという身近な事実を通して、仏の無限の過去にわたる因縁を明らかにするという意味である。似た言葉として、開迹顕本、開権顕実があるが、いずれも意味はほとんど変わらない。

ここで、仏をめぐる開近顕遠の説が、比喩をもって説明される。いわゆる法華経七譬の最後のもの「医子のたとえ」である。医師である父が、遠くへ旅行するにあたって、息子たちのために良薬を残していった。これを飲んで健康を維持した者もいた一方、バカにして飲まない者もいた。父は息子たちのもとに返ると、自分はもうすぐ死ぬだろうと告げて、良薬を飲むことを重ねてすすめた。それでも飲まない者はいた。しばらくして父は、人を介して、父は死んだと告げさせた。父を失ったと思った息子たちは、みな悲しみ、それまで良薬を飲まなかった者も飲むようになった。この譬のうち、父は仏であり、良薬は仏の教えである。息子たちのうちには、父が生きている間は、いつでも飲めると思って、良薬を飲まない者もいたが、父が死んだと思うと、進んで飲むようになった。それと同じで、衆生は仏がいつでもいると思うと、安心して教えを軽視するが、仏とは逢い難いと思うと、進んで仏の教えを受持するのである。



このあと、釈迦仏が偈によって以上の教えを重ねて説く。この偈は、「自我得仏来」から始まるので、「自我偈」と呼ばれる。日蓮宗の法事の際には必ず読まれ、また禅宗でもよく読まれる。

  我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数は 
  無量百千万 億載阿僧祇なり 
  常に法を説きて 無数億の衆生を教化して 
  仏道に入らしむ 爾より来無量劫なり 
  衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現わすも 
  而も実には滅度せずして 常に此に住して法を説くなり 
  我は常に此に住すれども 諸の神通力を以て 
  顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ 

仏が人間の姿をとって現われたのは仮の姿としてであり、その滅度は実は本当の滅度ではない。仏はつねに衆生の近くにいるのだが、方便のために姿を見せないのである。

  衆は我が滅度を見て 広く舎利を供養し 
  咸く皆、恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず 
  衆生既に信伏し 質直にして意柔軟となり 
  一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まざれば 
  時に我及び衆僧は 倶に霊鷲山に出ずるなり 
  我は時に衆生に語る 常に此にあって滅せざるも 
  方便力を以ての故に 滅・不滅ありと現わすなり 
  余国に衆生の 恭敬し信楽する者あらば 
  我は復、彼の中に於て 為に無上の法を説くなり 
  汝等、此れを聞かずして 但、我滅度すとのみ謂えり 
  我諸の衆生を見るに 苦海に没在せり
  故に為に身を現わさずして 其れをして渇仰を生ぜしめ 
  其の心、恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説くなり 

仏は、ふつうは衆生に姿を見せないが、衆生が仏を渇仰し恋慕するならば、その前に姿を現して教えを説くであろう。

  神通力是の如し 阿僧祇劫に於て 
  常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあるなり 
  衆生の、劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 
  我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
  園林・諸の堂閣は 種々の宝をもって荘厳し 
  宝樹には華・果多くして 衆生の遊楽する所なり 
  諸天は天鼓を撃ちて 常に衆の妓楽を作し 
  曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず 
  我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 
  憂怖・諸の苦悩 是の如く悉く充満せりと見るなり 
  是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 
  阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かざるに 
  諸の有ゆる功徳を修し 柔和にして質直なる者は 
  則ち皆、我が身 此にありて法を説くと見るなり 
  或時は此の衆の為に 仏の寿は無量なりと説き
  久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説くなり
  我が智力は是の如し 慧光の照すこと無量にして 
  寿命の無数劫なるは 久しく業を修して得る所なり 

仏が衆生の前から姿を隠している時には、霊鷲山あたりの荘厳な場所にいて、つねに法を説いている。仏を信解するものには、仏の寿命は無量であると説き、たまたま仏に帰依したものには、仏には逢い難しと説く。

  汝等よ、智あらん者は 此に於て疑を生ずることなかれ 
  当に断じて永く尽きしむべし 仏の語は実にして虚しからざること 
  医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に 
  実には在れども、而も死すというに 能く虚妄なりと説くものなきが如し 
  我も亦、為れ世の父として 諸の苦患を救う者なり 
  凡夫は顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う
  常に我を見るを以ての故に 而ち驕恣の心を生じ 
  放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん 
  我は常に衆生の 道を行ずると、道を行ぜざるを知って 
  度すべき所に随って 為に種々の法を説くなり 
  毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 
  無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと

最後に医子の譬えが説かれたうえで、衆生をして速やかに成仏せしめる決意が述べられるのである。



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