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法華経を読むその六:授記品


法華経「授記品」第六は、五大弟子のうち舎利弗の授記に続いて、ほかの四人の高弟に釈迦仏が授記するさまを語る。授記とは、成仏を約束することである。その授記について法華経は、五大弟子のほか多くの修行者にもあいついで行うさまを語る。「五百弟子授記品」においては、富楼那、憍陳如など千二百人に対して、「授学無学人記品」においては、阿難、羅睺羅など二千人に対して、「勧持品」においては、喬答弥、耶輸陀羅など大勢の比丘尼たちへの授記が行われるさまを語るのである。このように大勢の人々が成仏できるというのは、あらゆる衆生には仏性が宿っていて、だれでもそれなりの修行をつめば成仏できるとする法華経の思想の現われということができる。

まず、摩訶迦葉に対して授記がなされる。未来において仏になることを約束するのであるが、それには条件がある。その条件を経文は詳しく語る。来世において三百萬億の仏に仕え、諸仏の大法をのべれば、最後には仏となることができるというのである。このように、厳しい修業を成仏の条件として課すのが、法華経の特徴である。ともあれ、摩訶迦葉の成仏後は、光明如来といい、その仏国土は光徳と言われ、その仏の臨在する時代を大荘厳という。その仏の寿命は十二小劫であり、正法の住する期間は二十小劫、像法の住する期間は二十小劫である。正法とは仏の滅後その教えがまだなまなましく残っている時代、像法とは、まだ教えの余韻が残っているが、その勢いが弱々しくなっている時代。これに対して末法は、仏の教えが滅びた時代をいう。また、劫とは時間の単位で、四十里の大きな城を芥子粒でみたし、百年に一度につき一粒筒取り除いて、全部の芥子粒がなくなる時間を一劫という。要するに気の遠くなるほど長い時間という意味である。

摩訶迦葉への授記を見た他の三人の弟子たちは、自分たちにも授記してくれるように、釈迦仏に懇願する。釈迦仏はその願いに応えて、かれらに順に授記していく。まず、須菩提。須菩提は、三百萬億那由他の仏に仕え、菩薩の道を歩めば、最後に成仏できるとされる。摩訶迦葉と違うところは、使えるべき仏の数が三百萬億から三百萬憶那由他に増えていることと、菩薩の道を歩むことである。仏には必ず菩薩の段階を経てなるのが法華経の基本的な考えなのだが、それを明確に表示したわけである。ともあれ、仏となった須菩提は名相如来と呼ばれ、その時代を有宝といい、その仏国土を宝生という。そこには千萬億那由他の菩薩がいるであろう。また仏の寿命は十二小劫、正法の住する期間は二十小劫、像法の住する期間は二十小劫である。

ついで大迦旃延。大迦旃延は、八千億の仏に仕え、諸仏の滅後五百由旬にわたり供養し、更に二萬億の仏に同様に仕えたのちに成仏するとされる。その名を閻浮金光如来といい、その仏国土には四悪道たる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅の道なく、多くの菩薩によって荘厳されている。仏の寿命は十二小劫、正法の住する期間は二十小劫、像法の住する期間は二十小劫である。

更に大目犍連。大目犍連は、八千の仏に仕え、更に二百萬億の諸仏を供養して後成仏するとされる。その名を多摩羅跋栴檀香如来といい、その仏国土を意楽といい、その時代を喜満という。天、人、菩薩、声聞の数は無量であろう。また、仏の寿命は二十四小劫、正法の住する期間は四十小劫、像法の住する期間は四十小劫である。

以上、五人の高弟に授記したのち、仏はさらに五百の弟子たちにも授記しようと予言する。その様子は、「五百弟子授記品」第八で語られるが、その前に、「仮城喩品」第七がはさまる。「仮城喩品」では、成仏することのいわれというか、因縁が説かれる。それを「授記品」は最後の部分で、次のように予言する。
  其の数五百なるにも 皆当に授記すべし
  未来世に於て 咸く成仏することを得ん
  我及ぴ汝等の 宿世の因縁を
  吾今当に説くべし 汝等よ、善く聴け



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