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嵯峨隆「頭山満」を読む


嵯峨隆の著作「頭山満」(ちくま新書)は、近代日本の右翼運動を中心的に担った政治結社「玄洋社」の指導者頭山満の伝記である。頭山の個人的な経歴を逐年的に追うといった体裁で、頭山の思想の特徴とか、政治結社としての玄洋社の果たした役割などには大した言及がない。だから読者はこの本を読んでも、日本の右翼運動の歴史的な意義とか、それに玄洋社が果たした役割について、明確なイメージを結べるわけではない。頭山という個人が、義侠心にかられた熱血漢だったというような、たいして意味のない評価を聞かされるだけである。

玄洋社といえば、敗戦以前の近代日本の右翼運動そのものであるし、昭和天皇も一目おいていた。広田弘毅が組閣するについては、彼が玄洋社の社員だったことを理由に、そのファッショ的な傾向に懸念を抱いたといわれる。そのような団体であるにかかわらず、玄洋社自体の活動については、ほとんど触れていないに等しい。その一方で、頭山が日本の政界に強い影響力をもち、一民間人にかかわらず、貴顕なみの待遇を受けていたのは、頭山個人というより、玄洋社の力を背景としたからだと思うのだが、この本では、頭山個人のもつ魅力・能力が彼をして日本の行く末を左右するほどの力を持たせたというふうに描かれている。それほどこの本の著者は、頭山満という人間に惚れ込んだようである。

この本がもっとも重点をおいているのは、アジア主義者としての頭山満である。頭山は、宮崎滔天らとともに孫文を支える活動をしたし、また、インドの革命家たちとの交流もあった。頭山のアジア主義とは、アジア諸国が一丸となって、英米の侵略に対抗し、アジアこそが世界の中心になるべきだと主張するもので、日本がそのアジアのリーダーになるべきだというものだった。こうしたアジア主義は、戦前の右翼の多くが共有していたものだったが、その運動の中心に玄洋社がおり、そのリーダーとして頭山がにらみを利かせていたということなのだろう。

頭山のアジア主義は、日本中心の考えであり、日本がアジアの長兄として、中国やインドを従えるべきだというものだった。だから、中国やインドが日本の意向に素直に従わないときには、武力を用いて従わせるべきだということになりかねず、そこから侵略的な傾向が生まれる。頭山が体現していた日本のアジア主義は、平和的というよりも侵略的傾向が強かったというのが、著者の一応の見立てのようである。

頭山には、大した政治的な見識は見られないようだが、アジア主義とか皇国思想といったものは認められる。そうした思想の基盤を、頭山は西郷隆盛から受け継いだ。頭山には、体系的な思想はみられず、きわめてプラグマティックな考え方をしていたようだが、その考え方の大部分は西郷隆盛から受け継いだというのである。アジア主義もその一つである。西郷にも、日本がアジアのリーダーになるべきだという考えがあって、それがかれのユニークな征韓論の背景になるのだが、そうした西郷の考えを頭山が引き継いだというわけである。

著者は、玄洋社と自由民権運動とのかかわりに注目している。自由民権運動については、さまざまな評価が可能であるが、板垣らが中心になった民権派の運動には、権力闘争的な要素が強くみられる。維新を達成した藩閥勢力には、その後日本の権力を握った主流派と、反乱氏族を中心とする抵抗派というべきものの、二つの流れがみられる。玄洋社は、不平士族と深いかかわりがあり、また板垣ら民権派ともつながりがあった。そんなわけで、玄洋社を代表とする日本の右翼運動は、維新という大事件の陰画としての側面を指摘できる、というのが著者の見立てである。もっとも著者は、さらりと触れているだけで、掘り下げた分析は行っていない。

それにしても、一民間人に過ぎなかった頭山満が、日本の政治を左右するほどの影響力を持つようになった原動力はなにか。そこが、この本では十分分析されているとは言えない。


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