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堀幸雄「戦後の右翼勢力」を読む


堀幸雄は日本の右翼研究の第一人者だそうだ。かれが編纂した「右翼辞典」は、いまでも右翼研究にとっての基礎的な情報源になっている。かれは新聞記者出身で、綿密な取材をもとに右翼の実体をわかりやすく解説してくれる。そのかれが1983年に出版した「戦後の右翼勢力」は、戦後日本の右翼の動向を知るには、もっともすぐれた案内書といえる。

堀は日本の戦後の右翼勢力を二つの流れに大別している。一つは戦前からの伝統右翼の流れで、これはテロを伴う暴力と、親米を特徴としている。戦前の右翼は基本的には権力に寄生し、権力の補完勢力としての性格が強かったので、その権力が戦後親米的になれば、右翼も親米的になったというわけである。暴力的な体質は戦前から戦後にかけて一貫している。暴力はかれらの自己表現の最大のポイントだったのである。

それに対して、1970年代以降に新しい右翼の流れが生まれた。これは対米従属を批判し民族自立を主張する。また運動の面においては、暴力的な活動ではなく、大衆を動員することを重視している。この運動が、戦後の右翼の流れの中で次第に主導権を発揮していくというのが堀の基本的な見立てである。

この本は1983年までしかカバーしていないのだが、それでも今日にいたる戦後の右翼の基本的な流れは抑えられている。それを単純化して言うと、暴力を手段にして権力の走狗としての働きをすることから、広く大衆運動を動かし、大衆の力を背景に日本の右傾化を推進していくということだ。伝統的な右翼は権力の使い走りだったが、新しい右翼は権力と一体になって大衆の右傾化を進めようとしている、というのである。

戦後しばらくの間は、日本人は右翼に対して厳しい見方をしていた。だがだんだんと、国民全体が右傾化するようになった。堀は、1970年代半ば頃から日本は低成長時代に入り、そうした時代の背景が国民の右傾化を促したと見ている。中曽根内閣は、そうした流れに乗って公然と右翼的な政策をとるようになった。この本が書かれた1980年代初めの頃には、そうした国民の右傾化が本格的に進んだと堀は見ている。

右翼の活動が公然化して、国民があまり拒絶感を抱かなくなった事態を象徴する出来事として、堀は「嶋中事件」をあげている。これは1960年に、中央公論社の社長を右翼が襲った事件であったが、その事件をめぐり、被害者である中央公論社が、加害者である右翼団体に対して平謝りに誤ったという奇怪な事件だった。謝罪の理由として、中央公論社側は偏向していたことをあげた。以後そうした偏向を正しますので、どうか許して下さいと言って、中央公論社は右翼に屈服したのであった。これは右翼による言論への介入が成功したケースで、右翼にとっては大きな成功体験になった。以後右翼は公然と言論への介入をするようになり、それに対してメディア側は、委縮するようになった。日本の言論界は非常に自己検閲が強いと言われるが、それには嶋中事件のショックが大きく働いているといえる。

1983年の時点ですでに、今日主流にのしあがった新しい宗教右翼の活動が本格化していた。そうした新しい右翼を堀は背広を着た右翼と表現し、伝統的な行動右翼と区別している。新しい右翼の中心的なものとして、堀は「日本を守る会」を上げているが、この会が今日の「日本会議」の母体になった。この会は生長の家を母体にしたものだが、そのほか神社本庁をはじめとした宗教右翼が新しい右翼の流れに加わり、広く大衆運動を繰り広げることで、政権の右傾化を促しているということになろう。

しかし、「守る会」も「日本会議」も、基本的には権力との深いつながりを重視し、その権力が親米である限り、表立って反米自立を主張できない。だが基本方向としては、戦前の明治憲法体制への復古をめざしており、本音は明治憲法的な感覚にたって民族自立をめざすことにあると思われる。

右翼についての堀の見方は、基本的には批判的である。だがジャーナリストの出身ということもあり、取材を基礎にしているため、右翼とは胸襟を開いて話し合う姿勢を保っているようだ。右翼を一方的に批判するのではなく、その言い分にも耳を傾けるという姿勢を貫いているように見える。

なお堀は、日本の右翼の典型的なものとして児玉誉士夫をとりあげ、わざわざ一章を割いてその人物像に迫っている。それは簡略化していうと、児玉は権力に寄生して自利を図るという日本右翼の典型だということになる。右翼の大物として、表舞台に出ることはなく、あくまでも黒幕としてさまざまな事件に介入し、そのことで巨大な利益をあげる、というのが児玉の基本的な生き方である。民事に介入して手数料を稼ぐというのは、日本のやくざ組織のもっとも典型的な行動スタイルだが、そのスタイルを児玉はもっともスマートに演じたというふに堀は見ているようである。


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