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日本会議:日本の右翼その十四


安倍晋三政権による日本政治の右傾化の背後に「日本会議」といわれる団体があることは、近年広く知られるところとなった。日本会議は、さまざまな運動を通じて外側から安倍政権を支えるばかりでなく、政権の中枢にも食い込んで、安倍晋三の極右的な政策を主導していると考えられている。そんな日本会議も、いきなり表舞台に登場してきたわけではない。地味な活動を長く続けてきた結果、極右団体として政治のかじ取りに深くかかわるようになったのである。

ジャーナリストの菅野完によれば、日本会議の源流は1974年に設立された「日本を守る会」である。この団体は、前稿で紹介した新右翼のうち、「全国学協」のメンバーだった人物らが中心になったもので、構成員の大部分は「成長の家」の信者だった。だから極めて宗教色が強く、成長の家のほか、神道系団体や仏教系団体も含んでいた。この「日本を守る会」の活動で特筆すべきものは、元号法制化運動の成功であった。日本を守る会は、その運動をユニークな方法で進めた。地方議会に働きかけて、法制化の請願運動を巻き起こし、その熱気を背景に一気に法制化を実現しようとした。その戦略は功を奏し、元号法は1979年に成立した。

こうした広範な地方勢力を動員するというスタイルは、「日本を守る会」の後続団体たる「日本会議」にも引き継がれた。「日本会議」の中枢は「日本青年協議会」という右翼団体が牛耳っているが、その団体は、全国学協のメンバーが中心となったもので、みな成長の家の信者たちであった。つまり、成長の家は、新右翼の中核部隊として活躍し始めて以来、日本の右翼運動の中核を担うようになったと言ってよい。

「日本を守る会」が「日本会議」に衣替えしたのは、1997年のことだ。「日本会議」は、広範な右翼団体を包含していたが、事務局の中枢は「日本青年協議会」のメンバーが牛耳っており、したがって成長の家に由来する思想を抱いていた。成長の家の教祖谷口雅春は、古いタイプの天皇制国家論者である、男女差別とか優勢保護思想を抱き、また近隣諸国に対しては攻撃的な姿勢をとっていた。「日本会議」の中枢にいるメンバーも、ほぼそうした思想を持っていたわけである。

日本会議が最初にとりかかった課題は、教科書を書き直して愛国教育を普及させることであった。そのため、「あたらしい歴史教科書を作る会」などが組織された。「作る会」の主要メンバーは、漫画家の小林よしのりを始め、かならずしも「日本会議」と深い関係があるものばかりではないが、高橋史郎のような成長の家の出身者が含まれており、なんらかの形で「作る会」の方向付けに「日本会議」が影響を及ぼしたことは考えられる。

日本会議はまた、憲法改正に強い意欲を見せた。彼らは改憲ではなく「反憲」を唱え、現憲法の全面否定を主張したが、みずから憲法草案を提示することはなかった。かれらは「美しい日本の憲法を作る国民の会」なるものを組織し、まったく新しい憲法をつくることを訴えたが、その具体的なイメージついて明らかにすることはなかった。

「日本会議」にかわって安倍政権のために憲法アジェンダを用意したのは、「日本政策センター」である。これは安倍晋三に強い影響力を持つといわれる伊藤哲夫が中心となったもので、「日本会議」のように「反憲」を唱えるのではなく、あくまでも改憲としたうえで、その主要項目として、緊急事態条項の追加、家族保護条項の追加、自衛隊の国軍化をあげた。いづれも安倍改憲の方向と同じ方向をめざしている。なお、この伊藤哲夫という人物も、菅野によれば、成長の家出身者だということである。

とまれ、このような改憲論議は、明治憲法の復活を思わせるものだ。だが、安部晋三自身は、あくまでも現行憲法を前提としたうえで、その足りない部分を補うのだといっている。

以上見てきたとおり、安倍政権の動きに象徴される近年の日本の右傾化は、成長の家の出身者によって担われてきたことになる。成長の家は、熱心な信者を多数抱えていて、「日本を守る会」の運動を、実働部隊として支えていた。しかし教祖の谷口雅春が死んだあと、右翼運動から距離を置くようになると、「守る会」やその後続部隊「日本会議」は、成長の家を運動の手足として使えなくなったために、大衆動員のための他の方法を編み出さずにはおれなかった。それは、権力の中枢に深く食い込む一方、地方の草の根保守ともいえる部分を動員して、一見して高まっているかに見える右翼的な世論を利用するといったものだった。

そんなわけで、今日の「日本会議」は、保守政権への影響力の拡大に努める一方、地方議会やネトウヨとよばれるような新たな勢力と組みながら、日本全体の右展開に大いなる野心を燃やしているといえよう。


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