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吉備津の釜(三):雨月物語


 正太郎今は俯して黄泉をしたへども招魂の法をももとむる方なく、仰ぎて古郷をおもへばかへりて地下よりも遠きこゝちせられ、前に渡りなく、後に途をうしなひ、昼はしみらに打ち臥して、夕々ごとには塚のもとに詣でて見れば、小草はやくも繁りて、虫のこゑすゞろに悲し。

 此の秋のわびしきは我身ひとつぞと思ひつゞくるに、天雲のよそにも同じなげきありて、ならびたる新塚あり。こゝに詣る女の、世にも悲しげなる形して、花をたむけ水を潅ぎたるを見て、あな哀れ、わかき御許のかく氣疎きあら野にさまよひ玉ふよといふに、女かへり見て、我が身夕々ごとに詣で侍るには、殿はかならず前に詣で給ふ。さりがたき御方に別れ玉ふにてやまさん。御心のうちはかりまいらせて悲しと潸然となく。

 正大郎いふ。さる事に侍り。十日ばかりさきにかなしき婦を亡なひたるが、世に残りて憑みなく侍れば、こゝに詣ることをこそ心放にものし侍るなれ。御許にもさこそましますなるべし。女いふ。かく詣でつかふまつるは、憑みつる君の御迹にて、いついつの日こゝに葬り奉る。家に残ります女君のあまりに歎かせ給ひて、此の頃はむつかしき病にそませ玉ふなれば、かくかはりまいらせて、香花をはこび侍るなりといふ。正太郎云ふ。刀自の君の病ひ玉ふもいとことわりなるものを、そも古人は何人にて、家は何地に住ませ給ふや。女いふ。憑みつる君は、此の國にては由縁ある御方なりしが、人の讒にあひて領所をも失ひ、今は此野の隈に侘しくて住ませ玉ふ。女君は國のとなりまでも聞え玉ふ美人なるが、此の君によりてぞ家所領をも亡し玉ひぬれとかたる。

 此の物がたりに心のうつるとはなくて、さてしもその君のはかなくて住ませ給ふはゝちかきにや。訪らひまいらせて、同じ悲しみをもかたり和さまん。倶し玉へといふ。家は殿の來らせ給ふ道のすこし引き入たる方なり。便りなくませば時々訪はせ玉へ。待ち侘び給はんものをと前に立ちてあゆむ。

 二丁あまりを來てほそき徑あり。こゝよりも一丁ばかりをあゆみて、をぐらき林の裏にちいさき草屋あり。竹の扉のわびしきに、七日あまりの月のあかくさし入りて、ほどなき庭の荒れたるさへ見ゆ。ほそき燈火の光り窓の紙をもりてうらさびし。こゝに待たせ玉へとて内に入りぬ。苔むしたる古井のもとに立て見入るに、唐紙すこし明けたる間より、火影吹きあふちて、黒棚のきらめきたるもゆかしく覺ゆ。

 女出で來りて、御訪らひのよし申しつるに、入らせ給へ、物隔てかたりまいらせんと端の方へ膝行り出で給ふ。彼所に入らせ玉へとて、前栽をめぐりて奧の方へともなひ行き、二間の客殿を人の入るばかり明けて、低き屏風を立て、古き衾の端出て、主はこゝにありと見えたり。正太郎かなたに向ひて、はかなくて病にさへそませ給ふよし。おのれもいとをしき妻を亡なひて侍れば、おなじ悲しみをも問ひかはしまいらせんとて推して詣で侍りぬといふ。あるじの女屏風すこし引きあけて、めづらしくもあひ見奉るものかな。つらき報ひの程しらせまいらせんといふに、驚きて見れば、古郷に殘せし磯良なり。顔の色いと青ざめて、たゆき眼すざましく、我を指したる手の青くほそりたる恐しさに、あなやと叫んでたをれ死す。


(現代語訳)
正太郎は、今は伏して冥土にいる人を慕っても、死者の魂を呼び戻す法もなく、故郷を仰ぎみてもそこは地下より遠く思われて、前に進むこともならず、後呂に下がることもできず、昼はひねもす打ち伏し、夜ごとに塚のもとに詣でてみれば、小草が早くも繁って、虫の声が何となく悲しく聞こえる。

この秋のわびしさはわが身ひとつと思っていると、他にも同じ嘆きの人はいて、妻の塚の隣に新しい塚があった。ここに詣でる女が、世にも悲しげな風情で、花をたむけ水を注いでいるのを見て、正太郎が「ああお気の毒に、あなたのような若い方が人気のない荒野をさまようとは」と言うと、女は顧みて、「わたしが毎夕ここに詣でますと、あなたさまが必ず先に来ていらっしゃいます。大事なお方と死に別れなされたかと、お心のうちをお察し申し上げます」と言って悲しそうに泣いた。

正太郎は言った。「そのとおりなのです。十日ほど前に大事な妻を失ったのですが、一人取り残されて心細く思い、ここに詣でることで心の慰みにしているのです。あなたもさぞ同じような事情なのですね」。すると女は、「このように詣でますのは、ご主人様のお墓でして、いついつの日にここに葬りました。家に取り残された女君があまりお嘆きになられるうえ、最近は難しい病気にかかりましたので、わたしがこのように代って香華を手向けている次第なのです」と言う。正太郎は、「奥様が病気になられたのはもっともなことです。そもそもご主人はどのような方で、家はどこに住まわれているのですか」と言ったところ、女は、「ご主人様はこの国では由緒ある家柄のお人でしたが、人の誹りにあって所領をうしない、この野の隅にわびしく住まわれておりました。女君は隣国まで聞こえる美人でしたが、この女君のためにご主人は家も所領も失ってしまったのです」と語った。

正太郎はこの話に心が引かれたというわけではないが、「さて、その女君の住んでおられるのはここから近いのですか。お訪ねして、同じ悲しみを語り慰めてさしあげましょう。お連れください」と言う。女は、「その家はあなたのいらした道をすこし横に入ったところにあります。女君は心細くいらっしゃるので時々お訪ねください。お待ちしております」と言って前に進んでゆく。

二丁あまり来ると細い道があった。そこからさらに一丁ほど歩いて、小暗い林の裏に小さな草屋があった。わびしい竹の扉に、七日目の月が明るくさし入り、狭い庭の荒れた様子が見える。細い灯火が障子の窓から漏れているのがうら寂しい。女は、ここでお待ちください、と言って家の中に入った。正太郎が苔むした古井戸のそばに立って見ていると、唐紙をすこしあけた隙間から、火影が吹き零れて、黒棚がきらめいているのがゆかしく見える。

女が家から出てきて、「あなたが訪ねて来ましたことを申し上げましたところ、女君は、どうぞお入りください、物越しに語り合いましょうといって、端のほうへいざりながら出てまいりました。あちらのほうへお入りください」と言いつつ、前栽をめぐって奥のほうへ伴いゆき、二間の客殿の入口を人が入るくらいに開けたところ、低い屏風を立てて、古い衾の端がそこから出ているのが見えたので、女君がそこにいるのだと思われた。正太郎はそちらのほうへ向かって、「はかなくも病気になられたそうですね。わたしもいとしい妻をなくしましたので、同じ悲しみを語りあいたいと思い、こうしてやってまいりました」と言う。主の女君は屏風を少し引きあけて、「不思議な縁であいましたね。つらい報いのほどを思い知らせてやろう」と言う。驚いて見れば、それは故郷に残してきた磯良である。顔色がたいそう青ざめ、目はどろんとして、自分のほうを指差しているその様子の恐ろしさに、正太郎は、ああ、と叫んで失神した。


(解説)
死んだ遊女の塚の隣にあった新しい塚がきっかけとなって、正太郎はその塚に葬られたという男の未亡人に会いにゆく。そのへんの描写は「牡丹灯記」のなかでの侍女の手引きの部分や、源氏物語のなかの表現を取り入れていると指摘されている。とくに源氏物語の援用は、男女の不幸な愛を描くうえで効果を発揮していると思われる。

正太郎は当然、美しい未亡人にあう期待を抱いてその家に導かれていった。しかし正太郎が目にしたのは、自分が故郷に捨ててきた妻磯良のすさまじい姿だった。その風貌を秋成は、「顔の色いと青ざめて、たゆき眼すざましく、我を指したる手の青くほそりたる恐しさ」と描写している。今日的な言い方で言えば、ゾンビということになろうか。

自分が捨てた女がゾンビのような醜悪な姿となって、自分に指をさし、お前に復讐してやると宣言するわけであるから、言われた正太郎の驚きがどれほどのものだったか。秋成は、正太郎が、ああ、と叫んで失神したと書くことで、そのダメージの大きさを表現している。


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