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仏法僧(二):雨月物語


 御廟のうしろの林にと覺えて、仏法々々となく鳥の音山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの啼く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此山に栖みつるとは聞しかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清淨の地をえらみてすめるよしなり。上野の國迦葉山、下野の國二荒山、山城の醍醐の峯、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よくしれり
  寒林獨坐草堂曉  
  三寶之聲聞一鳥  
  一鳥有聲人有心  
  性心雲水倶了々  
又ふるき歌に
  松の尾の峯静かなる曙にあふざて聞けば佛法僧啼く

 むかし最福寺の延朗法師は世にならびなき法華者なりしほどに、松の尾の御神此の鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ傳ふれば、かの神垣にも巣むよしは聞こえぬ。こよひの奇妙既に一鳥聲あり。我こゝにありて心なからんやとて、平生のたのしみとする俳諧風の十七言を、しばしうちかたふいていひ出でける
  鳥の音も秘密の山の茂みかな

 旅硯とり出して御燈の光りに書つけ、今一聲もがなと耳を倚くるに、思ひがけずも遠く寺院の方より、前を追ふ聲の嚴しく聞えて、やゝ近づき來たり。何人の夜深けて詣で玉ふやと、異しくも恐しく、親子顏を見あはせて息をつめ、そなたをのみまもり居るに、はや前駆の若侍橋板をあらゝかに踏みてこゝに來る。おどろきて堂の右に潛みかくるゝを、武士はやく見つけて、何者なるぞ、殿下のわたらせ給ふ。疾く下りよといふに、あはたゝしく簀子をくだり、土に俯して跪くまる。程なく多くの足音聞ゆる中に、沓音高く響きて、烏帽子直衣めしたる貴人、堂に上り玉へば。從者の武士四五人ばかり右左に座をまうく。

 かの貴人人々に向ひて、誰々はなど來らざると課せらるゝに、やがてぞ參りつらめと奏す。又一群の足音して、威儀ある武士、頭まろげたる入道等うち交りて、禮たてまつりて堂に昇る。貴人只今來りし武士にむかひて、常陸は何とておそく參りたるぞとあれば、かの武士いふ。白江・熊谷の兩士、公に大御酒すゝめたてまつるとて実やかなるに、臣も鮮き物一種調じまいらせんため、御從に後れたてまつりぬと奏す。はやく酒肴をつらねてすゝめまいらすれば、万作酌まゐれとぞ課せらる。恐まりて、美相の若士膝行りよりて瓶子を捧ぐ。かなたこなたに杯をめぐらしていと興ありげなり。


(現代語訳)
御廟の後ろの林と思われるが、仏法々々と鳴く声がこだまとなって近くに聞こえる。夢然は目が覚めたような心地がして、ああめずらしい、その泣き声は仏法僧という鳥らしい。かねてこの山に住んでいるとは聞いていたが、まさにその声を聞いたという人もいないのに、今宵ここでその声が聞けたのは滅罪生善の祥か。あの鳥は清淨の地を選んで住むという。上野の國迦葉山、下野の國二荒山、山城の醍醐の峯、河内の杵長山などだ。中でもこの山に住むということは、大師の詩偈にもあるので、よく知られている。
  寒林獨坐草堂曉  寒林に獨坐す草堂の曉
  三寶之聲聞一鳥  三寶の聲一鳥に聞く
  一鳥有聲人有心  一鳥聲有り人心有り
  性心雲水倶了々  性心雲水了々たり
また古歌にも次のようなものがある。
  松の尾の峯静かなる曙にあふざて聞けば佛法僧啼く

昔最福寺の延朗法師は世に並びなき法華者だったので、松の尾の御神がこの鳥を常に延朗に仕えさせたと言い伝えられている故、あの松の尾の神域にも住んでいると知られる。今宵奇しくもその声を聞いた。これが感動せずにおられようか、と夢然は言って、平生たしなんでいる俳諧風の十七言を、しばし口に出して読んだ。
  鳥の音も秘密の山の茂みかな

旅硯を取り出して御燈の光で紙に書き付け、もう一声聞きたいと耳を欹てていると、思いがけず遠い寺院の方角から、先払いをする声が聞こえてきて、それがやや近づいた。どなたがこんな夜更けに詣でなされるのかと、奇しくも恐ろしく、親子顔を見合わせて息をつめ、そちらを見守っていると、はやくも前駆の若侍が橋板を荒々しく踏みながらこちらに来る。驚いて堂の右手に隠れたところを、武士がすぐに見つけて、何者だ、殿下が渡らせたまうのだ。早く下りて来い、と言う。親子はあわただしく板敷きを下り、地面に伏してうずくまった。程なく多くの足音が聞こえてくるなかで、靴の音が高く響き、烏帽子直衣を召した貴人が堂に上がったので、従者の武士四五人ほどがその左右に座を占めた。

あの貴人は人々に向かって、誰それはどうして来ないのかと尋ねていたが、すぐに参るでしょうと従者が答える。また一群の足音がして、威儀ある武士や頭を丸めた入道が打ち混じってうやうやしく堂に上がった。貴人はいま来たばかりの武士に向かって、常陸はなぜ来るのが遅かったのだと言うと、その武士は、白江・熊谷の両人が公に酒を参らせようとしておりましたので、わたしも新鮮な魚などをあつらえようとしていました故、遅れたのでございます、と答える。そして酒肴を連ねてお勧めしたので、貴人は、万作酌をせよと命じられる。言われたものはかしこまっていざり寄り、瓶子を捧げる。あちこちに杯をめぐらせてたいそう賑やかになった。


(解説)
親子がお堂の板敷きに上って通夜をしていると、鳥の鳴き声が聞こえる。仏法僧と鳴いている。これは非常にめでたい鳥で、これが鳴くのはここが霊地だからだ。そう思った父親の夢然は、日頃たしなんでいる俳句に、その感動を読んだ。

そこへ貴人を中心に武士や坊主などの一団がやってきて、お堂の板敷きに座を占めた。ここから、貴人一同と親子との不思議なやりとりが始まる。

仏法と鳴く鳥は、仏法僧といって、ふくろうの仲間である。筆者も聴いたことがあるが、この話の中で言われているような珍しい鳥ではない。名前が抹香じみているので、このように大げさな言い方になったのだろう。


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