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菊花の約(三):雨月物語


 あら玉の月日はやく經ゆきて、下技の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶<にほ>ひやかに、九月にもなりぬ。九日はいつよりも蚤<はや>く起出て、草の屋の席をはらひ、黄菊しら菊二枝三枝小瓶に挿し、嚢をかたふけて酒飯の設けをす。老母云ふ。かの八雲たつ國は山陰の果にありて、こゝには百里を隔つると聞けば、けふとも定めがたきに、其の來しを見ても物すとも遲からじ。左門云ふ。赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ。其人を見てあはたゝしからんは思はんことの恥かしとて、美酒を沽ひ鮮魚を宰て厨に備ふ。

 此の日や天晴れて、千里に雲のたちゐもなく、草枕旅ゆく人の群々かたりゆくは、けふは誰某がよき京入なる。此の度の商物によき徳とるべき祥になんとて過ぐ。五十あまりの武士、廿あまりの同じ出立なる、日和はかばかりよかりしものを、明石より船もとめなば、この朝びらきに牛窓の門の泊りは追ふべき。若き男は却<けく>物怯して、錢おほく費やすことよといふに、殿の上らせ玉ふ時、小豆嶋より室津のわたりし玉ふに、なまからきめにあはせ玉ふを、從に侍りしものゝかたりしを思へば、このほとりの渡りは必ず怯ゆべし。な恚<ふつくみ>玉ひそ。魚が橋の蕎麥ふるまひまをさんにといひなぐさめて行く。口とる男の腹だゝしげに、此の死馬は眼をもはたけぬかと、荷鞍おしなほして追もて行く。午時もやゝかたふきぬれど、待つる人は來らず。西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも、外の方のみまもられて心醉へるが如し。

 老母、左門をよびて、人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきはけふのみかは。歸りくる信だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも何をか怨むべき。入りて臥しもして、又翌の日を待つべしとあるに、否みがたく、母をすかして前に臥せしめ、もしやと戸の外に出て見れば、銀河影きえぎえに、氷輪我のみを照して淋しきに、軒守る犬の吼ゆる聲すみわたり、浦浪の音ぞこゝもとにたちくるやうなり。

 月の光も山の際に陰くなれば、今はとて戸を閉て入んとするに、たゞ看るおぼろなる黒影の中に人ありて、風の随<まにまに>來るをあやしと見れば赤穴宗右衞門なり。

 踊りあがるこゝちして、小弟蚤くより待ちて今にいたりぬる。盟たがはで來り給ふことのうれしさよ。いざ入らせ玉へといふめれど、只點頭<うなづき>て物をもいはである。左門前にすゝみて、南の窓の下にむかへ、座につかしめ、兄長來り玉ふことの遲かりしに、老母も待ちわびて、翌こそと臥所に入らせ結ふ。寤させまいらせんといへるを、赤穴又頭を搖りてとゞめつも、更に物をもいはでぞある。

 左門云ふ。既に夜を續ぎて來し玉ふに、心も倦み足も勞れ玉ふべし。幸に一杯を酌みて歇息ませ給へとて、酒をあたゝめ、下物<さかな>を列ねてすゝむるに、赤穴袖をもて面を掩ひ、其の臭ひを嫌放<いみさく>るに似たり。


(現代語訳)
月日は早く過ぎ、下技の茱萸の実が色づいて、垣根の野菊が匂やかに、九月となった。その九日はいつもより早く起きて、あばら屋を掃除して黄菊や白菊を二つ三つ小瓶にさし、財布をはたいて酒飯の備えをした。老母は、「あの出雲という国は山陰の果にあって、ここからは百里も離れているという、だから今日来るとは限らない。来てから用意を始めても遅くはないだろうに」と言うのだが、左門は、「宗右衛門は誠実な武士ですからきっと約束を破ることはいたしますまい。その姿を見てから慌てて用意するのはたいそう恥ずかしい」と言って、美酒を買い鮮魚を料理して備えたのだった。

この日はよく晴れて、見渡すかぎり雲もない。旅を行く人々の語るのを聞いていると、「今日は誰某が京入りする日だから、いい商売ができるだろう」と言うものがいる。また五十あまりの武士が二十歳ばかりの同じ格好の武士に向かって、「こんなにいい天気だから、明石から船に乗っていたら、今朝のうちには牛窓に着いていただろうに、お前のような若い者ほど物怖じして、かえって余分な銭をつかうことになる」と言っている。若者は「殿が御上洛なさったさい、小豆嶋より室津へ渡る時に、大変な目にお会いになったとお供のものからお聞きしておりましたので、このあたりで船に乗るのは誰でも物怖じします。そんなに腹をおたてにならないでくださいまし。魚の橋についたらそばを御馳走しますから」と言い慰めながら先へ進む。馬子は腹立たしそうな様子で、「この死馬は目もあけておれぬのか」と言いながら、荷鞍を整えつつ馬を追ってゆく。しかし午後になっても、左門の待つ人は来ない。やがて日は西に沈み、宿へと急ぐ人の姿を見るにつけても、外の様子ばかりが気になって、心が酔ったような気持がしたのであった。

老母は左門を呼んで、「人の心が秋の空のように変わりやすいものではないにしても、菊の花が咲いているのは今日だけではない。帰ってくる気持ちさえあれば、時が過ぎていったとしても、何の恨むことがありましょう。中に入って休み、また明日を待てばよい」と言う。左門は否みがたい気持ちで、母親をなだめて先に寝かせ、自分はもしやと外に出てみると、銀河も消えぎえになって、月が自分だけを照らしているようで、軒を守る犬の声も闇に澄み渡って聞こえ、浦波の寄せる音がすぐそばに聞こえてくるのだった。

月が山際に隠れて暗くなったので、今はと戸を閉めて家の中に入ろうとすると、暗闇の中に人がいて、風のまにまにやってくるのを見れば赤穴宗右衞門であった。

左門は躍り上がる心地がして、「朝早くからお待ちしておりました。約束どおり来られたことのうれしさよ、さあ中にお入りください」と言ったところが、赤穴はただ頷くばかりで何も言わない。左門は前に進んで、南の窓の下に赤穴を迎え、そこに座らせて、「あなたが来るのが遅かったので、老母は待ちわびて、明日を期待しながら床に就きました。起こしてまいりましょう」と言うと、赤穴は頭を振りながら制止しつつ、一向ものを言わないでいる。

左門は、「日に夜をついで来られ、さぞお疲れでしょう、酒を用意してありますので一杯召し上がってお休みください」と言いながら、酒を温め、肴を進めた。赤穴は袖で顔を覆い、自分の匂いを忌み避けているように見えた。


(解説)
いよいよ重陽の節句の日である九月九日がやってきた。左門は、朝から酒や肴の支度をして宗右衛門の来るのを待つ。だが宗右衛門はなかなか来ない。それを待ちわびる左門の気持を秋成は、左門の心理を描写するのではなく、道行く人々の会話を通じて何気なくほのめかす。彼らの会話を聞くともなく聞いているうちに、時はたち日が暮れようとする。

待ちわびる左門に老母は、そんなにいらいらしないで気楽な気持でいなさいとさとす。明日と言う日もあるではないか、というのだが、左門にはそんな言葉は聞こえない、宗右衛門との約束を信じて、ただひたすらに待ちわびる。そのへんは、原作となった中国の小説を流れている儒教的な世界観よりも、当時の日本人の信義にたいする姿勢が強調されているのだと思う。

ついに左門の前に宗右衛門が現れる。宗右衛門は自分の匂いを忌み避けているように見える。宗右衛門が忌み避けているのが自分の死臭だということが、やがて明らかになる。


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