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蛇性の婬(八):雨月物語


 明けの日大倭の郷にいきて、翁が惠みを謝し、且つ美濃絹三疋、筑紫綿二屯を遺り來り、猶此のものゝけの身禊し玉へとつゝしみて願ふ。翁これを納めて、祝部らにわかちあたへ、自らは一疋一屯をもとゞめずして、豐雄にむかひ、かれ、なんじが秀麗にたはけてなんぢを纒ふ。なんぢ又、かれが假の化に魅はされて丈夫<ますらを>心なし。今より雄氣してよく心を靜まりまさば、此らの邪神を逐<やら>はんに翁が力をもかり玉はじ。ゆめゆめ心を靜まりませとて実<まめ>やかに覺しぬ。豐雄夢のさめたるこゝちに、禮言尽きずして歸り來る。金忠にむかひて、此の年月かれに魅はされしは己が心の正しからぬなりし。親兄の孝をもなさで、君が家の覊ならんは由縁なし。御惠みいとかたじけなけれど、又も參りなんとて、紀の國に歸りける。

 父母太郎夫婦、此の恐ろしかりつる事を聞きて、いよゝ豐雄が過ならぬを憐み、かつは妖怪のしうねきを恐れける。かくて鰥にてあらするにこそ、妻むかへさせんとてはかりける。芝の里に芝の庄司なるものあり。女子一人もてりしを、大内の宋女にまゐらせてありしが、此の度いとま申し玉はり、此の豐雄を聟がねにとて、媒氏をもて大宅が許へいひ納る。よき事なりて即<やがて>因みをなしける。かくて都へも迎ひの人を登せしかば、此の采女富子なるものよろこびて歸り來る。年來の大宮仕へに馴れこしかば、萬の行儀よりして、姿なども花やぎ勝りけり。豐雄こゝに迎へられて見るに、此の富子がかたちいとよく萬心に足ひぬるに、かの蛇が懸想せしこともおろおろおもひ出づるなるべし。

 はじめの夜は事なければ書かず。二日の夜、よきほどの醉ごゝちにて、年來の大内住に、邊鄙の人ははたうるさくまさん。かの御わたりにては、何の中將宰相の君などいふ、添ひぶし玉ふらん、今更にくゝこそおぼゆれなど戲るゝに、富子即面をあげて、古き契りを忘れ玉ひて、かくことなる事なき人を時めかし玉ふこそ、こなたよりまして惡くあれといふは、姿こそかはれ、正しく眞女子が聲なり。

 聞くにあさましう、身の毛もたちて恐しく、只あきれまどふを、女打ちゑみて、吾が君な怪しみ玉ひそ。海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ玉ふとも、さるべき縁のあれば又もあひ見奉るものを、他人のいふことをまことしくおぼして、強ちに遠ざけ玉はんには、恨み報ひなん。紀路の山々さばかり高くとも、君が血をもて峯より谷に潅ぎくださん。あたら御身をいたづらになし果て玉ひそといふに、只わなゝきにわなゝかれて、今やとらるべきこゝちに死に入りける。屏風のうしろより、吾が君いかにむつかり玉ふ。かうめでたき御契なるはとて出るはまろやなり。見るに又腰を飛ばし、眼を閉ぢて伏向に臥す。和めつ驚しつかはるがはる物うちいへど、只死に入りたるやうにて夜明けぬ。


(現代語訳)
翌日大和の里に行って、翁の恵みに感謝し、かつ美濃絹三疋、筑紫綿二屯を贈って、なおこの物の怪の取り付いた身を清めたまえと懇願した。翁は贈り物を納めて、祝部らに分け与え、自分では一疋一屯も取らなかった。そして豊雄に向かって、「邪神はおぬしの美貌に惑っておぬしにとりついたのじゃ。おぬしもまた物の怪に惑わされて正気を失った。今後気をたしかに持っていれば、この邪神を追い払うにわしの力は無用じゃ。ゆめゆめ気を確かに持ちなさい」と言ってまめやかに諭した。豊雄は夢が覚めた心地になって、礼の言葉を尽くして帰ってくると、金忠夫婦に向かって、「この年月あれに惑わされたのは自分の心が正しくなかったためです。親兄への孝行も尽くさず、あなたの家のやっかいになっている理由はありません。お恵みはたいへんありがたいですが、また参りましょう」と言って、紀州に帰ったのだった。

父母や兄夫婦は豊雄の恐ろしかったことを聞いて、いよいよ豊雄の過ちではなかったことを憐れがり、また妖怪の執念深さを恐れた。そうして独身だからこうなるのだと、妻を迎えさせようとした。芝の里に芝の庄治というものがあった。女子が一人いて、宮廷の采女として参上させていたが、このたび暇を賜り、この豊雄を婿にしたいと、仲人をたてて大宅のもとへ言ってきた。大宅ではそれをよいこととしてすぐ婚約を取り結んだ。こうして都に迎えの者をやると、この采女の富子も喜んで帰って来た。年来宮仕えをしていたので、万事にわたって行儀よく、容姿も華やいで優れていた。豊雄がその家に迎えられてゆくと、この富子の容貌が気にいって満足するうちにも、あの蛇に懸想せれたことなどを思い出さないわけではなかった。

初夜のことは、たいしたことも起きなかったので記さない。二日目の夜、豊雄がいい具合に酔い心地になって、「年来宮仕えをして、田舎者は退屈じゃろう。あのあたりでは、何の中将とか宰相の君とか言う人と添い寝をされたのじゃろう、いまさら焼かれる思いじゃ」などと戯れたところ、富子は顔を上げて、「古い契りを忘れて、こんなつまらない女をちやほやなされるのは、あなた以上にその女が憎い」と言った。それは姿こそ変っているものの、まさしく真女児の声であった。

それを聞くとぞっとして、身の毛もよだって恐ろしく、ただうろたえているのを、女は笑いながら、「旦那様、怪しがらないでください。海に誓い山に盟約したことを早くも忘れたとしても、相当の縁があるからこそ又お会いできましたものを、他人のいうことを真に受けて、無理にも私を遠ざけようとなさるなら、恨んで仕返しをします。紀路の山々があんなに高くとも、あなたの血を峰から谷に注ぎ下しましょう。ご自分の命を無駄になさいますな」と言う。豊雄はただわななき続け、いまにも殺されるかと思って気絶したのだった。そこへ屏風のうしろから、「旦那さまはどうしてそんなに恐れるのですか、こんなにめでたい契りですのに」と言って出てきたのはまろやである。それを見ると豊雄はまた腰を抜かし、目を閉じてうつぶせに伏した。真女児とまろやは、なだめたり嚇したりして、かわるがわる言葉をかけたが、豊雄はただ死んだようになったまま夜が明けた。


(解説)
翁の神通力のおかげで、真女児から解放された豊雄は、親元へ帰った後、芝の里の庄治の家へ婿入りすることとなる。その家には富子という美しい娘がいて、内裏の采女として参上していたが、暇を貰って実家に帰るに当たって、娘の両親が豊雄を婿に欲しいと言ってきたのだ。大宅の両親たちはこの話を喜び、豊雄のために婚儀を執り行った。

こうして富子と夫婦となった豊雄だが、考えもよらなかったことが起った。実は、消えたと思っていたあの真女児が、富子に取り付いていたのだ。婚礼の二日目の夜、富子の姿を借りた真女児と、まろやとは豊雄の前に現れ、豊雄を仰天させる。

豊雄が婿入りした芝の里は、和歌山県の田辺市にあり、近くには道成寺がある。秋成は原作と道成寺伝説を結びつける為に、ここを持ち出したのだと思われる。


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