三粋人経世問答
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三粋人経世問答:小泉・金正日日朝会談を語る


無覚先生:北朝鮮による拉致被害者問題を解決するために、小泉元総理が北朝鮮を電撃訪問し、金正日と直談判したのは2002年のことだった。その結果何人かの被害者が日本に返されることになって、小泉さんの株は大いに上がった。だが横田めぐみさんを始め、多くの被害者の消息が明らかにされていないという世論の声に押されて、小泉さんは2004年に再度北朝鮮を訪れたが、その折にはあまりはかばかしい成果は得られなかった。いづれにせよこれらの訪問を通じて、拉致被害者問題が動き出し、一方では北朝鮮を六者協議の枠組みに引き出すという成果につながったことはたしかだ。今回NHKが、これまで極秘とされてきたこれらの会談の内容を放送していたが、お二人ともご覧になりましたか。

俄然坊居士:見ましたよ。でも極秘資料という割には、内容は今まで世間に流布しているものとそう変わりはなかったんじゃないでしょうかね。もし新しいものがあったとしたら、小泉一行の目的が、拉致被害者問題と並んで、あるいはそれ以上に、北朝鮮を国際交渉の枠組みに取り込もうとする意図にあったということが明らかになったことくらいですね。特に二回目の交渉は、テレビで見る限りでは、国際社会への復帰を求めることが前面に出ていましたね。

静女史:わたしは金正日の人間性に興味をそそられましたわ。とくに二回目の時にはそれが良く出ていたと思います。金正日としては、折角日本側の要求に応えて被拉致者を返してやったのに、日本側は感謝するどころかますます要求をエスカレートさせる。またアメリカとの関係についても、自分たちはアメリカからの脅威に備え、自衛のために核やミサイルを開発しているのであって、その脅威がないとわかっていれば、そんなものに頼る必要はない。こんな理屈を振りかざしながら、かなり感情的にもなっていましたね。一国の政治指導者としては、ちょっと幼すぎるという印象を受けました。

無覚先生:第一回目の会談が行われた2002年当時は、北朝鮮が国際的な孤立を深めていた時期だったと思うんだ。アメリカはアフガニスタンやイラクへの攻撃を仕掛ける一方で、北朝鮮を悪の枢軸と非難していた。北朝鮮としては、このままではイラク同様、いつ体制を破壊されるかわからない、そういった恐怖心を抱いていたことは確かだろうね。その恐怖心が、日本の差し伸べた手を受け入れ、国際交渉への参加を考えるきっかけになったとともに、他方ではアメリカからの攻撃に対する抑止力として、核に固執させた、そうした心理的な背景が、金正日の顔色から、ちらりとわかったような気がするね。

俄然坊居士:第二回目の会談を見ると、小泉さんと金正日の話し合いは、どうもまともな話し合いになっていないですな、小泉さんが六者協議への復帰を繰り返し呼びかけているのに対して、金正日は国の自衛権を滔々と述べ立てるといった具合で、議論がかみ合っていない。時間もわずか90分という限られたもので、しかもその後半部分は金正日の一方的な主張に終始した。とても国の最高責任者の間の首脳会談の姿とはいえない。

無覚先生:それは国家間に信頼関係が欠けていることの、端的な現われなんだろうね。また体制の相違が、両者の相互理解を妨げたとも言える。日本は民主主義国家として、世論というものが大きな意味を持つ、それに対して北朝鮮は、金正日という個人の意向が貫徹する全体主義国家だ。その金正日にとって最も重要なことは、自分の独裁体制が保証されることだ。金正日にとって国家とは自分自身のことなのだから、国際社会へ復帰するに当たっては、自分自身の安全が保証される必要がある、ところがアメリカはその安全を保証しようとはしない、自分を悪の枢軸呼ばわりしているのが、その証拠だというわけだろうね。

俄然坊居士:しかし北朝鮮側の対応を見ていると、どうもかつての日本を思い出しますな。日本も外交が苦手なことは、世界の大国として威張れるものではない。これは長い間に培われてきた島国根性からいまだ脱却できてないからだと思います。あの元寇の際の北条政権の対応などは、実にお粗末なもので、隣の超大国である元をきちんと理解したうえで、それに対して国として適切な外交を進めようとする考えが全くなかった。元から何度も派遣されてきた外交官を、次々と追い返したり、問答無用で殺してしまったりしたわけですから。まったく乱暴な話だが、いまの北朝鮮はお粗末な外交という点では、北条政権と似たようなものですよ。

無覚先生:それも体制が国民に対して鎖国を強いているから出来ることだろうね。日本にしても、鎖国こそしていないが、先の大戦で負けるまでは、指導者の精神構造は文化的鎖国ともいうべきものに彩られていた。そうした状況では近代的な外交などありえようはずもなかった。戦後においても、長い間アメリカの保護に慣れきって、自主的な外交ができていたとはいえなかったと思うんだ。

静女史:たしかにそうですね。番組の中で外務省の高官がいっていましたが、日本はいまだに主体的な外交ができないでいる、北朝鮮をめぐるアメリカの重要な政策決定に、いまだに深く関われないでいる、節目の政策決定が行われるごとに日本は常に蚊帳の外に置かれていたと、嘆いていましたものね。そうした日本側の弱さを、金正日なりに見抜いていたんじゃないかしら。金正日が小泉さんを見る目は、日本の首相としてよりも、ブッシュ大統領からの使いを見るようでしたもの。

無覚先生:いずれにしても、この小泉訪朝の外交上の成果が北朝鮮を六者協議に引き込むことだったことは確かだろうね。六者協議はいまのところ頓挫したような形になっているが、やはり今後にわたって北朝鮮を国際的な枠組みに取り込む装置としては、これ以外には見当たらないのが現状だ。この枠組みを用意したのだから、この訪朝の意義は大きかったといえる。ある意味で、日本が始めて主体的な外交をした、そういう記念すべき首脳会談だったのではないか、そうも思えるね。

静女史:ところでひとつ気になることがありましたの。この会談には、あの阿部さんも同席していて、その折の感想を述べてらっしゃいましたが、その内容がひっかかったんですよ。阿部さんは金正日の顔色を伺っていて、彼が以外に気が弱いと見て取ったというんです、だからこちらも相手の気の弱さを逆手にとることができるんじゃないか、そんなふうなことをいってましたが、これはちょっと問題発言ね。外交交渉は人間同士が行うものだから、そこに当事者の個人的な事情が絡まってくるのはある意味当然とは思いますけれど、それに頼るようなやり方は正道ではないと思うわ。

俄然坊居士:まあ、阿部さんは北朝鮮に対する強硬姿勢を売物に国民の支持を掴んで、首相になったわけでしょう。自分の強硬姿勢がうまくいくと思ったのが、女史がいうような金正日に対する彼自身の見立てにもとづいていたとしたら、確かにお粗末だ。

無覚先生:ともあれ、良きにつけ悪しきにつけ、この小泉訪朝が日本外交の曲がり角になったことは、今後さらに検証されていくだろう。

俄然坊居士:民主党は自民党時代以上に自主外交を進めるといっていますが、是非国益を大事にしてもらいたいものです。



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