日本語と日本文化
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漂流する日中関係


日中両国は、海によって隔てられているとはいえ、隣国同士としての長い関係を持ってきた。もっとも国家間の公式な関係は意外と少ない。日本が国家として積極的に中国と付き合ったのは、聖徳太子の時代から平安時代の前期100年ほどまでのほぼ300年のことで、菅原道真のときに遣唐使の派遣が停止されてからは、日本が国家として公式に中国の政府に接近することはほとんどなかった。足利義満が日本国王を名乗って中国の王朝にコンタクトしたのは、例外的なことである。徳川時代には、両国間の民間貿易は黙認というかたちで許されたが、幕府が正式に外交の窓口を開くことはなかった。

そんなわけであるから、日中両国の関係の歴史はわりあい淡白だったといえる。これは、日本が中国から大きな影響を受けてきたことを考えると、意外なことに思える。日本は文化的には中国を師と仰いだが、政治的には極力中国の影響を排除してきたのである。そういう日中間の関係が、近代以降に大きな影を落とすことになった。近現代の日中関係は、一時期をのぞいてはかんばしいものではなかったのだが、それは日中間の疎遠ともいえる政治的な関係の歴史を踏まえているのではないかと思われる。

近代の日中関係は、幕末に徳川幕府が千歳丸を上海に派遣したことから始まる。これは貿易の実益追及ということもあったが、西洋の洗礼を受けた中国の現状を把握したいという目的もあった。同じように欧米の圧力にさらされていた日本としては、一足先に欧米に侵食されていた中国を視察することで、今後の国の方向を考えたいという意向が強くあったのである。その視察の印象を、長州藩士高杉晋作が書き残しているが、それを読むと、強い危機意識が伝わってくる。欧米によって食い物にされている中国の現状を見るにつけても、日本として国をあやまたないようにする覚悟が必要だと思われたのである。こうした危機意識は、徳川幕府が倒れ、維新政府が成立したあとでも、日本の政治的リーダーたちによって共有された。富国強兵をはかり、欧米に太刀打ちできるような国づくりに励むというのが、新しい時代の日本のリーダーたちの合言葉になったのである。その際に中国は、日本にとっての反面教師としての役割を持たされた。

明治日本は、驚くべき速度で富国強兵の国作りに成功し、ついには日清戦争に勝利するまでになった。日本は、欧米によって押し付けられた不平等条約を、今度は中国に対して押し付ける立場になった。それ以来日本は、中国に対して抑圧者として振る舞い続けた。近代以降の日中関係はしたがって、日本による一方的な中国侵略の歴史と言ってよかったのである。その侵略は、日中戦争の勃発によって全面的なものに発展した。だが日本は野望を遂げることはできなかった。それどころか、莫大な犠牲を払って無条件降伏を迫られたのである。その降伏の相手には、中国も含まれていた。

だが日本の指導層には、中国に敗北したという意識は希薄だったといえる。日本が負けたのは、欧米の連合国の諸国、特にアメリカに対してであって、中国に負けたわけではない。たしかに法的には中国に降伏した形にはなったが、それはアメリカに降伏したことの反射的効果というべきものだった、という意識が強かった。だから戦後中国との間に正式な関係を樹立しようという意識も弱かった。日本は台湾の国民党政府と交渉することで、中国全体を相手に戦後処理を終えたというような擬制を作り上げたほどである。

その日本が、中国と正式な関係を樹立するのは、1971年以降のことだ。それも日本独自の意思からというよりは、アメリカ政府の中国政策の変化に付き合うという形のものだった。中国のほうも、対ソ関係の悪化とか、近代化への希求とかさまざまな要因が重なって、日本との関係改善に応じた。ともあれ日中両国は歴史上初めて対等の外交関係を結んだわけである。それからしばらくの間は、日中両国は良好な関係を続け、蜜月と呼ばれるほどだった。だがその関係もわずか20年ほどしか続かなかった。日中関係は再び悪化し、21世紀に入ると過激な様相を呈するようになる。その背景には色々な要因がからんでいる。尖閣諸島問題など領土をめぐる対立が強調されるが、それだけではない。なんといっても、両国の間で歴史認識に大きな違いがあり、それが両国の相互理解を阻害している。

中国としてみれば、日本は中国に対してひどいことをしてきた歴史についての認識とそれについての反省が足りないということになる。そういう対日本観が官民を通じて共有されている。中国の民衆は、戦後ほとんど政治にコミットすることがなく、日中の国交正常化も、毛沢東や周恩来などほんの一部の政治家の独断で決められたという事情がある。ところが最近、民衆も政治にコミットするようになると、日本への指導層の対応がなまぬるいという批判が民衆レベルで高まるようになった。それにあわせて指導部も日本批判を強めるようになる。それには中国の国力の高まりという事情もある。いまや中国は、日本を抜いて世界第二の経済力を持つ大国である。その大国意識がナショナリズムの高まりをうながし、それが日本への批判を声高にさせている要因となっている。

一方、日本についていえば、一応過去のことを反省し、謝罪した上で、中国の近代化に協力してきたという意識を官民とも持っている。だから中国がことあるごとに日本批判をくり返すのはフェアではないと思っている。もっともエズラ・ヴォーゲルのように日本に好意的な外国人でも、日本の反省は十分ではなかったと指摘するものがいる。たとえば、中国は国交正常化の条件として賠償を持ち出すことはなかったが、そのことを重視する日本人はほとんどいない。これは相手に対してフェアな態度とはいえない、と日本を批判している。

そんなわけで、いまだに日中両国が胸襟を開いて理解しあう関係になれないのは、歴史認識をめぐって齟齬があるためだ、ということができるのではないか。ともあれ、日中関係が険悪なことは、両国民の相手国へのイメージ悪化にあらわれている。日本がきらいな中国人、中国がきらいな日本人、そのどちらも史上最高の数字を示している。隣国同士として、これは異常なことであると言わねばならない。

その異常な関係は、漂流という言葉が相応しいほどだ。漂流とは、行き先がないままにただよい続けることをいう。今の日中関係は、まさに行き先の見えないままに、互いに罵り合っているように見える。それに尖閣諸島などの領土問題もからまり、非常に危険な状態である。いつ爆発しないとも限らない。爆発とは武力衝突のことだ。日中間で武力衝突が起こると、とんでもないことになりそうである。領土問題をめぐる対立はただでさえホットになりがちなところに、日頃両国民が憎みあっている事情が重なれば、コントロールがきかない事態に陥る恐れが強い。

それでも今のところ、日中は決定的な対立までには至っていない。両国をつなぎとめているのは、経済関係の密接さだ。中国にとっての日本、日本にとっての中国、どちらも不可欠の存在になっている。この関係が将来に向って強化されていけば、対立を和らげる要因として働くだろう。それに文化的な交流をからませ、日中両国がさまざまな部面で協調しあう関係が作られれば、対立はいっそうやわらぐだろう。その場合気になるのは、アメリカの存在だ。アメリカはトランプの時代に、中国との間でデカップリングを進め、バイデンに代わっても対中警戒をゆるめないようだが、それに日本が従うと、中国との間の対立要因を自ら高めることになる。そこはやはり、日本としての最低限の自主性を追求すべきだろう。



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