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尖閣諸島をめぐる日中対立の激化:近現代の日中関係


2010年に中国は日本を抜いて世界第二の経済大国になった。そのことは中国人のプライドを高めた。中国は長い間西洋諸国によって抑圧され、二流国の扱いを受けてきたが、いまはかつての世界大国としての面目を取り戻しつつある、そのような意識が多くの中国人を捉えた。その意識に支えられたナショナリズムは、日本との間に、ややもすれば敵対的な関係を作り出した。2010年9月に起きた中国漁船の尖閣諸島周辺海域における海上保安庁巡視船への衝突事件は、そうした対立を激化させるものだった。

この事件は、中国の民間の漁船が、日本の巡視船に故意に衝突し、日本側を徴発することを意図したものだといわれた。船長は酒に酔っていた。日本はその漁船を拿捕し、船長はじめ船員たちの身柄を拘束した。それに対して中国側は、船長と船員たちの即時釈放を要求した。当時の日本政府は民主党政権であったが、民主党政権は党内の権力闘争に忙しく、また外交も苦手であった。そんなわけで、中国側の要求にずるずると妥協し、船員の釈放に続いて船長まで釈放した。しかもその釈放について政府としての主体性を発揮せず、あたかも検察が独自の判断で釈放したというような言説を撒き散らした。政府はあずかり知らぬと言わんばかりであった。そんな民主党政府には、国民の間に批判が高まった。民主党政権が短命に終わり、なかなか復権できないでいることには、この時に見せた弱腰な姿勢が国民に強い反感を持たせた事情が大きく働いている。

民主党政権が弱腰になった背景には、中国側における官民上げての反日キャンペーンがあった。2005年の反日暴動以上の規模の暴動が各都市でおき、その暴動を背景に中国政府は日本批判を強めた。中国との関係悪化を恐れた民主党政権は、あたかもその批判に屈するような印象を振りまきながら、中国への実質的な譲歩を重ねたのである。

翌2011年3月に、東日本大震災と福島原発事故が発生すると、日中の対立は一時的に和らいだ。中国側が、四川大地震への日本の支援に対する見返りとして、多大な支援を行ったので、それを機会として政府間の協力関係が復活し、野田首相が中国訪問するというようなこともあった。

ところが、2012年に日本側が尖閣諸島の国有化に踏み切ると、対立は再び激化した。この国有化問題の背景には、日本国内の政治的な対立が働いていた。当時東京都知事だった石原慎太郎は右翼的な言動で知られた政治家であり、中国への侮蔑意識を隠さなかった男である。その石原が、尖閣諸島を都が買い上げると打ち上げた。石原は日頃尖閣諸島への施設建設などを通じて、実効支配を強めることを主張していたので、もし東京都が尖閣を所有する事態になれば、中国との間で深刻な対立に発展することが大いに考えられた。石原もまた、そうした対立が深まることを狙っていたようだ。そこで野田首相は、政府として事態をコントロールするためには、都ではなく政府が尖閣諸島を所有したほうがよいと判断し、国有化に踏み切った。中国も日本国内の複雑な事情を理解してくれるだろうと期待してのことだった。

ところが中国は予想外の反発をした。中国政府の日本批判は高まり、それに呼応して各地で大規模な反日暴動が発生した。それ以来、日中両国民の相手国への反感は高まる一方だった。

2012年には、日中両国で指導者の交代があった。11月に習近平が中国の、12月には安倍晋三が日本の、それぞれ最高指導者となった。習近平は、中国の国力の高まりを背景にして、中国の夢を語り始め、中国人のナショナリズムに訴えた。一方安倍は、中国の政治的影響力をそぎ、日本こそがアジアのリーダーであると主張したかった。そこでインドや東アジア諸国を巻き込んで中国包囲網を作り、中国を政治的に孤立させることに取り組んだ。一方習近平は、一帯一路政策を押し出して、中国経済の覇権をめざした。南シナ海の実効支配を強める一方、尖閣諸島周辺への警備船の派遣など、東シナ界においても覇権の確立をめざす動きを見せている。そういう動きの中で、日中間の政治的な対立はエスカレートしていったが、経済的な関係は損なわれることはなかったといえる。経済的な関係の深まりは、両国間の人の往来に強く反映している。中国から日本を訪れた人の数は、2012年の約140万人から2018年には830万人にまで激増しているのである。

じっさい日本経済は中国経済と深く結びついており、生産の面でも市場の確保という面でも、中国の存在無しではやっていけない状態である。アメリカでトランプ政権が誕生し、中国に対して敵対的な姿勢をとるようになると、日本も一定の影響を受けて、中国依存のあり方から脱却しようとする動きも見られるようになったが、全面的に関係を断ち切るというわけにはいかない。安倍晋三が習近平を国賓として招く決断をしたことは、日本経済にとって持つ中国の重要性を認識してのことである。

安倍晋三の中国観には、日本の伝統的支配層の中国観が反映していると思われる。日本の伝統的な支配層は、日本こそがアジアの中心であり、中国はマイナーなパートナーだという意識を共有している。その中国が、日本をしのぐ経済力を持つようになっても、政治的な分野においてはまだまだ日本が先進国だ。その先進国としての立場から、中国を手なずけ、日本がアジアのリーダーになるべきだとの考えがある。その考えが、いい意味でのリーダーシップに結びつけばよいのだが、悪い方向に進んでいくと、深刻な日中対立に結びついていく可能性が強い。

安倍晋三の後をうけた菅義偉は、安倍ほどイデオロギー的ではないが、対米従属の立場にはかわりはなく、その立場から中国に対して対立的な姿勢を見せている。一方習近平は、対米関係においても強気な姿勢を見せているので、日本が対立姿勢を見せれば、それに対応した形で、一層の対立姿勢を見せることになるだろう。今後の日中関係にとっては、波高しといったような不安定な時代が続くのではないか。



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