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笑われる西行:西行伝説


西行には、たてだてしさや奇怪でいかがわしい側面と並んで、人から笑われるようなおどけた一面もあった、と高橋英夫は指摘する。高橋は、柳田国男を引用しながら、日本全国に西行をめぐる伝説が流布し、それらの多くで西行が地元の人に笑われたり、自分の高慢振りを批判されて閉口する話が出てくると言う。それらの話を引用しながら、西行がこのように多くの土地の伝説に出てくるようになったのは、西行が放浪の旅の人だったこととかかわりがあるとほのめかしている。

放浪の人にまつわる話といえば、折口信夫の「貴種流離譚」が有名であり、柳田にも「貴人の流寓」という概念があるが、西行の場合にはそうした概念は当てはまらないと高橋は言う。貴種あるいは貴人というのは英雄として表象されるが、西行には英雄の面影はない。西行は放浪の途次さまざまな土地を訪れ、そこで英雄的な行為をして土地のものに深い感銘を与えるというのではなく、放浪の途上土地のものと問答をして、土地のものから笑われるというパターンが圧倒的である。高橋はそうしたイメージの西行を、土地のものにとってのよそ者として笑われることで、土地のものに自分の郷土への誇りをもたせるための媒介役みたいな役割を演じさせられているとして、西行の英雄性ではなく、トリックスター性を強調している。

日本の伝説には、九州地方を中心に各地に伝えられてきたキチエモンあるいはキッチョム伝説とか、西日本一体で普及してきた一休さん伝説など、トリックスターをテーマにしたものがある。トリックスターの最大の特徴は、大げさな言い方をすると、価値の転倒を通して既存の秩序を笑い飛ばし、そのことを通じて社会の再生を展望する、というところにある。西行の場合にも、そうしたトリックスターとしての特徴が見られる、というのが高橋の「笑われる西行」論から浮かび上がってくる構図だ。もっとも西行の場合には、訪れた土地の社会秩序を転倒するというよりも、そこの住民に笑われることを通じて、その社会の連帯を強めるような役割を持たされていると高橋はいうのだが。つまり、「笑われる西行は、地霊もしくはその化身としての土地の幼児や女から笑われることで、自らはかりそめにも衆庶のレヴェルに立ち、土地との和解をもたらすのだ」と言うのであるが。

そこで、高橋が紹介している「笑われる西行」の例をいくつか見てみよう。まず、安芸の宮島に伝わる伝説で、西行と老女とのやりとりをテーマにしたものである。これを柳田が紹介している文章を、高橋が引用しているものだ。

「西行法師と応酬した歌の相手が、女性であったといふ例もいくつかあります。例へば安芸の宮島にある西行戻し、是は老女に逢うて路を尋ねたところが、何のいらへも無く行過ぎようとするので
  うつせみのもぬけの殻にこと問へば山路をさへに教へざりけり
といふ一首を詠ずると、老女は微笑して、『もぬけのからが』と言はなければならぬと言ったので、忽ち閉口して去ったともうします」

ここで言及されている歌は西行の歌集に見えないので、伝説の語り手が勝手に作ったものと思われる。そういう歌で笑われる西行というのは、これは歴史的に実在した人物というよりは、伝説を飾る架空の人物として観念されていたことを物語るといってよいだろう。西行というイメージが一人歩きして、伝説の中の笑い種となっているわけである。

ついで、伊勢の雲出川の寺に西行が参詣した際に、子どもが道端の木に上ったのを見て西行が「さる稚児と見るより早く木に登る」と口ずさんだところ、子どもが「犬のやうなる法師来れば」と下の句をつけたという話を紹介しているが、これも歌を通じて西行を笑い飛ばそうとするものだ。

以上の話は、西行が流離先の土地のものによって、よそ者と観念されながら、どこかしら土地との和解を媒介するものとも期待されているという高橋の仮説を裏書するような例といえよう。

高橋はまた、「西行くどき」という木やり歌を紹介している。

  ヤレ西行が西行が
  諸国修行に出るとて
  尾張の国に聞こえたる
  熱田の宮にさすらひて
  かほど涼しき宮立を
  誰があつ田とつけつらん
  そこで明神御返歌に
  ヤレ西行よ西行よ
  御身の名をば西へ行くと書きつるに
  東へ行くは是も西行の偽か

ここでの西行は、人間ではなく土地の神と対話しているということになっている。歌そのものは他愛ないものだが、熱田明神と対話させられるというのは、西行が一歌人としてでなく、もっと宇宙論的な意味合いを持たされていたことを意味する。


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