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冬の歌:山家集を読む


山家集の冬の部には八十七首の歌が収められており、夏の部の八十首より多い。古今集では、冬の部はわずか二十九首で夏の部の三十四首より少なく、また万葉集では冬の歌は非常に少ないことに比べると、西行は比較的冬に感じることがあったといえなくもない。

山家集の冬の部は、古今集同様雪を歌ったものが多いが、そのほかには、落葉、枯草など秋の名残を惜しむものが多い。万葉集や古今集の歌に春の訪れを願うものが多いのと対照的といえる。

落葉を歌った歌としては、
  道もなし宿は木の葉に埋もれてまだきせさせる冬籠り哉(山494)
これは、道も見分けられないほどに我が宿の周りに落葉が積り、はやくも冬篭りをせまることよ、と歌ったもので、落葉に冬支度をうながされる気持を込めたものだ。

西行にとっては、冬は隠遁に相応しい季節と観念されたようだ。それゆえ、西行の冬の歌には隠遁の寂しさを歌ったものが多い。たとえば、
  おのづから音する人ぞなかりける山めぐりする時雨ならでは(山502)
これは、隠棲している自分のところには、ときおり山をめぐってくる時雨以外には訪れるものもないと歌ったもので、隠遁生活の寂しさを冬ごもりの孤立した暮らしに重ね合わせたものだ。

西行は隠遁生活の寂しさをかこつばかりではなく、時折は誰かが訪れてきて、その無聊を慰めて欲しいとも歌っている。たとえば、
  さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵並べん冬の山里(山513)
これは、自分のようにさびしさに堪えている人があれば、是非自分の隣に庵を結んで欲しい、二人で無聊を慰めあおうではないか、というような気持を歌ったものだ。寂しさをかこつばかりでなく、それを紛らわす為に、積極的に友を求めているわけだ。

この歌は、古今集の次の歌を踏まえていると言われる、
  山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草も枯れぬと思へば(古315)
この歌は、人目も離(か)れ草も枯れた山里のさびしい暮らしを強調しており、その点では隠遁者の生活ぶりを歌ったものと言えるが、同じく隠遁を歌っても、西行は隠遁のさびしさを紛らわすために、人のぬくもりを求めているわけである。

同じような歌をもう一つ、
  花も枯れもみじも散らぬ山里はさびしさをまた訪ふ人もがな(山557)
これは、花も枯れもみじも散ってしまったこのさびしい山里に、是非誰か訪れて欲しいと歌ったもので、人恋しさがいっそうストレートに現れている。

こうみると西行は、僧形の身として隠遁には親しんでいたはずなのに、隠遁の孤独を喜ぶよりは、その無聊をかこつ気持のほうが強かったように伺われる。


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