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浄土と桜:西行を読む


  願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃(山77)
これは西行の歌の中でもっとも有名なものの一つだ。生涯桜を愛した西行が、生涯の終わりにも桜を眺めながら死んでゆきたい、と歌ったものだと解釈されるのが普通で、西行の純粋な美意識がこもったものだと受け取られてきた。この歌に、単なる美意識を超えて、西行の浄土信仰が込められていると解釈したのは吉本隆明である(西行論)。

西行は真言宗の僧侶であったが、彼の生きた時代は浄土信仰が最初の高まりを見せた時代で、天台や真言といった既成の宗派を越えて浄土信仰が広がっていた。西行の真言信仰がどれほどの深みをもっていたか、それはなんともいえないが、彼が同時代の多くの仏教者なみに、浄土への信仰を持っていたことは明らかだ、と吉本は推測する。この歌はそうした浄土観の西行なりの現われではないかと言うのである。

それ故、「花の下にて春死なん」とは、「花の下に座って、じかに息をとじて、成仏したいという意味にうけとれる」と吉本は言う。この場合の花とは「浄土の花であり、しかも西行にとっては桜の花に変幻していたといってよかった」。吉本はこうも言うのだが、桜がなぜ浄土の花に変幻したのか、その詳しいいきさつまでは言わない。詳しいいきさつをいわずに、いきなりそうと断定するのは、吉本に限らず日本の物書きの癖のようなものだ。

ただ先人たちには、桜の花の散り際がよいことに着目して、そこに人の心を騒がせるような、ある種のはかなさを感得する感性はもっていた。在原業平の有名な歌
  世の中にたえて桜のなかりせばはるの心はのどけからまし
はそうしたはかなさの感情を逆説的に歌ったものである。

以上を前提にすれば、西行が桜の花に異常に拘った理由も見えてくるような気がするだろう。たとえば次のような歌、
  このもとの花にこよひはうづもれてあかぬこずゑをおもひあかさん(山124)
これは、花の下で旅寝の夜を明かそうと歌ったものだが、いくら桜が好きでも、好きという以上の特別の感情がなければ、このような気持になれるわけはない。その特別の気持とは、桜を浄土の花だとすれば十分に理解できる。

また、次のような歌
  ほとけにはさくらの花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば(山78)
これは、自分の死後弔ってくれる人があるなら、その際には是非さくらの花を供えてもらいたいと歌っているのだが、これも桜の花を浄土の花だとすれば、西行の気持は十分に理解できるのである。

  もろともにわれをも具して散りね花憂き世をいとふ心ある身ぞ(山118)
これは、散りゆく桜に向かって、どうせ散るなら自分の心も道連れにして連れて行ってくれ、と呼びかけているものだが、こういう呼びかけは、散りゆく花の行き先が浄土であるという前提のもとで始めてよく理解できるものだ。ただやみくもに、桜とともに自分も散りたいと願うのは愚かというものだろう。

  よしの山花のちりにしこのもとにとめし心はわれをまつらん(聞1453)
これは前の歌の趣旨を違う角度から読んだものだ。散ったあとでも木の下にとどまっている落花はたぶん自分の心を待っていてくれたのだろうと歌っているのである。

こうした西行の桜への異常なこだわりとその背後に働いている浄土信仰が、これら一連の歌から伝わってくる、そう吉本は言うのだが、あながち的を外れた見方ではないかもしれぬ。


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