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花の歌:西行を読む


花と言えば桜、というほどに、日本人にとって桜は特別な花である。だが神代の昔からそうだったかと言えば、必ずしもそうとは言えないようである。万葉集には多くの花が歌われているが、そのうち最も多いのは秋に咲く萩で百四十二首、その次は梅で百十九首が歌われている。これに対して桜は四十六首である。数が少ないだけではない、万葉集で単に花と言えば、梅をさすのが殆どである。ということは、万葉の時代までは、梅が最も日本人に愛された花であり、桜はそうでもなかったということになる。

桜は古来日本に自生する花であり、梅が漢土から渡ってきた外来種であるにかかわらず、万葉の時代の日本人が桜よりも梅を愛したらしいことは意外といえよう。

古今集になると、梅を歌った歌二十首に対して桜を歌った歌は五十五首になり、桜が梅をしのぐようになる。だが歌の数が多いからといって、桜が梅に代わって花のシンボルになったわけでもなさそうだ。それは紀貫之の次の有名な歌からも何となくわかる。
  人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
この歌は梅とも桜ともいわずただ花とのみ言っているが、その花とは梅であることが詞書からわかる。それには次のようにある。
 (はつせにかうづるごとに、やどりける人の家に、ひさしくやどらで、ほどへてのちにいたりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはある、といひいたして侍れば、そこにたてたりける梅花ををくりてよめる)

つまり古今集の時代になっても、たんに花と言えば梅のことをさしていたわけである。

単に花と言って桜が連想されるようになるについては、西行が決定的な役割を果たしたと思われる。山家集などに収められた歌で単に花とのみある歌はおびただしいが、それらはいずれも桜をさしている。これについてはいろいろな要因が働いているようであるが、中でも桜に込めた西行の特別の思いが、人々の心を深く捉え、自分の思いを西行のそれに重ねながら桜の花を見るうちに、自然と花と桜が重なって見えるようになったのではないか。

そんな西行の思いを桜に込めた歌をいくつか取り上げよう。まず、
  花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける(山68)
これは、桜の花を見ると、わけもなく心が苦しくなるという切ない気持を歌っている。桜は心の苦しさを呼び出すようなものとして、つまり自分の心の動きの相関者として捉えられている。このように、花を人の心の動きの相関者として捉えることは前例がないとはいえないが、西行の場合には、それを桜の見方の常道として前景化したと言える。桜は単に見られる対象から、わが心に働きかける精神的な相関者となったわけである。

西行は若い頃に出家して、この世の未練を投げ捨てたはずだった。ところが桜の花を見るとそのたびに心がうずくのは、未練が断ち切れずに残っているためだ。そう西行は嘆いたに違いない。
  花にそむ心のいかで残りけん捨てはててきと思ふ我身に(山76)
これはそうした嘆きを歌ったものだ。だが西行はその未練をわざわざ断ち切ろうとして無駄な努力をしたわけではなかった。桜を見るとそのたびに次のような心境になったからである。  
  長閑なれ心をさらにつくしつつ花ゆゑにこそ春は待ちしか(山82)

つまり毎年桜の花が見たくて春の来るのが待ち遠しいと歌っているわけである。桜の花は西行にとって生きるうえで欠かせないもの、つまり心の相関者となっているわけである。


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