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カミカゼ解散か?行き倒れ解散か?:もう一つの心情倫理


10月14日の国会の党首討論で、野田総理大臣が自民党の安倍総裁に向かって啖呵を切り、特例公債法案と衆議院の定数改正について一定の協力をすると約束すれば、16日にも解散すると明言した。このことを巡って様々な反響が伝えられている中で、英誌エコノミストはこれを"カミカゼ解散"と名付けて、そのむちゃくちゃぶりをあてこすっているが、いったい誰にとっての神風なのかは明らかにしていない。このいかにも日本的なやり方が、イギリス人の目には"カミカゼ"のように映っただけなのかもしれない。筆者などは、"行き詰まり解散"あるいは"行き倒れ解散"とでもいいたいところだ。

いま、野田民主党内閣の評判が最低な状況に陥っていることは明らかなことだ。だからいま解散することは、戦術上不利であるばかりか、場合によっては壊滅に近い打撃を蒙る事さえ予想される。そんな時に、自分の方から解散話を持ち出すことは、イギリス人の目には理解しがたい事態なのだろう。日本人の筆者にとっても、全く理解を超えた事柄だ。

戦術上解散の時期でないことが明らかなだけではない。国民生活にとっても、議会には当面やるべきことが沢山あるのであり、何も今すぐ解散する必要はないのである。第一、今現在の衆議院は定数のあり方を巡って憲法違反の状態にある。そんな状態の中で解散をしても、そもそも選挙が無効であったということになりかねない。違憲状態を整理してから解散するのが筋なのであり、そのためには、自民党はじめ野党の諸君も協力するのが筋なのである。

それなのに、こんな時期に解散を明言した野田総理の真意はどこにあるのか。これもかまびすしく憶測されている。一番まともそうな憶測は、野田総理は先日自公両党の党首との間で約束した「近いうちに解散します」という言葉にこだわったのだというものだ。正直が売り物の野田さんとしては、他人様からうそつき呼ばわりされるのが一番応える。そこで、いちいち見栄を張って解散風を吹かせたということなのかもしれない。

しかし、もしそうだとしたら、随分とけち臭い話だ。正直を重んじる心意気には敬意を表しないわけではないが、正直さも時と所をわきまえなければ滑稽に陥る。いまがその、政治家として時と所をわきまえるべき状況なのだ。

そんな時に自分の信条にこだわる政治家は、マックス・ウェーバーがいった心情倫理を重んじる政治家と言えよう。心情倫理を重んじることは大いに結構だが、その結果政治家としての責任を放棄することになれば、それはもう一つの倫理である責任倫理に悖るものだ。ウェーバーは、責任倫理こそ政治家が最も重視すべきものだといった。

そうはいっても、解散を先送りすることでどんな事態が生じるかはわからない。もしかしたら、今よりもっと悪い事態に陥ることもありうる。たとえば民主党内の野田降ろしが加速して、手に付けられない状態になり、一気にレームダック化が進行する事態などだ。

野田さんは、そうなることを恐れたのかもしれない。ならば、今のうちに解散して、たとえ民主党は沈没しても、自分の政治生命には生き残りの可能性を残しておこう、そう野田さんが考えたとしても、別に不思議ではない。




  
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