日本語と日本文化


チキンレースはどこを目指すのか


最近の日本の政治はどうも袋小路に入ってしまったかのようだ。菅さんの支持率は地を這うほどの低さだし、一方の野党もそれを材料に大攻撃を仕掛けるほどの迫力を持っていない。国政がどこに向かって進んでいくのか、国民にはいまひとつはっきり見えない。こんな状況をとらえて、マスコミ諸君の間ではチキンレースにたとえるのが流行っているらしい。

チキンレースとはもともと、蛮勇とか我慢の比べあいをさしていった言葉だ。つまらぬ意地の張り合いが鶏のレースを思わせるからだろうか。ところが最近は、弱いもの同士の競争をチキンレースというようにもなった。そこから口の悪い連中が、今の与野党の競い合いをチキンレースに喩えたというわけだ。

党首討論の様子をテレビで見ていると、たしかにチキンレースとはよく言ったものだと思わぬでもない。菅さんはいまでは党内からも造反されて指導力のかげりが誰の目にも明らかになり、何を言っても迫力がない。それを追求するほうの谷垣さんも、いまひとつ迫力がない。自民党だって国民に胸を張って訴えられるような政策は持ち合わせていないのだ。

そんなわけだから、日本の政治を象徴するはずの党首討論が、次元の低いやり取りに陥っている。元気のないもの同士が、ヴィジョンのない政治を語る。政治というより政争を繰り広げている。その政争が国民の目には余りにも低次元なので、チキンレースだなどと揶揄されるのだ。

しかし国民としては、冗談ではないといいたいところだ。このままでは予算も成立せず、重要法案の審議もされない可能性がある。その結果もっとも迷惑をこうむるのは国民自身だ。国民は政党間のチキンレースを散々見せられた挙句、日本の政治が迷走を続け、日本人の体質が世界中から馬鹿にされるのを感受しなければならなくなる。

国会議員の皆さんは、低賃金にあえぐ今の日本の若者たちが想像もつかないようなサラリーをもらっているのだから、サラリーに見合った仕事をしてほしいものだ。少なくとも、チキンレースに右往左往している場合ではないだろう




  
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