橋下代表の主張と読売の社説とどっちが正直か?
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日本維新の会の橋下代表の「従軍慰安婦」を巡る発言が各方面から厳しい批判にさらされているが、この問題のインパクトの強さは、あの読売でさえ尻馬に乗って橋下代表を批判していることでもわかる。読売は5月16日付の社説でわざわざこの問題をとりあげ、「公人としての見識と品位が問われる発言だ」と批判し、「戦時中、旧日本軍以外にも類似した存在があったという指摘は、その通りだろう」といいつつも、「軍に慰安婦が必要だったと声高に主張することが、女性の尊厳を軽んじるものと受け止められても仕方あるまい」と断罪している。
しかし、不可解なのは、そういった直後に、「慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話には、資料的な根拠もないまま、日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述がある。そうした誤解を招くような記述は、事実を踏まえた見直しが必要だ」といっていることだ。
読売のこの社説は一体何をいいたいのか。一方では旧日本軍以外にも類似した存在があった(つまり慰安婦のようなものはあった)といっておきながら、その存在について公式に認めた河野談話は事実に反しているというような言い方をしている。これを偏見なしに読めば、読売は河野談話を否定したいのだと読める。
つまり読売は、橋本代表が河野談話を肯定したうえで、慰安婦が必要だったとするそのロジックが気に入らない、そういうふうに受け取れる。読売とすれば、世上言われているような「従軍慰安婦」問題はそもそも存在しなかったのだ、ということなのだろう。
慰安婦の歴史的な存在を認めたうえで、当時の日本軍やその後の日本政府の対応について擁護するのと、そもそも慰安婦の存在自体を否認して歴史認識に目をつぶるのと、どちらが正直な態度か。普通の常識をわきまえた人には、明明白白だろうに。
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