日本語と日本文化
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日本人のパンパン・コンプレックス(その四)


これまでの部分で小生は、日本は古来女性優位の社会であったと主張した。神功皇后と応神天皇にまつわる神話は、それを象徴的に示したものといえる。この神話は、応神天皇の統治の正統性を説くかにみえるが、実は日本の皇統が女性である神功皇后を通じて伝えられたと説くことに主眼があると見てよい。神功皇后と応神天皇はあくまで神話的な人物であって、その実在性は確実視されているわけではない。そういう意味で神話というのだが、その神話を通じて太古の日本人は、日本社会のもつ女性優位の傾向を説明しようとしたのであろう。

記紀神話は、日本の国の成立から、その統治にわたるまで、女性が決定的な役割を果たしたと述べている。日本の国の成立という点では、男神イザナキと女神イザナミとの共同作業ということになっているが、それに際しては、女神イザナミのほうが積極的な役割を果たしたと述べている。国を生むために二人はミトノマグハヒをする。その際に最初に呼びかけたのはイザナキの方であるが、気持ちが高まってきていざという時になると、イザナミの方から積極的に性交へと誘惑する。彼女はイザナキに向かって、「あなにやし、えをとこを」といって、イザナキをその気にさせるのである。

ユダヤ・キリスト教など、今日普遍宗教とか世界宗教とか呼ばれているものにあっては、世界は神が無から作り出したということになっているが、その神とは男性である。だいたい、どこの文化においても、世界の創造神や民族の祖先神は父親のイメージを投影したものだとは、フロイトの言うとおりだと思う。ところが日本の場合には、民族の祖先神は、男ではなく女であり、したがって父親ではなく、母親のイメージが投影されていると考えてよい。イザナキ・イザナミ神話も、それを反映しているのであろう。二人は一見平等に見えるが、決定的なシーンでは、イザナミのほうが積極的になる。イザナミは死んだ後までイザナキに強い影響力を及ぼす。イザナキは死んだイザナミがなかなか忘れられず、めそめそと嘆き続けた挙句、冥界までイザナミに会いに行ったということになっている。その神話が、日本民族の祖先神たる天照大神の神話につながるのである。

イザナキ・イザナミ神話はだから、天照大神神話を導き出すための導線のような役割を果たしていると考えたほうがよい。天照大神神話の核心は、女神である天照大神が日本民族の祖先神だと主張することである。日本の統治を直接担ったのは、天照大神によって派遣された男孫ニニギノミコトということになっているが、ニニギノミコトはあくまでも天照大神の代理人としての位置づけであって、独自の存在意義は薄い。日本民族は、ニニギノミコトではなく、その祖母たる天照大神を直接の祖先としてあがめているのである。無論天照大神は天皇家の祖先という位置づけだが、その天皇が日本国民にとって民族の父親としてイメージされたわけだから、日本人全体が天照大神を祖先としてあがめるのは自然なのである。

天照大神の神話には、弟神のスサノオノミコトが深くかかわる。天照大神は、スサノオとの闘いに勝って権力を確立したというふうに書かれており、また、ニニギノミコトが下界に降臨した際に、かれに降伏して国の統治の実権を差し出したのは、スサノオの子孫であるオオクニヌシノミコトであった。だから、天照大神は、二度にわたり男性たるスサノオ・オオクニヌシとの闘いに勝ったということになる。それには、日本民族のそもそもの成り立ちについての記憶が働いていると考えられる。

オオクニヌシノミコトの神話は、下界の土着の勢力が天界の勢力に屈服したと読むことができる。ということは、日本には本来出雲政権を中心とする既存の国があり、それが天照大神を中心とする別の国によって滅ぼされたとも読めるわけである。その辺は日本古代史の分野と密接にかかわるので、実証的な作業を必要とするのであるが、ここではとりあえず神話解釈というレベルでの推論を行っているに過ぎない。

いずれにしても、以上から推測できることは、太古の日本にはスサノオをシンボルとする男性原理と、天照大神をシンボルとする女性原理の対立があって、その対立を女性原理が制したということであろう。これはあくまでも、想像のレベルでの推論であって、かならずしも歴史的な前後関係を主張したものではない。ただ、太古の日本では、男性原理ではなく女性原理が優位であったと確認すればよい。

このようなわけで、太古の日本は女性を中心にして回っていたということができる。平塚らいてうの有名な言葉「原始女性は太陽であった」には、女性である天照大神が太陽をイメージしていたということのほかに、女性が世界の中心であったという意味も含まれているのである。

そんな女性たちも歴史の動きのなかで次第に男性によって抑圧されるようになった。だが、日本という国柄は、男性原理のみによっては成り立たないようにできているようである。男性原理がどんなに強まろうとも、なにか大きな衝撃が社会に生じると、社会の均衡を取り戻すためであるかのように、女性原理が復活する。敗戦後がそのよい例である。

日本の男にはもともと頭のいかれたところがあり、また、やけに夜郎自大的な自尊感情が強かった。長い間女性原理によって頭を押さえつけられてきたために、常軌を逸した発達過程をたどらざるを得かなったことの結果といえる。その挙句に日本の男たちは、そもそもいかれている頭がますますいかれてしまい、誰が考えても無謀な戦争に突き進んで、日本を廃墟にしてしまった。その廃墟からいち早く立ち上がったのは女たちであった。女たちは、日本を滅ぼした男どもの無能ぶりを笑い、強者であるアメリカ男になびいた。そんな女たちを日本の男たちは指を加えて見ているほかはなかったのである。

男達たちは同時に、深刻な危機感を抱きもした。女を外国人にとられたら、その国は亡ぶほかないからである。敗戦後かつての戦地から復員してきた男たちや、国内で生き残った男たちが、米兵がパンパンを伴って闊歩する姿を見て、民族存亡の危機を感じたとしても、不思議ではない。それほど、敗戦にともなうパンパン・コンプレックスは、日本人特に男たちに、甚大な精神的ショックをもたらしたのである。そのショックからいかに立ち直り、日本を再び男性原理優位の社会に取り戻していくか。それが戦後日本に生きた男たちの最大の課題となった。日本の男たちは、明治維新の騒ぎを通じて男性原理の勝利を味わったのであるが、それが危殆に瀕した戦後の日本において、いかにして再び男性原理を確立するか、それがある種の強迫観念となって、男たちを駆り立てたといえよう。



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