日本語と日本文化
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日本人のパンパン・コンプレックス
壺齋散人の日本人論


戦後さまざまな意匠をまとった日本人論が登場した。それらはおそらく、戦後における日本人の激的な変化を反映したものと思われる。敗戦の日を境に日本人は激変した。それまでは、天皇を民族の父とし、全国民が疑似家族を構成して、一糸乱れぬというべき強調行動をとってきた。ところが敗戦を境に日本人は、民族としてのアイデンティティを失ったかのごとくに、利己的になり、また自尊心を失った。ふつうの感覚では、利己主義と自尊心とは結びついてしかるべきなのであるが、戦後の日本人の場合にはそうもいかなかった。

戦後の日本人は、利己的に自分の利益を追求することが、自尊心を支える条件だと考えたのであるが、その自尊心と思ったものは、かならずしも普遍的だと認められるような意味での自尊心ではなかった。自尊心は自己の人格の尊厳についての感情であるが、戦後の日本人は、自己の人格の尊厳よりは、富の増大のほうに価値を見出した。富が増大すれば、それにともなって自己も拡大し、その拡大した自己の感情が自尊心と勘違いされたのだ。日本人はエコノミック・アニマルであり、人間としての尊厳とは無縁な醜い生きものだとよくいわれるが、それは戦後の日本人の生き方が、世界の常識と合致しなかったことを、象徴的にあらわしている。

なぜ、そうなってしまったのか。敗戦のショックが大きく影響していることは間違いない。だが、それが具体的にどのような影響を及ぼしたかを明らかにしないと、影響の実態は見えてこない。同じ敗戦国でも、ドイツやイタリアと日本とでは、その受け止め方がかなり違う。したがって戦後の国民性の変化にも相応の違いがある。イタリアなどは、戦前と戦後とが断絶しているようには見えず、連続性のほうが強く目につく。ドイツは、ナチスへの反省もあって、かなり変化したといえるが、生き方のスタイルが根本的に変わったとまではいえない。ところが日本人は、生き方もがらりと変わったし、その生き方を支えるものの考え方も変わった。それを小生は利己的になったと評したわけだ。その理由を説明できなければ、敗戦のショックで日本が具体的にどう変わったと、断定的にいうことはできない。

敗戦ショックのもたらした日本人への影響を小生は「パンパン・コンプレックス」と呼ぶことにする。パンパンとは、戦後日本社会に突然あらわれた米兵相手の娼婦をさした言葉だ。語源や普及の経緯は詳しくはわからない。一旦使われ始めるとまたたくまに広がり、戦後日本の風景を象徴する言葉となった。この言葉で日本人は、単に米兵相手の娼婦をさすばかりでなく、米兵に好意をよせる日本の女そのものをイメージしたのである。パンパンは一時代の日本の女の生き方を象徴するものだった。それに日本の男たちは驚愕した。驚愕しただけではない、強い絶望感を抱いた。なにしろ日本中の女という女が、日本の男を見限って米兵になびいたのだ。男から見れば、日本中の女がアメリカに略奪されたようなものだった。日本人はもともと、戦に負けたならば、男は腹を切り、女は強姦されるものと思い込んできたが、その女たちが、強姦されるのではなくて、自分から進んで征服者になびいたのである。日本の男たちのショックがいかばかり大きかったか、それは、敗戦を契機に日本人の生き方が根本的に変わってしまったことに現れている。

先の戦争では、男たちはそれこそ根こそぎ戦場に駆り出されたいたので、敗戦時に国内にいた男といえば、老人と子供がほとんどだったろう。だから女たちが、外国人とはいえ、若い兵士にあこがれることには相応の理由があった。なにしろ長い間禁欲を強いられていたということもある。それ以上に、戦争に負けた男たちのふがいなさにあきれたということもあっただろう。米兵たちがやってくると、さっそく進んでお相手をする気になったようなのである。

そんな女たちを老いた男たちはパンパンと呼んでさげすんだのだろう。やがて若い男たちが復員してくると、女たちがみなパンパンになっているのを見て、呆然自失した。女を根こそぎパンパンとしてアメリカに奪われれば、日本の男が女日照りになるだけだはすまない。女がいないでは、民族の存立も成り立たない。男たちが深刻な不安を抱いたのは無理もない。だが戦後の日本人には何もなすすべがなかった。女を米兵にとられるのを指を加えて見ているほかはなかったのである。それが日本人の男たちの心に深い傷を与えた。その傷がパンパン・コンプレックスというある種の心理状態を形成するようになった。以後日本人の行動や思考は、このコンプレックスによって強く規定された。

この小論は、戦後の日本人の行動様式をパンパン・コンプレックスという概念を用いて説明しようとするものである。この概念の内実については、フロイトの精神分析理論に大きく依存している。フロイトの理論は、個人と社会を通じての人間の行動様式を、無意識とその第一義的な結実たるエディプス・コンプレックスにもとづいて説明するものだった。エディプス・コンプレックスとは、基本的には親と子の関係を律するもので、それが個人においては倫理的な感情の基礎となり、集団としての共同体においては、宗教をはじめ文化の基礎となると考えた。小生のパンパン・コンプレックスは、基本的には男女の関係についての概念であるが、男女の関係は、親子の関係に劣らず重要な役割を果たす。人類社会は男と女から成り立っているというのが、とりあえず自然な見方なのであり、親子関係はその延長と位置付けることができる。だから男女の関係に着目したパンパン・コンプレックスの概念には普遍的な応用価値があると言える。その概念を用いて、戦後の日本社会と日本人の行動様式を分析してみようというのが、この小論の目的である。

フロイトの社会理論の特徴をさらに立ち入って考察してみると、抑圧されていた無意識の衝動が、なんらかのきっかけで回帰してくるという「抑圧されたものの回帰」現象と、社会の成立を原父親殺しから説明することからなっている。これを小生のパンパン・コンプレックス論にあてはめると、抑圧されていたものの回帰とは、太古より日本社会の根本的な原理でありながら、特に明治以降強く抑圧されてきた女性原理が、敗戦を契機に劇的によみがえったということになる。また、父親殺しは、とりあえずは絶対的な権威としての天皇の否定というかたちをとった。この二つの出来事が、戦後日本社会を決定的に変化させたというのが、小生のパンパン・コンプレックス論の骨格である。

フロイトのエディプス・コンプレックスの概念もそうであるが、小生のパンパン・コンプレックスも、あくまで事象を合理的に説明するための操作概念であり、したがって作業仮説にすぎない。しかも日本人の生き方すべてをカバーするものではなく、その一部をカバーするに過ぎない。そうした意味では、小生のパンパン・コンプレックス論は実験的な試みといってよい。読者におかれては、これを以て小生が人間社会に関する一般理論を確立する野心を持っているなどと、大袈裟に受け取らないでいただきたい。繰り返すが、作業仮説にもとづいた思考実験のようなものなのである。



日本人のパンパン・コンプレックス(その二)

日本人のパンパン・コンプレックス(その三)

日本人のパンパン・コンプレックス(その四)

日本人のパンパン・コンプレックス(その五)

日本人のパンパン・コンプレックス(その六)

日本人のパンパン・コンプレックス(その七)

日本人のパンパン・コンプレックス(その八)

日本人のパンパン・コンプレックス(その九)

日本人のパンパン・コンプレックス(その十)


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