日本語と日本文化


狂言「呼声」:無奉公物


使用人の太郎冠者が主人に無断で外出したことがもとで、主人が太郎冠者をとがめるという趣向の狂言がいくつかあり、無奉公物と呼ばれている。大部分は大名狂言に分類されているが、この「呼声」だけは小名狂言に分類されている。主人と太郎冠者のやりとりが軽妙洒脱なところから、そうなったのだと思われる。

太郎冠者は叱責にやってきた主人たちをごまかそうと、居留守を使う。それに対して主人たちは音曲尽くしの呼び声で太郎冠者を浮かれさせ、正体を暴露させようとする。そのやりとりが一曲の趣向となっている。

音曲尽くしに用いられているものは、平家節、小歌節、踊節で、いづれも中世に流行していたものと推測される。その意味で音曲の歴史上でも貴重といえる。小品ながら味のある作品だ。

舞台にはまづ、主人と次郎冠者が登場し、太郎冠者は狂言座に控える。(以下テクストは茂山千五郎本)

主「これはこの辺りに住まひ致す者でござる。某召し使ふ太郎冠者は、私に暇をも乞はず、この間うち何方へやらおりさうてござる。承ればやうやう夜前まかり戻ったとは申せども、いまだ某が前へ出ませぬによって、まづ次郎冠者を呼び出だし、まことか偽りか承らうかと存ずる。ヤイヤイ次郎冠者、居るかやい。
次郎冠者「ハアーッ
主「ゐたか
次郎「お前に居りまする
主「念なう早かった。汝を呼び出だすは別なることでもない。太郎冠者は夜前まかり戻ったと申すが、まことか
次郎「私もさやう承てはござれども、いまだ会ひませぬによって、何とやら存じませぬ。
主「それならこれより彼奴が私宅へたちこへ、もし戻ってゐたならば、きっと折檻を加へうほどに、汝、供をせい。
次郎「畏まってござる。
主「サアサア来い来い。
次郎「参りまする、参りまする。

太郎冠者の家につくと、主人が次郎冠者に、太郎冠者を呼び出すように命じる。

主「さて、彼奴のことじゃによって、暇をも乞うたばらば五日や十日は取らせうものを、乞はずに参った段は近頃憎い奴ではないか。
次郎「御意なさるる通り、近頃憎い奴でござる。
主「イヤ何かと申すうち、彼奴が私宅は、はやこれじゃ。汝は案内を乞うて呼び出いてみよ。
次郎「畏まってござる。物申、案内申。

次郎冠者に呼びかけられた太郎冠者は、都合が悪いのを感じて、居留守を使うことにする。最初は次郎冠者の呼びかけに、普通の調子で答え、自分は隣人であるとうそをいう。

太郎冠者「イヤ表に聞きなれた声で物申とある。あれはたしかに次郎冠者の声でござるが。某、ちと仔細あって、頼うだお方に暇をも乞はず、この間うち外方へ参り、やうやう夜前まかり戻ってござるが、さだめて叱りにおこされたものであらう。よいよい。まづ今日は留守を使はうと存ずる。
次郎「太郎冠者殿は内におりゃるか、ゐさしますか。
太郎「太郎冠者殿は留守でござる。
次郎「さうおしゃるは誰でおりゃる。
太郎「隣の者でござるが、留守を預って居りまする。御用ござらば仰せおかれませ。
次郎「イヤ留守とあらば、まうかう戻りまする。
二人「さらばさらば。
太郎「さればこそ次郎冠者であった。まんまと留守を使うてござる。

返ってきた声が太郎冠者のものに違いないと直感した次郎冠者は、太郎冠者が居留守を使っていると見抜く。そこで主人は、作り声を使って太郎冠者を呼び出そうとする。

次郎「イヤ申し申し、留守じゃと申しまする。
主「まことに留守じゃと言うたが、あれはたしかに太郎冠者の声ではないか。
次郎「さやう仰せらるれば、私も太郎冠者の声に存じまする。
主「よいよい、この度は某が作り声をして呼び出いてみう。
次郎「それがやうござりませう。

作り声で呼びかけられた太郎冠者は、自分も作り声をつかって、太郎冠者は留守であると返事する。

主「物申、案内申。
太郎「また表に物申とある。あれはたしかに頼うだお方のお声でござるが、よいよい、またこの方よりも作り声で留守を使はうと存ずる。
主「太郎冠者殿は内にござるか。内にござらばお目にかかりたうござる。
太郎「太郎冠者殿は留守でござる。御用ござらば仰せおかれませ。

主人と太郎冠者は作り声で呼びかけあいながら、互いに覗き込むようなしぐさをするが、そのうち太郎冠者は狂言座に戻って反省するしぐさをする。

太郎「さればこそ頼うだお方であった。まんまと作り声で留守を使うてござる。

主人と次郎冠者は、太郎冠者がなかなかいうことを聞かないので、平家節をつかっておびき出そうとする。

主「ヤイヤイ、また作り声で留守を使ひをった。
次郎「まことに作り声で留守を使ひました。
主「何とぞして呼び出だしたいものじゃが、何とがよかろうぞ。
次郎「されば、何とがようござりませうぞ。イヤ、この度は私が平家節で呼び出だいてみませう。
主「これは一段とよからう。早う呼び出だいてみよ。
次郎「畏まってござる。

次郎冠者と太郎冠者の間で、平家節の掛け合いが演じられる。

次郎「太郎冠者殿、内にござるか。内にござらばお目にかからう。
太郎「ハハア、この度は平家節で呼び出ださるるさうな。よいよい、またこの方よりも平家節で留守を使はうと存ずる。(平家節)太郎冠者殿留守でござる。御用ござらば仰せおかれ。

太郎「まんまと平家節で留守を使うてござる。

平家節で効き目がないので、今度は小歌節でおびき出そうとする。

次郎「イヤ申し申し、また平家節で留守を使ひました。
主「まことに平家節で留守を使ひをった。この度は身供が小謡節で呼び出だいてみう。
次郎「それがようござりませう。

主人と太郎冠者との間で、小歌節の掛け合いが演じられる。

主「太郎冠者殿は内にござるか。内にござらばお目にかかろう。
太郎「ハハア、この度は小謡節で呼び出ださるるさうな。またこの方よりも小謡節で留守を使はずばなるまい。こりゃだんだんむつかしうなって参った。
太郎「太郎冠者殿は留守でござる。御用ござらば仰せおかれ。
太郎「まんまと小謡節で留守を使うてござる。

小歌節でも効き目がないとわかると、次は踊節で呼び出そうとする。これは踊りながらの小謡である。

主「ヤイヤイ、また小謡節で留守を使ひをった。
次郎「まことに小謡節で留守を使ひました。この度は私が踊節で呼び出だいてみませう。
主「これは面白からう。早う呼び出だいてみよ。
次郎「畏まってござる。コノ、シャッキャ、シャッキャ、シャッキ、シャッキ、シャッキャ、ハアー
次郎「太郎冠者殿内にござるか、内にござらばお目にかからう。

次郎冠者が踊りながら歌う面白さにひかれて、太郎冠者も浮かれ出てくる。

太郎「ハハア、この度は踊節で呼び出ださるるさうな。こりゃだんだん面白うなって参った。コノ、シャッキャ、シャッキャ、シャッキ、シャッキ、シャッキャ、ハアー。
太郎「太郎冠者殿留守でござる。御用ござらば仰せおかれ。コノ、シャッキャ、シャッキャ、シャッキ、シャッキ、シャッキャ。さても面白いことでござる。

コノ光景をみた主人も気分がうきうきとなり、自分も踊り始める。

次郎「イヤ申し申し、近頃面白いことでござる。
主「この度は両人浮きに浮いて呼び出だいてみう。
次郎「それがようござりませう。
主「サアサアこれへ出い。
次郎「心得ました。
主、次郎「コノ、シャッキャ、シャッキャ、シャッキ、シャッキ、シャッキャ、ナアー。太郎冠者殿内にござるか、内にござらばお目にかからう。

主人と次郎冠者が浮かれながら踊っているのをみて、太郎冠者もすっかり浮かれてしまい、二人の踊りに加わる。

太郎「ハハア、この度は両人浮きに浮いて呼び出ださるる。こりゃだんだんにぎやかになって参った。ハア、太郎冠者殿留守でござる。御用ござらば仰せおかれ。
主、次郎「太郎冠者殿内にござるか、内にござらばお目にかからう。
太郎「太郎冠者殿留守でござる。御用ござらば仰せおかれ。

こうして三人がたがいに入り乱れて、歌と踊りが展開される。

太郎「留守でござる。
主、次郎「お目にかかろ。
太郎「留守でござる。
主、次郎「お目にかかろ。
太郎「留守でござる。

とうとう最後に、浮かれ狂った太郎冠者が主人によってとがめられる段がやってくる。

主「ヤイ、おのれは太郎冠者ではないか。
太郎「太郎冠者は留守でござる。
主「何の留守。
太郎「エイ、頼うだお方。
主「何の。おのれ、どちへいく。
次郎「ちゃっと捕へさせられい。
太郎「許させられい、許させられい
主「おの横着者、誰そ捕へてくれい。
主、次郎「やるまいぞやるまいぞ、やるまいぞやるまいぞ


    

  
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