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世阿弥の夢幻能(敦盛を例にとって)


世阿弥が能楽の発展のために果たした役割には偉大なものがある。その業績は多岐にわたるが、なかでも重要なのは、複式夢幻能という様式を完成させたことだ。観阿弥以前の能楽は、観阿弥自身物真似といったように、世俗的な内容のものか、あるいは寺社の祭礼に事寄せて、鬼や神を演じるというのもであった。世阿弥の夢幻能によって、能楽は表現を深化させ、一層幽玄なものとなったのである。

複式夢幻能とは、簡単にいうと、次のようなものである。まず前段では、旅の僧などに扮したワキが里人と出会い、土地のいわれやゆかりの人の消息を問う。里人は、問われるままにいろいろと応えるが、これに脇が興味を覚えたところで、実は自分がその話題の主の幽霊なのだといって消える。後段では、ワキが読経したり、まどろんだりしているところに、当の亡霊が現れて、生前の苦しみや思い出を語りつつ舞い、最後には成仏するというものである。

「敦盛」に例をとってみよう。前段では熊谷直実が、蓮生という僧になって、敦盛の霊を弔うために一の谷にやってくる。すると笛を吹く里人たちに出会う。敦盛は笛の名手であったので、笛は敦盛を暗示しているのである。蓮生は里人の一人と笛のことなどを語るうちに、他のものが去ってもその者はいつまでも去ろうとしないので不審に思うと、里人は、十念を授けてほしいという。そこでお経を授けてやると、里人は喜び、実は自分こそが敦盛の幽霊なのだといって消える。

後段では、蓮生がまどろむまもなく読経するところへ、敦盛その人が、かつての若々しいいでたちで現れる。蘇った敦盛は昔を振り返り、直実によって殺された苦しみを語る。しかし、今は僧身となった直実の読経に心を慰められ、「同じ蓮の蓮生法師、敵にてはなかりけり、跡弔ひてたびたまへ」といいつつ成仏する。

このように、構成的には前後二段からなり、主人公が夢幻のように復活して過去を語るというのが、世阿弥の編み出した複式夢幻能の基本である。

世阿弥の夢幻能の特徴は、通常の演劇と異なり、登場人物の会話によって物語が進行していくというより、主人公による独白のような部分、つまり一人称で語られる部分が多いということにある。しかも、それが、能の演劇としての密度を著しく高いものにしている。

ここでいう一人称とは、物語を一人の人物の視点から語るものだ。三人称とは異なり、すべては主人公の主観を通して語られるので、見ているものは知らず知らず、主人公に感情移入していくことともなる。能には地謡というものがあるのだが、これも三人称というよりは、主人公の主観の延長のような役割を果たす。こうして、舞台全体が主人公の意識にある世界をそのまま展開したような、夢幻的な色彩を帯びるようにもなる。

「敦盛」においては、敦盛の主観を通して語られる過去のできごとが、敦盛の苦痛共々ありありとそこに現出するのであるが、その苦痛は生々しい痛みであると同時に、夢幻の彼方から響いてくるこだまのようでもある。しかも、その苦痛は、直実の読経による成仏によって、永遠の反響を呼び起こすのである。

世阿弥はまた、幽玄というものに意を用いた。観阿弥の時代まで、大和猿楽は幽玄より物真似を大事としたのに対し、近江の猿楽は幽玄を以て知られるようになっていたらしい。世阿弥の同時代人にも、近江には増阿弥というものがあって、これが幽玄な能で聞こえていた。幽玄とは、洗練された舞に象徴されるような、都会的な美しさをいったのだろう。

世阿弥は、複式夢幻能を通して、幻想的な物語と優雅な舞を結合させようと図った。そのことによって、自らの能に幽玄の美を供えさせようとしたのである。

単に優雅さというだけなら、あえて複式夢幻能である必要はなかったかもしれない。現に「熊野」のような現在能の作品においても、優雅な情緒は十分に伝えられている。しかし、優雅のうちに、人間の情念をも盛り込もうとする思いが、世阿弥をして、この形式にこだわらせたのではないか。

世阿弥は、「熊野」のような現在能も書いたが、大部分は夢幻能を書いた。以前からあった作品に世阿弥が手を加えたものが多く存在するが、改作にあたって、複式夢幻能に仕立て直したと思われるものもある。金春善竹を始め、世阿弥以後の作家たちも、この形式を活用することが多かった。かくて、現に演じられている二百余りの作品の多くは、複式夢幻能の体裁をとっているのである。


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