能「鷺」:延年の舞とのかかわり
|
能には鶴亀や猩々など動物を題材にしたジャンルのものがいくつかあるが、おおむねめでたさを祝う、祝祭的な雰囲気のものが多い。鷺もまたそのような祝祭的な雰囲気に満ちた能である。
作者や典拠は定かではない。能以前に栄えた伝統的な芸能である延年の舞が進化したのだろうとする説が有力である。あるいは民衆芸能が昇華したものかもしれない。能の作品の中では素朴さを感じさせる逸品である。
ストーリーといえるほどのものはない。延喜の御世に醍醐天皇が神泉苑で遊んでいるところを、鷺が飛んできた。帝はそれを捕まえるように大臣に命ずる。大臣はその宣旨を蔵人に伝えるが、蔵人は空を自由に飛びまわる鳥を捕まえるのは難しいことだと躊躇する。すると大臣は王土の下では、鳥でさえも王威に服するものだと蔵人を励ます。
人の気配に気づいた鷺が逃げようとしたところを、蔵人は鷺に対して宣旨である旨を告げる。すると鷺は王威にひれ伏してなされるままになり、帝の前まで連れ出される。喜んだ帝は蔵人に五位の位を授与するとともに、鷺にも五位を授ける。ここから五位鷺の名が生まれたという具合に、一種の語源譚にもなっている。
この能では、シテの鷺は少年あるいは還暦を過ぎた老人が直面で演じることとされている。例外的に壮年の俳優が演じる場合もあるが、その場合には延年という特殊な面をつける。
以下に紹介するのは、先日NHKが放映した宝生流の能である。シテは近藤乾之助が演じていた。
舞台にはまず間狂言が登場し、これから延喜の帝が神泉苑で夕涼みする旨を告げる。つづいて大勢の臣下を従えて延喜の帝が登場する。帝は子方である。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)
ワキ、ワキツレ一セイ「久方の。月の郡の明らけき。光も君の。恵かな。
ワキ、ツレ、サシ「それ明君の御代のしるし。万機の政すなほにして。四季をり/\の御遊までも。捨て給はざる叡慮とかや。
ツレ「まづ青陽の春にならば。
ワキツレ「処々の花のみゆき。
ツレ「秋に時雨の紅葉狩。
ワキツレ「日数も積る雪見の行幸
ツレ「寒暑時を違へされば。
ワキツレ「御遊のをりも。
ツレ「時を得て。
ワキワキツレ上歌「今は夏ぞと夕涼。今は夏ぞと夕涼。松の此方の道芝を。誰踏みならし通ふらん。これは妙なるみゆきとて。小車の。直なる道を廻らすも同じ雲居や大内や。神泉苑に着きにけり。神泉苑に着きにけり。
ツレサシ「面白や孤島峙つて波悠々たるよそほひ。誠に湖水の浪の上。三千世界は眼の前に盡きぬ。十二因縁は心の裏に空し。げに面白き景色かな。
地「鷺の居る。池の汀は松ふりて。池の汀は松ふりて。都にも似ぬ。住居はおのづからげにめづらかに面白や。或は詩歌の舟を浮め。又は糸竹の。聲あやをなす曲水の。手まづ遮る盃も浮むなり。あら面白の池水やな。あら面白の池水やな。
ここで鷺が舞台に出てくる。白鷺であるから衣装はすべて白づくめだ。直面の頭の上の冠には、鷺をかたどった飾り物がついている。
鷺の姿を目に留めた帝が、とって参れと命ずる。以下上述したようなやり取りが続いて鷺は帝の前にひれ伏す。
ツレ「いかに誰かある。
ワキツレ「御前に候。
ツレ「あの洲崎の鷺をりから面白う候。誰にても取りて参れと申し候へ。
ワキツレ「畏つて候。いかに蔵人。あの洲崎の鷺をりから面白うおぼしめされ候ふ間。取りて参らせよとの宣旨にて候。
ワキ「宣旨畏つて承り候さりながら。かれは鳥類飛行の翅。いかゞはせんと休らへば。
ワキツレ「よしやいづくも普天の下。卒土のうちは王地ぞと。
ワキ「思ふ心を便にて。
ワキツレ「次第々々に。
ワキ「芦間の蔭に。
地「狙ひより狙ひよりて。岩間のかげより取らんとすれば。この鷺驚き羽風を立てゝ。ぱつとあがれば力なく。手を空しうして。仰ぎつゝ走り行きて。汝よ聞け勅諚ぞや。勅諚ぞと。呼ばはりかくれば。此鷺立ち帰つて。本の方に飛び下り。羽を垂れ地に伏せば。抱きとり叡覧に入れ。げに忝き王威の恵。ありがたや頼もしやとて。皆人感じけり。げにや仏法王法の。かしこき時の例とて。飛ぶ鳥までも地に落ちて。叡慮に適ふありがたや。叡慮に適ふありがたや。猶々君の御恵。仰ぐ心もいやましに。御酒を勧めて諸人の。舞楽を奏し面々に。きぎの蔵人。召し出され様々の。御感のあまり爵を賜び。ともになさるゝ五位の鷺。さも嬉しげに立ち舞ふや。
シテ「洲崎の鷺の。羽を垂れて。
地「松も磯馴るゝけしきかな。
舞 ここで鷺は喜びの舞を舞うが、他の作品にはない、特別の舞である。
シテ「畏き恵は君朝の。
地「畏き恵は君朝の。四海に翔る翅まで。靡かぬ方も。なかりければ。まして鳥類畜類も。王威の恩徳逃れぬ身ぞとて。勅に従ふ此鷺は。神妙々々放せや放せと重ねて宣旨を下されければ。げにかたじけなき宣命を。ふくめて。放せばこの鷺。心嬉しく飛びあがり。心嬉しく飛びあがりて。行くへも知らずぞなりにける。
開放された鷺は喜び勇んで空中に飛び立ち、舞台から去っていくところで一曲が終了するといった具合である。
|
HOME|能楽の世界 |
|
.
|
|