日本語と日本文化


能「天鼓」:父子の情愛


能「天鼓」は、権力者によって引き裂かれた父子の情愛をきめ細やかに描いた作品である。舞台は後漢の時代の中国ということになっているが、漢籍にはこの話の典拠となるようなものは見当たらず、日本人による創作だと思われる。世阿弥の作だとされたこともあるが、内容や形式からみてその可能性はないとみてよい。だが古い能ではあったらしい。

前後2段からなるが、複式無限能とは異なる。前段で息子を失った父親の悲哀が描かれ、後段では息子の亡霊が出てきて、自分のためになされている供養に感激し、天鼓を叩くということになっている。前後の場面でそれぞれ人物が異なることから、演ずるシテも別人にする演出がよくなされる。

息子は天子の怒りに触れて殺されたということになっているが、そのことに対するこだわりは、舞台の上では出てこない。父親はただただ息子を失った悲しみにくれるばかりで、息子を殺されたことを恨む気配がないし、当の息子も恨むどころか、天子が自分の霊を供養してくれたことを感謝するばかりである。現代人の目には奇異に映るが、父子の情愛と芸能の真理の前では、そんなことは小さいことなのかもしれない。

ここでは先日NHKが放映したものを紹介したい。シテは観世流片山幽雪同九郎右衛門だった。

舞台中央前方には鼓の作り物が置かれ、そこへワキが登場して、天鼓のいわれを語る。天鼓とは懐妊した母親が夢に見た鼓であったが、それを息子の名としたところ、本物の鼓が天から降りてきた。その音色があまりにも素晴らしいことを聞き知った皇帝が、抵抗する天鼓を殺してそれを召し上げるのだが、誰が叩いても鳴らない。そこで天鼓の父親をめして叩かせようとする。父子の情愛を込めて叩けば、あるいは鳴るかもしれぬと考えたからである。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ詞「これは唐土後漢の帝に仕へ奉る臣下なり。さても此国の傍に。王伯王母とて夫婦の者あり。かの者一人の子を持つ。其名を天鼓と名づく。彼を天鼓と名づくる事は。彼が母夢中に天より一つの鼓降り下り。胎内に宿ると見て出生したる子なればとて。その名を天鼓と名づく。その後天より誠の鼓降り下り。打てばその声妙にして。聞く人感を催せり。この由帝聞し召され。鼓を内裏に召されしに。天鼓ふかく惜み。鼓を抱き山中に隠れぬ。然れどもいづくか王地ならねば。官人を以て捜し出し。天鼓をば呂水の江に沈め。鼓をば内裏に召され。阿房殿雲龍閣に据ゑ置かれて候。又その後かの鼓を打たせらるれども更に鳴る事なし。いかさま主の別を歎き鳴らぬと思し召さるゝ間。彼の者の父王伯を召して打たせよとの宣旨に任せ。唯今王伯が私宅へと急ぎ候。

そこへ前シテである父親の王伯が登場する。子を失った悲しみは、孔子や白居易も異ならないといいつつ、子の天鼓を失った悲しみを歌う。

シテ一セイ「露の世に。なほ老の身のいつまでか。又此秋に。残るらん。
サシ「伝へ聞く孔子は鯉魚にわかれて。思の火を胸に焚き。白居易は子を先だてゝ。枕に残る薬を恨む。これ皆仁義礼智信の祖師。文道の大祖たり。我等が歎くは科ならじと。思ふ思に堪へかぬる。涙いとなき。袂かな。
下歌「思はじと思ふ心のなどやらん。夢にもあらず現にも。なき世の中ぞ。悲
しき。なき世の中ぞ。悲しき。
上歌「よしさらば。思ひ出でじと思寝の。思ひ出でじと思寝の。闇の現に生れ来て。忘れんと思ふ心こそ忘れぬよりは思なれ。唯何故の憂き身の命のみこそ。うらみなれ命のみこそうらみなれ。

ワキは王伯に向かって、帝の宣旨ゆえに参内して天鼓を叩けと命じる。王伯はもしかしたら、息子に続いて殺されることを覚悟して、参内することを決意する。そんな王伯にワキは、余計な心配をするなと慰める。

ワキ詞「如何に此屋の内に王伯があるか。
シテ詞「誰にて渡り候ふぞ。
ワキ「これは帝よりの宣旨にてあるぞ。
シテ「宣旨とはあら思ひよらずや何事にて御座候ふぞ。
ワキ「さても天鼓が鼓内裏にめされて後。いろ/\打たせらるれども更に鳴る事なし。如何さま主の別を歎き鳴らぬと思し召さるゝ間。王伯に参りて仕れとの宣旨にてあるぞ。急いで参内仕り候へ。
シテ「仰畏つて承り候さりながら。勅命にだに鳴らぬ鼓の。老人が参りて打ちたればとて。何しに声の出づべきぞ。いや/\これも心得たり。勅命を背きし者の父なれば。重ねて失はれんためにてぞあるらん。よし/\それも力なし。我が子の為に失はれんは。それこそ老の望なれ。あら歎くまじややがて参り候ふべし。
ワキ「いや/\左様の宣旨ならず。唯唯鼓を打たせんとの。そのためばかりの勅諚なり。急いで参り給ふべし。
シテ歌「仮令罪には沈むとも。
地「仮令罪には沈むとも。又は罪にも沈まずとも。憂きながら我が子の形見に帝を拝み。参らせん帝を拝み参らせん。

内裏についた王伯は早速鼓を打てと命じられる。王伯は恐る恐る鼓に向かって打とうとする。鼓は見事に鳴る。

ワキ詞「急ぐ間程なく内裏にてあるぞ。此方へ来り候へ。
シテ詞「勅諚にて候ふ程に。これまでは参りて候へども。老人が事をば。御免あるべく候。
ワキ詞「申す所は理なれども。まづ鼓を仕り候へ。鳴らずは力なき事急いで仕り候へ。
シテ「さては辞すとも叶ふまじ。勅に応じて打つ鼓の。声もし出でばそれこそは。我が子の形見とゆふ月の。上に輝く玉殿に。始めて臨む老の身の。
地次第「生きてある身は久方の。生きてある身は久方の。天の鼓を打たうよ。

クリ、サシ、クセでは、父子の情愛をあらためて歌い上げる。

地クリ「その磧礫にならつて。玉淵を窺はざるは。驪龍の蟠る所を知らざるなり。
シテ「実にや世々ごとの仮の親子に生れ来て。
地「愛別離苦の思深く。恨むまじき人を恨み。悲しむまじき身を歎きて。我と心の闇深く。輪廻の波にたゞよふ事生々世々のいつまでの。
シテ「思のきづな。長き世の、
地「苦の海に沈むとかや。
クセ「地を走る獣。空を翔る翅まで親子のあはれ知らざるや。況んや仏性。同体の人間此生に。此身を浮べずはいつの時か生死の海を渡り山を越えて。彼岸に至るべき。
シテ「親子は三界の首枷と。
地「聞けば誠に老心。別の涙の雨の袖。しをれぞ増る草衣身を恨みてもそのかひの。なき世に沈む罪科は唯命なれや明暮の。時の鼓の現とも思はれぬ。身こそ恨なれ。

そのあと、前段の見せ場である、王伯による鼓打ちの場面が繰り広げられる。

ロンギ地「鼓の時も移るなり。涙を止めて老人よ。急いで鼓打つべし。
シテ「実に/\これは大君の。忝しや勅命の。老の時も移るなり。急いで鼓打たうよ。
地「打つや打たずや老波の。立ち寄る影も夕月の。
シテ「雲龍閣の光さす。
地「玉の階。
シテ「玉の床に。
地「老の歩も足弱く薄氷を踏む如くにて。心も危き此鼓。打てば不思議やその声の。心耳を澄ます声出でて。実にも親子のしるしの声。君もあはれと思し召して。龍顔に御涙を。浮べ給ふぞ有難き。
ワキ詞「如何に老人。只今鼓の音の出でたる事。誠にあはれと思し召さるゝ間。老人には数の宝を下さるゝなり。又天鼓が跡をば。管絃講にて御弔あるべきとの勅諚なり。心やすく存じ。まづ/\老人は私宅へ帰り候へ。
シテ詞「あら有難や候。さらば老人は私宅に帰り候ふべし。

中入では間狂言が、天鼓のいわれを改めて語る。

その後ワキによる待謡に導かれるようにして後シテが登場する。

ワキ「さても天鼓が身を沈めし。呂水の堤に御幸なつて。おなじく天の鼓をすゑ。
歌待謡「糸竹呂律の声々に。糸竹呂律の声々に。法事をなして亡き跡を。御弔ぞ有難き。頃は初秋の空なれば。はや三伏の夏たけ。水滔滔として。波悠々たり。

後シテの天鼓は面童子の若々しい姿だ。天鼓は自分が呂水に沈められて恨む様子はなく、かえって自分のためになされている供養を喜んでいる。

後シテ一声「あら有難の御弔やな。勅を背きし天罰にて。呂水に沈みし身にしあれば。後の世までも苦の。海に沈み波に打たれて。呵責の責も隙なかりしに。思はざる外の御弔に。浮み出でたる呂水の上。曇らぬ御代の。有難さよ。
ワキ「不思議やな早更け過ぐる水の面に。化したる人の見えたるは。如何なる者ぞ名を名のれ。
シテ詞「是は天鼓が亡霊なるが。御弔の有難さに。これまで現れ参りたり。

ワキは天鼓の亡霊にむかって、是非鼓を打つようにと所望する。天鼓はいわれるままに鼓に向かう。

ワキ「さては天鼓が亡霊なるかや。
詞「しからばかゝる音楽の。舞楽も天鼓が手向の鼓。打ちて声出づならば。実にも天鼓がしるしなるべしはや/\鼓を仕れ。
シテ「うれしやさては勅諚ぞと。夕月かゝやく玉座のあたり。
ワキ「玉の笛の音声すみて。
シテ詞「月宮の、昔もかくやとばかり。
ワキ「天人も影向。
シテ「菩薩もここに。
シテワキ二人「天くだります気色にて。同じく打つなり天の鼓。
地歌「打ち鳴らす其声の。打ち鳴らす其声の。呂水の。波は滔々と。打つなり打つなり汀の声の。より引く糸竹の手向の舞楽は。有難や。

ここで後段の見せ場である、天鼓の鼓打ちの場面が繰り広げられる。

シテ「おもしろや時も実に。
地「おもしろや時も実に。おもしろや時も実に。秋風楽なれや松の声。柳葉を払つて月も涼しく星も相逢ふ空なれや。烏鵲の橋の下に。紅葉を敷き。二星の。館の前に風。冷かに夜も更けて。夜半楽にも早なりぬ。人間の水は南。星は北にたんだくの。天の海面雲の波立ち添ふや。呂水の堤の月に嘯き水に戯れ波を穿ち。袖を返すや。夜遊の舞楽も時去りて。五更の一点鐘も鳴り。鳥は八声のほの%\と。夜も明け白む。時の鼓。数は六つの巷の声に。又打ち寄りて現か夢か。又うち寄りて現か夢幻とこそなりにけれ。

以上、天鼓の満足した様子をキリとなる。恩讐の彼方を描いた能だといえよう。


    

  
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