日本語と日本文化


能「三輪」:三輪明神の婚姻説話


能「三輪」は三輪明神の婚姻説話を主題にした曲である。明神は男神であるのが普通だが、この能では三輪明神は女神としてとらえられ、しかも男神と思しきものとの結婚に破れるという設定になっている、しかも恋に破れて天の岩戸の中に閉じこもったという話まで付け加わるから、いっそう面白い筋書きだ。

複式夢幻能ではないが、前後2段に別れ、前半では三輪明神の化身たる里の女が、後半では三輪明神そのものが現れて、玄賓僧都に供養を求める。神が供養を求めるのは、失恋の痛手を癒して欲しいからである。こんなところがいかにも現実離れしていて面白い。

神がシテを務める能は切能であるのが普通なのに、この能が4番目ものに分類されているのは、三輪明神が普通の神とは大いに異なるからだろう。

ここで紹介するのは先日NHKが放送した観世流の舞台。白式神神楽という小書にもとづく演出で、シテは梅若玄祥、ワキは宝生閑がつとめていた。

舞台にはまずワキの玄賓僧都が現れ、ついで里の女が登場する。里の女が毎日のように僧都の庵にやってきて、樒閼伽を供えてくれるのに感心した僧都は、女の正体や住まいを知りたいと思う。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ詞「これは。和州三輪の山陰に住居する玄賓と申す沙門にて候。さても此程いづくともなく女性一人毎日樒閼伽の水を汲みて来り候。今日も来りて候はゞ。いかなる者ぞと名を尋ねばやと思ひ候。
シテ次第「三輪の山本道もなし。三輪の山本道もなし。檜原の奥をたづねん。
サシ「実にや老少不定とて。世の中々に身は残り。幾春秋をか送りけん。あさましや成す事なくて徒らに。憂き年月を三輪の里に。住居する女にて候。
詞「又此北山陰に玄賓僧都とて。貴き人の御入り候ふ程に。いつも樒閼伽の水を汲みて参らせ候。今日もまた参らばやと思ひ候。
ワキ「山頭には夜孤輪の月を戴き。洞口には朝一片の雲を吐く。山田もるそほづの身こそ悲しけれ。秋はてぬれば。訪ふ人もなし。
シテ詞「いかに此庵室のうちへ案内申し候はん。
ワキ「案内申さんとはいつも来れる人か。
シテ「山影門に入つて推せども出でず。
ワキ「月光地に敷いて掃へども又生ず。
二人「鳥声とこしなへにして。老生と静かなる山居。
地下歌「柴の編戸を押し開き。かくしも尋ね切樒。罪を助けてたび給へ。
上歌「秋寒き窓の内。秋寒き窓の内。軒の松風うちしぐれ。木の葉かきしく庭の面。門は葎や閉ぢつらん。下樋の水音も苔に。聞えて静かなる此山住ぞ淋しき。

里の女は僧都に向かって「罪を助けてたび給へ」というが、僧都にはそういう理由がわからない。女はまた秋も夜寒になったゆえ、衣を賜りたいと願う。そこで僧都は衣を一重女に与える。女はその衣を戴いて、感謝の徴をあらわす。

僧都が女の正体を尋ねるのに対して、女は自分の住まいをいい、杉立てる門をしるしに訪ねてほしいと答える。

シテ詞「いかに上人に申すべき事の候。秋も夜寒になり候へば。御衣を一重たまはり候へ。
ワキ詞「易き間の事この衣を参らせ候ふべし。
シテ「あらありがたや候。さらば御暇申し候はん
ワキ「暫く。さて/\御身は何くに住む人ぞ。
シテ「妾が住家は三輪の里。山本近き処なり。その上我が庵は。三輪の山本恋しくはとは詠みたれども。何しに我をば訪ひ給ふべき。なほも不審に思し召さば。訪ひ来ませ。
地「杉立てる門をしるしにて。尋ね給へと言ひ捨てゝ。かき消すごとくに失せにけり。

中入間「女は舞台上にあらかじめ用意されていた作り物のなかに入り、中入りとなる。その間狂言が出てきて三輪神社のいわれなどを口上する。

ついで僧都が立ち上がって、三輪の里にいくと大きな杉の木が見え、そこには先ほど女に与えた布がかかっていた。

ワキ詞「この草庵を立ち出でて。この草庵を立ち出でて。行けば程なく三輪の里。近きあたりが山陰の。松はしるしもなかりけり。杉村ばからり立つなる神垣はいづくなるらん神垣はいづくなるらん。
ワキ「不思議やなこれなる杉の二本を見れば。ありつる女人に与へつる衣の懸かりたるぞや。
詞「寄りて見れば衣の褄に金色の文字すわれり。読みて見れば歌なり。三つの輪は清く浄きぞ唐衣。くると思ふな。取ると思はじ。

ここで作り物が暴かれて、その中から三輪明神が現れる。女体である。

後シテ「千早振る。神も願のあるゆゑに。人の値遇に。逢ふぞうれしき。
ワキ「不思議やなこれなる杉の木蔭より。妙なる御声の聞えさせ給ふぞや。願はくは末世の衆生の願をかなへ。御姿をまみえおはしませと。念願深き感涙に。墨の衣を濡らすぞや。
シテ「恥かしながら我が姿。上人にまみえ申すべし。罪を助けてたび給へ。
ワキ「いや罪科は人間にあり。これは妙なる神道の。
シテ「衆生済度の方便なるを。
ワキ「暫し迷の。
シテ「人心や。
地歌「女姿と三輪の神。女姿と三輪の神。〓{チハヤ}掛帯引きかへて。唯祝子が着すなる。烏帽子狩衣。もすその上に掛け。御影あらたに見え給ふかたいけなの御事や。

明神は改めて、「罪を助けてたび給へ」と乞うが、僧都は「いや罪科は人間にあり」と答える。そこで明神は、自分が女体として男神と婚姻を結んだこと、その婚姻は男が女のもとを訪れる通い婚であったこと、男神が自分に愛想をつかして訪れなくなってしまったことなどを語る。

地クリ「それ神代の昔物語は末代の衆生のため。済度方便の事業。品々もつて世の為なり。
シテサシ「中にもこの敷島は。人敬つて神力増す。
地「五濁の塵に交はり。しばし心は足引の大和の国に年久しき夫婦の者あり。八千代をこめし玉椿。変らぬ色を頼みけるに。
クセ「されどもこの人。夜は来れども昼見えず。ある夜の睦言に。御身いかなる故により。かく年月を送る身の。昼をば何と烏羽玉の夜ならで通ひ給はぬはいと不審多き事なり。唯同じくはとこしなへに。契をこむべしとありしかば。彼の人答へいふやう。実にも姿は羽束師の。漏りてよそにや知られなん。今より後は通ふまじ。契も今宵ばかりなりと。懇に語れば。さすが別の悲しさに。帰る処を知らんとて。苧環に針をつけ。裳裾にこれを閉ぢつけて。跡をひかへて慕ひ行く。
シテ「まだ青柳の糸長く。
地「結ぶや早玉の。おのが力にさゝがにの。糸くり返し行く程に。この山本の神垣や。杉の下枝に留りたり。こはそもあさましや契りし人の姿か其糸の三わけ残りしより。三輪のしるしの過ぎし世を語るにつけて恥かしや。
ロンギ地「実に有難き御相好。聞くにつけても法の道なほしも頼む心かな。
シテ「とても神代の物語。くはしくいざや現し彼の上人を慰めん。
地「先は岩戸のさおの初。隠れし神を出さんとて。八百万の神遊。是ぞ神楽の始なる。
シテ「千早振る。

神楽「イグセが終ると荘重な神楽舞が演じられる。この曲最大の見所だ。そしてそれに続くキリの部分では、三輪明神を天照大神にたとえて、天の岩戸神話が語られる。

ワカ「天の岩戸を。引き立てゝ。
地「神は跡なく入り給へば。常闇の世と。早なりぬ。
シテ「八百万の神たち。岩戸の前にてこれを歎き。神楽を奏して舞ひ給へば。地「天照大神其時に岩戸を少し開き給へば。又常闇の雲晴れて。日月光り輝けば。人の面白々と見ゆる。
シテ「面白やと神の御声の。
地「妙なる始の。物語。
キリ地「思へば伊勢と三輪の神。思へば伊勢と三輪の神。一体分身の御事今更何と岩倉や。その関の戸の夜も明け。かく有難き夢の告。覚むるや名残なるらん。覚むるや名残なるらん。


    

  
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