日本語と日本文化


大仏供養:悪七兵衛景清の弔い合戦(能、謡曲鑑賞)


能「大仏供養」は平家の武将悪七兵衛景清を描いた作品である。史実に基づいたものかどうか証拠に乏しく、作者もよくわかっていない。平家の遺臣として庶民の間で同情の厚かった影清を主人公に、立回りの能を作ろうとしたのであろう。景清を主人公にした能には外に「景清」があるが、そちらは晩年の盲目の景清を描いており、両者の雰囲気は非常に異なっている。

舞台は奈良春日の里なる東大寺。東大寺の大仏殿は源平の合戦の折に消失してしまったものを、頼朝が再興した。それを記念する開眼の儀式にあわせて、景清が頼朝の首を狙おうとする。いわば景清の弔い合戦がこの作品のテーマである。一人で頼朝に立ち向かおうとする景清の姿勢に、勇猛をならした人物像を照らし出そうとしたのだろう。

能は中入りを挟んで前後二段に分かれている。前段は、合戦を控えて、景清が春日の里に住む母親に暇を請う場面、後段は立回りの場面である。前後二段に分かれているといえ、場面は物語の進行に合わせて連続性をもっている。世阿弥時代の複式無限能とはことなり、あくまで物語の進行に重点を置いているのは、比較的時代の下った作品であることを推測させる。

また前後を通じて景清は直面のままで通すが、これも年代の新しさを推測させる材料である。

舞台にはまず、景清の母がシズシズと現れ、無言のままワキ座につく。そこへ編み笠をかぶり、旅装姿の景清が現れる。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

シテ次第「わすれは草の名に聞きて。わすれは草の名に聞きて。忍ぶや我が身なるらん。
詞「これは平家の侍悪七兵衛景清にて候。われ此間は西国の方に候ひしが。宿願の子細あるにより。此程まかり上り清水に一七日参篭申して候。又承り候へば。南都大仏供養の由申し候。某も若草辺に母を一人持ちて候ふ程に。かやうの折節貴賎に紛れ。向顔のため唯今南都へと急ぎ候。
サシ「あはれやげに古は。さしも栄えし花紅葉の。寿永の秋のいかなれば。思はぬ風に誘はれて。さしも馴れにし都の空。引きかへ鄙の憂きすまひ。
下歌「繋がぬ船のかひもなく。弓矢の家に生まれ来て。
上歌「三笠の森のかげ頼む。三笠の森のかげ頼む。其はゝきゞのながらへて。未だ此世の御すまひ。神も教の牡鹿鳴く。春日の里に着きにけり。春日の里に着きにけり。
詞「急ぎ候ふ程に。南都若草辺に着きて候。此あたりにて御ゆくへそ尋ねばやと存じ候。

久しぶりに対面した母子のやり取りがある。母は老いを理由に子に面倒を見てもらいたいといい、子は宿願の仔細ある由を語って、互いに心は離れているように見えるが、そのうちに母も子の思いを察知して、気持ちよく送り出す。その辺の心のひだが、この作品の一つの見せ所になっている。

ツレ「偖も我が子の景清は。此程いづくに在るやらん。南無や三世の諸仏。我が子の景清に。二たび逢はせて賜び給へ。
シテ詞「いかに案内申し候。
ツレ「我が子の声と聞くよりも。覚えず枢に立ち出でて。景清なるかと悦べば。シテ「暫く。あたりに人もや候ふらん。某が名をば仰せられまじいにて候。
母「まづこなたへ渡り候へ。さて此程はいづくに候ひつるぞ。
シテ「さん候西国の方に候ひしが。宿願の子細有るにより。都に上り清水に参篭申し候ふ処に。大仏供養の由承り候ふ程に。かやうのをりふし貴賎に紛れ。御音信の為に参りて候。
ツレ「偖は嬉しくも来り給ひて候。又尋ね申すべき事の候つゝまず申すべきか。シテ「是は今めかしき仰かな。何事にても候ヘ申し上げうずるにて候。
ツレ「真や人の申すは。頼朝をねらひ申すと聞き及びて候ふが真にて候ふか。
シテ「是はおもひもよらぬ仰にて候さりながら。西海にて亡び給ひし御一門の。御弔にもなるべきかと。思へばねらひ申すなり。
ツレ「申す処はさる事なれども。明日をも知らぬ老の身の。果をも見届け給へかし。
シテ「風に漂ふ浮舟の。教経の御供申さずして。
ツレ「物を思へば。
シテ「起きもせず。
地「寝もせで夜半を明かしかね。此身を隠すかひもなく。景清が心のうち母も哀と思し召せ。
上歌「一門の船のうち。一門の船のうちに肩を比べ膝をくみて。処狭く澄む月の。景清は誰よりも。御座船になくて適ふまじ。一類その以下武略さまざまに多けれど。名をとり楫の船に乗せ。主従隔なかりしは。さも羨まれたりし身の。麒麟も老いぬれば駑馬におとるが如くなり。
シテ詞「早夜の明けて候ふ程に御暇申し候。
ツレ「かまへて御身をよく/\慎みて。重ねて来り給ふべし。
シテ「げにありがたき母の慈悲。御詞の末も頼もしき。
地上歌「柞の森の雨露の。柞の森の雨露の。梢も濡らす我が袖を。しほりかねたる涙かな。いつしか親心。かなしむ母の門送り。景清も跡を見返りて涙と共に別れけり。涙と共に別れけり。

中入:場面が変わって東大寺大仏殿前に、頼朝の一行が現れる。頼朝は子役が演じる。

立衆一セイ「世に隠れなき大伽藍。仏の供養急ぐなり。
子方サシ「抑これは源家の官軍。右大将頼朝とは我が事なり。
立衆「忝くも此御寺は。聖武皇帝の御建立。大仏殿にておはします。
ワキ「又この君の御威光。今此寺にあひにあふ。
立衆上歌「大伽藍の御供養。大伽藍の御供養。光かゞやく春の日の。三笠の山に影高き。法の御声の様々に。供養をなすぞ有難き。供養をなすぞ有難き。

そこへ軍装束をし、鉢巻を締めた景清が現れる。

シテサシ一声「面白や奈良の都の時めきて。いろいろ飾る物詣。詞我はそれには引きかへて。敵を討たん謀を。思ふ心は己が名の。悪七兵衛景清と。
詞「よそにもそれと人やもし。白張浄衣に立烏帽子。げにわれながら思はざる。
上「姿に今は楢の葉の。時雨降り置く天が下に。身を隠すべき便なき。憂き身の果ぞあはれなる。宮人の。姿を暫し狩衣。
地「今日ばかりこそ翁さび。
シテ「人なとがめそ神だにも。
地「塵に交はる宮寺の。供養の場に立ち出づる。

景清の姿を見咎めた頼朝の家臣が、景清を追い払おうとするが、景清は宮人なればと譲らず、頼朝の首を掻く機会を狙う。そのうちに正体を名乗り、家臣たちと大立ち回りを演じる。

ワキ詞「こは何者なれば御前まぢかく参るぞそこ退き候へ。
シテ「これは春日の御奴なるが。けふの仏の御供養。場を清めの役人なるを。何しにとがめ給ふらん。
ワキ「春日祭にあらばこそ。
詞「これは仏の御供養。
シテ「なう水波の隔と聞く時は。仏も神も同一体。其上貴賎の事なるに。何とて簡び給ふべき。
ワキ「包むとすれど神は猶。君を守りの御威光。
シテ「あらはれけるが白張の。
ワキ「脇より見ゆる具足の金物。
シテ「光をはなつ。
ワキ「打物の。
地「鞘つまりたる詞の末。名のれ/\と責めければ。現れたりと思ひつゝ。さらぬやうに立ち帰り。又人影に隠れけり。
ワキ詞「言語道断の事。唯今の者をいかなる者ぞと存じて候へば。平家の侍悪七兵衛景清にて候。正しく我が君をねらひ申すと存じ候ふ程に。警固の者に申付け討ち取らせばやと存じ候。いかにやいかに警固の兵たしかに聞け。唯今見えししれ者を。はや打つ取つて参らせよと。さも高声に下知すれば。
地「畏つて候ふとて。かねて用意の警固の兵。皆一同に立ち騒ぐ。

景清は多勢を相手に一人戦い続けることに疲れて、後日を期してひとまずは立ち退こうと、虚空に声をとどろかせながら消えていく。

シテ詞「其時景清又立ち出でて思ふやう。ここ立ち退きては弓矢の恥辱となるべきなれば。今一太刀は打ちあひて。重ねて時節を待つべしと。大音上げて呼ばはりけり。抑これは平家の侍悪七兵衛景清と。
地「名のりもあへずあざ丸を。名のりもあへずあざ丸を。するりと抜き持ち立ち向ひ。大勢にわつて入れば。さしも固めし警固なれども四方へばつとぞ遁げにける中に若武者進み出で。走り懸つてちやうと切れば。ひらりと飛んで。手もとにより。忽ち勝負を見せにけり今は景清是までなりと。少し祈念を致しつゝ。かのあざ丸を。さしかざせば。霧立ち隠すや春日山。茂みに飛び入り落ちけるが。又こそ時節を待つべけれと。虚空に声して失せにけり。


    


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