日本語と日本文化


隅田川:梅若伝説(能、謡曲鑑賞)


今年も東京の桜は三月のうちに満開になって早くも散り始め、子どもの入学式までもたなかった。桜の咲く季節には決まって演ぜられる能の曲目があるが、それらも今年は葉桜を見ながら観劇することになりそうだ。

桜に縁のある能の一つに「隅田川」がある。これは別に桜が主題であるわけではなく、舞台にもそれらしき様子は現れないが、時期をことさらに旧暦三月の十五日に設定し、隅田川の堤を舞台にしているので、それを見る観客は、おのずから心の目に桜を見ながらこの曲を聴くこととなる。物語に展開される余りにも哀れで悲しい運命が、桜の花のおぼろげな雰囲気と対象をなして、聞くもの見るものに、ひとしお悲しい思いをさせるのである。

能「隅田川」は人買いにさらわれた子どもの悲しい運命と、その子を捜し求める母親の絶望をテーマにした物語である。能には失った子どもを捜し求める同様のテーマをあつかったものが他にも四つばかりあるが、それらのいずれもが、親子の再開が実現し、ハッピーエンドで終わっているのに対し、この曲ばかりはそうならない。母親は子どもの死に接して絶望するのである。

能には人間の絶望をテーマにしたものはそう多くはない。それだけにこの曲は異彩を放っているばかりか、人間の悲しい運命に対して日本人が抱いていた感情を、ドラマティックな形で表しえている。

作者は世阿弥の長男観世元雅である。元雅は父の世阿弥が幽玄の能を追求したのとは異なり、現実を見据えたリアリスティックな作品を多く作った。形式も現在能の形を取り入れ、物語性を強く意識したものが多い。

この作品は元雅の代表作といえるものだが、元雅が何を典拠にしてこの曲を書いたかは明らかではない。恐らく彼の創造になるものだろう。だが曲の内容が余りにも迫真性を帯びていたために、これを見た人々は、現実にあった話だと思い込んでしまった。そこから梅若伝説が生まれ、それをもとに隅田川のほとりに梅若を祀る寺まで建てられた。木母寺という寺がそれで、そこには梅若塚というものまで設けられている。

梅若の母親は、能「班女」の主人公花子の後の姿だと設定されている。「班女」は父世阿弥が書いた作品である。元雅はそれとかかわらせることで、物語に一定のリアリティを付与しようとしたのかもしれない。

舞台を隅田川に設定したのは、業平の伝説と結びつけることで、曲に色を添えようと思ったのであろう。これ以後、業平と梅若が結びつくことで、隅田川は文学的な情緒と深く結びつくようになった。

筆者がこの能を見たのは数年前。水道橋の能楽堂で催された観世銕之丞の舞台であった。その折の記憶をもとに、ここに再現してみたい。

まず舞台正面に舟の作り物が置かれ、その脇でワキの船頭が口上を述べる。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用。)

ワキ「これは武蔵の国隅田川の渡守にて候。今日は舟を急ぎ人々を渡さばやと存じ候。又此在所にさる子細有って。大念仏を申す事の候ふ間。僧俗を嫌はす人数を集め候。其由皆々心得候へ。

「今日は」のところは「コンニッタ」、「大念仏を」のところは「ダイネンブット」と発音する。当時の音便を能は保存しているのである。そこへ、先を急ぐ旅人が舟に乗り込んでくるが、道々面白い女物狂いを見たといって、船頭に話しかける。

ワキツレ「末も東の旅衣。末も東の旅衣。日も遥々の心かな。かやうに侯ふ者は。都の者にて候。我東に知る人の候ふ程に。後の者を尋ねて唯今まかり下り候。
道行「雲霞。あと遠山に越えなして。あと遠山に越えなして。いく関々の道すがら。国々過ぎて行く程に。こゝぞ名におふ隅田川。渡に早く着きにけり。渡に早く着きにけり。
詞「急ぎ候ふ程に。これは早隅田川の渡にて候。又あれを見れば舟が出で候。急ぎ乗らばやと存じ候。如何に船頭殿舟に乗らうずるにて候。
ワキ詞「なか/\の事めされ候へ。先々御出候後の。けしからず物騒に候ふは何事にて侯ふぞ。
男「さん候。都より女物狂の下り候ふが。是非もなく面白う狂ひ候ふを見候ふよ。
ワキ「さやうに候はゞ。暫く舟を留めて。彼の物狂を待たうずるにて候。

女物狂いの話に興味を持った船頭は、女がやってくるかも知れぬと思い、しばらく舟を出すのをためらう。するとそこへうわさの女物狂いが現れる。

シテサシ一声「実にや人の親の心は闇にあらねども。子を思ふ道に迷ふとは。今こそ思ひしら雪の。道行人に言づてゝ。行方を何と尋ぬらん。聞くや如何に。上の空なる風だにも。
地「松に音する。習あり。

(カケリ) ここでシテは、舞台を一巡するカケリを演ずるが、その間幾度かテンポを狂わせる動作をして、心の乱れているさまを表出する。

シテ「真葛が原の露の世に。
地「身を恨みてや。明け暮れん。
シテサシ「これは都北白河に。年経て住める女なるが。思はざる外に独子を。人商人に誘はれて。行方を聞けば逢坂の。関の東の国遠き。東とかやに下りぬと聞くより心乱れつゝ。そなたとばかり。思子の。跡を重ねて。迷ふなり。
地下歌「千里を行くも親心子を忘れぬと聞くものを。
上歌「もとより契仮なる一つ世の。契仮なる一つ世の。其中をだに添ひもせで。こゝやかしこに親と子の。四鳥の別これなれや。尋ぬる心の果ならん。武蔵の国と下総の中にある隅田川にも。着きにけり隅田川にも着きにけり。

女は自分の身の上にふれ、人買いにかどわかされて生き別れになった息子を探し求めて、はるばる隅田川までやってきたのだと述べる。

女は舟に載せてくれと頼むが、船頭は面白く狂わねば船には乗せぬと意地悪をする。それに対して女は当意即妙な受け答えをして船頭を感心させる。

シテ詞「なう/\我をも舟に乗せて賜はり候へ。
ワキ詞「おことは何くよりも何方へ下る人ぞ。
シテ「これは都より人を尋ねて下る者にて候。
ワキ「都の人といひ狂人といひ。面白う狂うて見せ候へ。狂はずは此舟には乗せまじいぞとよ。
シテ「うたてやな隅田川の渡守ならば。日も暮れぬ舟に乗れとこそ承るべけれ。かくの如く都の者を。舟に乗るなと承るは。隅田川の渡守とも。覚えぬ事な宣ひそよ。
ワキ詞「実に/\都の人とて。名にし負ひたる優しさよ。
シテ「なう其詞はこなたも耳に留るものを。彼の業平も此渡にて。名にしおはゞ。いざ言問はん都鳥。我が思ふ人は有りやなしやと。
詞 なう舟人。あれに白き鳥の見えたるは。都にては見馴れぬ鳥なり。あれをば何と申し候ふぞ。
ワキ「あれこそ沖の鴎候ふよ。
シテ「うたてやな浦にては千鳥とも云へ鴎とも云へ。など此隅田川にて白き鳥をば。都鳥とは答へ給はぬ。
ワキ「実に/\誤り申したり。名所には住めども心なくて。都鳥とは答へ申さで。
シテ「沖の鴎とゆふ波の。
ワキ「昔にかへる業平も。
シテ「有りや無しやと言問ひしも。
ワキ「都の人を思妻。
シテ「わらはも東に思子の。ゆくへを問ふは同じ心の。
ワキ「妻をしのび。
シテ「子を尋ぬるも。
ワキ「思は同じ。
シテ「恋路なれば。
地歌「我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思子は東路に。有りやなしやと。問へども/\答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守。さりとては乗せてたび給へ。

以上の場面は、伊勢物語の「都鳥」の段を踏まえ、一曲に花を添えているところだ。

船頭はいよいよ船を出す。対岸に大勢の人手があるのを不審に思った旅人がそのわけを訪ねると、船頭はこれには深いわけがあるのだと返す。

ワキ「かゝるやさしき狂女こそ候はね。急いで舟に乗り候へ。この渡は大事の渡にて候。かまひて静かに召され候へ。
男詞「なうあの向の柳の本に。人のおほく集まりで候ふは何事にて候ふぞ。
ワキ詞「さん候あれは大念仏にて候。それにつきてあはれなる物語の候。この舟の向へ着き候はん程に語つて聞かせ申さうずるにて候。

ここで船頭は、櫓を漕ぐ仕草もゆったりと、昨年の同月同日に、人買いに伴われた幼い子が、ここで俄かに病気にかかり、先へ進めなくなったところを、残忍な人買いたちに捨てられて、ついに息絶えた様子をしみじみと語りだす。

語「さても去年三月十五目。しかも今日に相当て候。人商人の都より。年の程十二三ばかりなる幼き者を買ひとりて奥へ下り候ふが。此幼き者。いまだ習はぬ旅の疲にや。以ての外に遺例し。今は一足も引かれずとて。此川岸にひれふし候ふを。なんぼう世には情なき者の候ふぞ。此幼き者をば其まゝ路次に捨てゝ。商人は奥へ下つて候。さる間此辺の人々。此幼き者の姿を見候ふに。よし有りげに見え候ふ程に。さまざまに痛はりて候へども。前世の事にてもや候ひけん。たんだ弱りに弱り。既に末期と見えし時。おことはいづく如何なる人ぞと。父の名字をも国をも尋ねて候へば。我は都北白河に。吉田の何某と申しゝ人の唯ひとり子にて候ふが。父には後れ母ばかりに添ひ参らせ候ひしを。人商人にかどはされて。かやうになり行き候。郡の人の足手影もなつかしう候へば。此道の辺に築き籠めて。しるしに柳を植ゑて賜はれとおとなしやかに申し。念仏四五返称へつひに事終つて候。なんぼうあはれなる物語にて候ふぞ。見申せば船中にも少々都の人も御座ありげに候。逆縁ながら念仏を御申し候ひて御弔ひ候へ。よしなき長物語に舟が着いて候。とう/\御上り候へ。
ワキツレ「いかさま今日は此所に逗留仕り候ひて。逆縁ながら念仏を申さうずるにて候。

対岸に着いた船頭は、船中の客に下りるよう促すが、あの狂女のみはいつまでも下りようとしない。その不幸な幼子こそ自分の探し求める息子だと知った狂女は、そのときの様子をもっと詳しく知りたがる。

ワキ「いかにこれなる狂女。何とて船よりは下りぬぞ急いで上り候へ。あらやさしや。今の物語を聞き候ひて落涙し候ふよ。なう急いで身より上り候へ。
シテ「なう舟人。今の物語はいつの事にて候ふぞ。
ワキ「去年三月今日の事にて候。
シテ「さて其児の年は。
ワキ「十二歳。
シテ「主の名は
ワキ「梅若丸。
シテ「父の名字は。
ワキ「吉田の何某。
シテ「さて其後は親とても尋ねず。
ワキ「親類とても尋ねこず。
シテ「まして母とても尋ねぬよなう。
ワキ「思もよらぬこと。
シテ「なう親類とても親とても。尋ねぬこそ理なれ。其幼き者こそ。此物狂が尋ぬる子にては候へとよ。なうこれは夢かやあらあさましや候。

この部分で、この狂女が「班女」の主人公花子の後の姿であることがほのめかされている。ことの仔細を知った船頭は大いに驚き、母親を梅若丸の墓所まで案内する。

ワキ詞「言語道断の事にて候ふものかな。今まではよその事とこそ存じて候へ。さては御身の子にて候ひけるぞあら痛はしや候。かの人の墓所を見せ申し候ふベし。こなたへ御出で候へ。
シテ「今まではさりとも逢はんを頼みにこそ。知らぬ東に下りたるに。今は此世になき跡の。しるしばかりを見る事よ。さても無慙や死の緑とて。生所を去って東のはての。道の辺の土となりて。春の草のみ生ひ茂りたる。此下にこそ有るらめや。
「さりとては人々此土を。かへして今一度。此世の姿を母に見せさせ給へや。
地「残りても。かひ有るべきは空しくて。かひ有るべきは空しくて。有るはかひなき帚木の。見えつ隠れつ面影の。定めなき世の習。人間憂の花盛。無常の嵐音添ひ。生死長夜の月の影不定の。雲おほへり実に目の前の。憂き世かなげに目の前の憂き世かな。

わが子の墓の前で呆然と立ちすくみ、絶望に落ち込んだ母親に対して、船頭はただただ幼子の後世のために念仏を唱えるようにと勧める。母親の念仏と地謡の念仏が交差して、なんとも言えず悲痛な雰囲気が舞台を支配するのである。

ワキ詞「今は何と御歎き候ひてもかひなき事。たゞ念仏を御申し候ひて。後世を御弔ひ候へ。既に月出で河風も。はや更け過ぐる夜念仏の。時節なればと面々に。鉦鼓を鳴らし勧むれば。
シテ「母は余りの悲しさに。念仏をさへ申さすして。唯ひれふして泣き居たり。
ワキ詞「うたてやな余の人多くましますとも。母の弔ひ給はんをこそ。亡者も喜び給ふべけれと。鉦鼓を母に参らすれば。
シテ「我が子の為と聞けばげに。此身も鳧鐘を取り上げて。
ワキ「歎をとゞめ声澄むや。
シテ「月の夜念仏もろともに。
ワキ「心は西へと一すぢに。
シテワキ二人「南無や西方極楽世界。三十六万億。同号同名阿弥陀仏。
地「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
シテ「隅田河原の。波風も。声立て添へて。
地「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
シテ「名にしおはゞ都鳥も音を添へて。
地、子方「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

念仏の声に混じって、子どもの念仏を唱える声が聞こえてきた。それは塚の中から響いてくるように思われる。母親はたとえ幻なりとも子の面影がみたいと、声のする方向へにじり寄る。すると舞台には子方が現れ、母親の思いに応えるかのような仕草をする。

シテ「なう/\今の念仏の中に、正しくわが子の声の聞え侯よ。此塚の内にてありげに候ふよ。
ワキ「我等もさやうに聞きて候。所詮此方の念仏をば止め候ふべし。母御一人御申し候へ。
シテ「今一声こそ聞かまほしけれ。南無阿弥陀仏。
子方「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と。
地「声の内より。幻に見えければ。
シテ「あれは我が子か。
子方「母にてましますかと。
地「互に手に手を取りかはせば又消え/\となり行けば。いよ/\思はます鏡。面影も幻も。見えつ隠れつする程に東雲の空も。ほのぼのと明け行けば跡絶えて。我が子と見えしは塚の上の。草茫々として唯。しるしばかりの浅茅が原と、なるこそあはれなりけれ、なるこそあはれなりけれ。

母親が我が子と思ったものはやはり幻であったことがわかり、気がつけばそこにはぼうぼうたる浅茅が原がひろがるのみ。凄惨とした雰囲気の中で一曲が閉じる。


    


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