日本語と日本文化


花月:喝食の芸づくし(能、謡曲鑑賞)


能「花月」は喝食の美少年に芸づくしを演じさせるというもので、小品ながら変化に富み、祝祭的な雰囲気に満ちた華やかな能である。

喝食とは、本来禅寺で修行する半俗半僧の少年をいった。大声を上げて食事を知らせたことからこう名付けられたが、時には説教に加わったり、芸能に従事したこともあったようだ。能にはほかに、喝食を主人公にした作品として、「自然居士」、「東岸居士」がある。

主人公の花月は天狗にさらわれたという設定になっている。天狗にさらわれたり、神隠しにあった子どもの話は、中世に大いに流行したものだ。この作品は、それを喝食の美少年に結びつけて、当時はやった芸能を次々と演じさせたものである。

作者は不詳であるが、世阿弥の頃からある古い能のようである。世阿弥の作という説もある。

芸づくしは、小歌に始まり、弓の段、曲舞、羯鼓、山巡りと続き、短い作品ながら様々な見せ場が並んで、観客を飽きさせない。文句なしに面白い作品である。

舞台にはまず、花月を子どもの頃に失った父親がワキとして登場する。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキ次第「風に任する浮雲の。風に任する浮雲の。とまりは いづくなるらん。
ワキ詞「是は筑紫彦山の麓に住居する僧にて候。われ俗にて候ひし時。子を一人持ちて候ふを。七歳と申しし春の頃。何処ともなく失ひて候ふ程に。これを出離の縁と思ひ。かやうの姿となりて諸国を修行仕り候。
道行「生れぬ先の身を知れば。生れぬ先の身を知れば。憐れむべき親もなし。親のなければ我が為に。心を留むる子もなし。千里を行くも遠からず。野に臥し山にとまる身のこれぞ真の住家なる。これぞ真の住家なる。
詞「急ぎ候ふ程に。是ははや花の都に着きて候。まづ承り及びたる清水に参り。花をも眺めばやと思ひ候。

そこへ狂言方が露払いとして現れ、先導される形でシテの花月が現れる。この後も、狂言は節目節目で物語の進行役をつとめ、曲の進行をすピーディーに運ぶ役目を見事に果たす。

シテの扮装は、前折烏帽子に少年の面、水衣のいでたちである。面は喝食面という特有のもので、前髪とえくぼを描き、少年の初々しさを強調している。

花月は名乗りを上げ、自分の名の由来を語った後、ささらをすりながら小歌を謡う。この小歌は当時の流行歌をそのまま取り入れたものと思われ、閑吟集にも収録されている。内容が男色を思わせることから、この曲自体が男色趣味の作品だときめつけられるもとともなっている。

狂言「定めて今日は清水へ御参なきことはあるまじく候。御供申し彼の人に見せ申し候。
シテ「そも/\これは花月と申す者なり。或人我が名を尋ねしに答へて曰く。月は常住にしていふに及ばず。さてくわの字はと問へば。春は花夏は瓜。秋は菓冬は火。因果の果をば末後まで。一句のために残すといへば。人これを聞いて。
地「さては末世の香象なりとて。天下に隠もなき。花月とわれを申すなり。
狂言「なにとて今までは遅く御出で候ふぞ。
シテ「さん候今まで雲居寺に候ひしが。花に心を引く弓の。春の遊の友達と。中たがはじとて参りたり。
狂言「さらばいつもの如くに歌を謡ひて御遊び候へ。
シテ小謡「こしかたより。
地「今の世までも絶えせぬものは。恋といへるくせもの。げに恋はくせもの。くせものかな。身はさら/\/\。さらさら/\に。恋こそ寝られね。

時はあたかも春、鶯が花を散らすので、シテはささらを弓に持ち替えて打ち落とそうとする仕草をする。一曲の見せ場弓の段である。だが、花月は殺生戒をば破るまじといって断念する。

狂言「あれ御覧候へ鴬が花を散らし候ふよ。
シテ詞「げに/\鴬が花を散らし候ふよ。某射ておとし候はん。
狂言「急いで遊ばし候へ。
シテ「鴬の花踏み散らす細脛を。大薙刀もあらばこそ。花月が身に敵のなければ。太刀刀は持たず。花は的射んがため。又かゝる落花狼藉の小鳥をも。射て落さんがためぞかし。異国の養由は。百歩に柳の葉をたれ。百に百矢を射るに外さず。われまたは花の梢の鴬を。射て落さんと思ふ心は。その養由にも劣るまじ。あらおもしろや。
地「それは柳これは桜。それは雁がねこれは鴬。それは養由これは花月。名こそはるとも。弓に隔はよもあらじいでもの見せん鴬。いでもの見せん鴬とて。履いたる足駄を踏んぬいで大口のそばを高く取り狩衣の袖をうつ肩ぬいで。花の木蔭に狙ひ寄って。よつぴきひやうと。射ばやと思へども仏の戒め給ふ殺生戒をば破るまじ。

続いてクセの部分があり、シテは舞いながら、清水寺の演技を語る。田村における清水寺縁起と同じような内容である。

狂言「言語道断面白き事を仰せられ候。また人の御所望にて候。当寺のいはれを曲舞につくりて御謡ひ候ふ由を聞しめして候。一節御謡ひ候へとの御所望にて候。
シテ詞「易きこと謡うて聞かせ申さうずるにて候。
サシ「さればにや大慈大悲の春の花。
地「十悪の里に香しく。三十三身の秋の月。五濁の水に影清し。
クセ「そも/\この寺は。坂の上の田村丸。大同二年の春の頃。草創ありしこの方。今も音羽山。嶺の下枝の滴に。濁るともなき清水の。流を誰か汲まざらん。或時この瀧の水。五色に見えて落ちければ。それを怪しめ山に入り。その水上を尋ねるに。こんじゆせんの岩の洞の。水の流に埋もれて名は青柳の朽木あり。その木より光さし。異香四方に薫ずれば。
シテ「さては疑ふ所なく。
地「楊柳観音の。御所変にてましますかと。皆人手を合はせ。猶もその奇特を知らせて給べと申せば。朽ち木の柳は緑をなし。桜にあらぬ老木まで。皆白妙に花咲きけり。さてこそ千手の誓には。枯れたる木にも。花咲くと今の世までも申すなり。

シテを見ていたワキは、この少年が自分の探し求める子であることに気づき、シテに呼びかける。両者は互いに父子であることを確認し喜び合う。

ワキ詞「あら不思議や。これなる花月をよくよく見候へば。某が俗にて失ひし子にて候ふはいかに。名のつて逢はゞやと思ひ候。いかに花月に申すべきことの候。
シテ「何事にて候ふぞ。」
ワキ「御身はいづくの人にてわたり候ふぞ。」
シテ「これは筑紫の者にて候。
ワキ「さて何故かやうに諸国を御廻り候ふぞ。」
シテ「われ七つの年彦山に登り候ひしが。天狗に捕られてかやうに諸国を廻り候。
ワキ「さては疑ふ所もなし。これこそ父の左衛門よ見忘れてあるか。
狂言「なう/\御僧は何事を仰せられ候ふぞ。
ワキ「さん候この花月は某が俗にて失ひし子にて候ふ程に。さてかやうに申し候。
狂言「げにと御申し候へば。瓜を二つに割つたるやうにて候。この上はいつものやうに八撥を御打ち候ひて。うちつれだつて故郷へ御帰り候へ。

物着を挟んで羯鼓の舞がある。羯鼓とは鼓に似た楽器で、手の代わりに撥でたたいて音を出す。シテは物着においてこの羯鼓を腹の上に結わえつけ、それを二本の撥でたたきながら舞うのである。

物着シテ「扨もわれ筑紫彦山に登り。七つの年天狗に。
地「とられて行きし山々を。思ひやるこそ悲しけれ。
羯鼓「とられて行きし山々を思ひやるこそ悲しけれ。まづ筑柴には彦の山。深き思を四王寺。讃岐には松山降り積む雪の白峯。さて伯耆には大山/\。丹後丹波の境なる鬼が城と。聞きしは天狗よりもおそろしや。さて京近き山々/\。愛宕の山の太郎坊。比良の峰の次郎坊。名高き比叡の大獄に。少しこゝろのすみしこそ。月の横川の流なれ。日頃はよそにのみ。見てや止みなんと眺めしに。葛城や。高間の山。山上大峰釈迦の嶽。富士の高嶺にあがりつつ。雲に起き臥す時もあり。かやうに狂ひめぐり心乱るゝこのさゝら。さら/\さら/\とすつては謡ひ舞うては数へ。山々嶺々里々をめぐり/\てあの僧に。逢ひ奉る嬉しさよ。今よりこのさゝら。さつと捨てゝさ候はゞ。あれなる御僧に。連れまゐらせて仏道の。つれ参らせて仏道の。修行に出づるぞ嬉しかりける。修行に出づるぞ嬉しかりける。

シテは天狗にさらわれて諸国の山を巡った話をすると、父親に再会できた喜びを表し、最後には親子そろって修行の旅に出るのである。


    


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