日本語と日本文化


蝉丸:蝉丸神社と芸能民のつながり(能、謡曲鑑賞)


能「蝉丸」の創作経緯にはわからぬことが多い。猿楽談義に「逆髪の能」として出てくるものが、「蝉丸」の原型であっという説がある。現行曲の「蝉丸」も、シテは逆髪になっているから、蓋然性は高い。そうだとすれば世阿弥以前からあった古い能ということになる。

作品の中では、蝉丸は延喜帝の第四皇子、逆髪は第三皇子となっているが、歴史上そういう事実はない。百人一首の歌で知られる蝉丸との関連も指摘されるが、この蝉丸も詳しい素性がわかっていない。中には、乞食だったのではないかとするうがった見方もあるくらいだ。

筆者などは、この作品は、蝉丸神社の縁起物語として伝わっていたものを、能の作者が取り上げたのではないかと疑っている。蝉丸神社は円融天皇の時代、つまり10世紀の末に、関の逢坂にもともとあった神社に蝉丸を合祀したことが始まりだとされる。祀られた蝉丸は芸能の神としての神格をもっていた。そんなところから、やがて諸国を流浪する芸能民たちの守護神となり、室町末期以降は、説経師たちの職業的な元締めともなっていく。この神社の発行する札が、説経師たちの通行手形となったわけである。

説経師たちとのかかわりは、やや時代が下ってからのことであるが、創建当初から、この神社が諸々の芸能の徒と深いかかわりを持っていたであろうことは、想像に難くない。芸能の徒は、とかく自分らの出自について因縁をつけたがるものであるから、既に伝説上の人物になっていた蝉丸の名を借りて、神社とそれに帰依する自分らの縁起物語を紡ぎだしたのではないか。

以上の詮索はひとまず脇へ置いて、作品そのものを見てみよう。

上述したように、シテは逆髪であるが、実質的な主人公は蝉丸である。蝉丸は生まれながらの盲目を、前世の因果だとして父帝から捨てられる。その場所が関の逢坂ということになっている。蝉丸は従者たちに先導されて逢坂に来ると、僧体になりを変えて庵を結び、そこで琵琶を弾きつつ寂しい生き様を始めるのである。

一方逆髪の方は、名のとおり髪が逆さになった狂女として描かれている。偶然逢坂を通りがかった逆髪は、琵琶の音に引かれて庵に近づき、その声を聞いて弟の蝉丸であると気づく。二人は互いに慰めあい、運命の過酷さを嘆きあうが、やがて逆髪は去り、二人は別々の道を歩き始める。

これだけの話であるが、運命の過酷さにもかかわらず、生きていこうとする二人の姿が、人間の尊厳のようなものを感じさせ、哀愁の中にも、人を勇気付けるところのある作品である。

この曲は、動きの少ないところから、かつては座敷謡として、もっぱら謡われるばかりだったが(謡曲のなかでも、しっとりとして、いい曲なのである)、最近ではしばしば上演されるようになった。

戦前は、皇室の不幸を題材にしているという理由で、上演を禁止されることもあったらしい。

舞台には、3人の従者に先導されて蝉丸が現れる。蝉丸面といって、この能にだけに用いられる盲目の少年をかたどった面を被り、貴公子らしく直垂を着ている。(以下。テキストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ二人、次第「定めなき世のなか/\に。定めなき世のなか/\に。憂きことや頼なるらん。
ワキ「これは延喜第四の御子。蝉丸の宮にておはします。
三人「実にや何事も報有りける浮世かな。前世の戒行いみじくて。今皇子とはなり給へども。襁褓のうちよりなどやらん。両眼盲ひまし/\て。蒼天に月日の光なく。暗夜に灯。暗うして。五更の雨も。止む事なし。
ワキ「明かし暮らさせ給ふ所に。帝如何なる叡慮やらん。
三人「密かに具足し奉り。逢坂山に捨て置き申し。御髪をおろし奉れとの。綸言出でてかへらねば。御痛はしさは限なけれども。勅諚なれば力なく。
下歌「足弱車忍路を雲井のよそに廻らして。
上歌「しのゝめの。空も名残の都路を。空も名残の都路を。今日出で初めて又いつか。帰らん事も片糸の。よるべなき身の行方。さなきだに世の中は。浮木の亀の年を経て。盲亀の闇路たどり行く。迷の雲も立ちのぼる。逢坂山に着きにけり。逢坂山に着きにけり。

一行が逢坂山につくと、蝉丸はここで捨てられることを予感して従者に己が行く末を尋ねる。従者は様々に慰めるが、蝉丸は、これも前世の因業とあきらめ、父帝の命令どおり髪を下ろすことに同意する。

ツレ詞「いかに清貫。
ワキ詞「御前に候。
ツレ「さて我をば此山に捨て置くべきか。
ワキ「さん候宣旨にて候程に。これまでは御供申して候へども。何しに捨て置き申すべきやらん。さるにても我が君は。堯舜より此方。国を治め民を憐れむ御事なるに。かやうの叡慮は何と申したる御事やらん。かゝる思もよらぬことは候はじ。
ツレ詞「あら愚の清貫が言ひ事やな。本より盲目の身と生るゝ事。前世の戒行拙き故なり。されば父帝も。山野に捨てさせ給ふ事。御情なきには似たれども。此世にて過去の業障を果し。後の世を助けんとの御謀。これこそ誠の親の慈悲よ。あら歎くまじの勅諚やな。
ワキ詞「宣旨にて候ふ程に。御髪をおろし奉り候。
ツレ詞「これは何と云ひたる事ぞ。
ワキ「是は御出家とてめでたき御事にて渡らせ給ひ候。

(物着)ここで、蝉丸らは舞台に残ったままで、衣装を変える。蝉丸は、角帽子に水衣の法衣をまとい、僧体となる。ワキは、蝉丸に、蓑、笠、杖を渡して去る。

ツレ「実にやかうくわんもとひを切り。半だんに枕すと。唐土の西施が申しけるも。かやうの姿にてありけるぞや。
ワキ「此御有様にては。中々盗人の恐も有るべければ。御衣を賜はつて簑と云ふ物を参らせ上げ候。
ツレ「これは雨による田簑の島とよみ置きつる。簑と云ふ物か。
ワキ詞「又雨露の御為なれば。同じく笠を参らする。
ツレ「これは御侍御笠と申せとよみ置きつる。笠と云ふ物よなう。
ワキ詞「又此杖は御道しるべ。御手に持たせ給ふべし。
ツレ「実に/\是も突くからに。千年の坂をも越えなんと。彼の遍照がよみし杖か。
ワキ「それは千年の坂行く杖。
ツレ「こゝは所も逢坂山の。
ワキ「関の戸ざしの藁屋の竹の。
ツレ「杖柱とも頼みつる。
ワキ「父帝には。
ツレ「捨てられて。
地「かゝる憂き世に逢坂の。知るも知らぬもこれ見よや。延喜の皇子の成り行く果ぞ悲しき。行人征馬の数々。上り下りの旅衣。袖をしをりて村雨の振り捨て難き。名残かな振り捨てがたき名残かな。さりとてはいつを限に有明の。尽きぬ涙を押さへつゝ。早帰るさになりぬれば。皇子は跡に唯独。御身に添ふ物とては。琵琶を抱きて杖を持ち臥し転びてぞ泣き給ふ。臥しまろびてぞ泣きたまふ。

ここで、源博雅に扮した狂言が現れて、蝉丸を慰め、小屋を作ってその中へ蝉丸を導きいれる。博雅は、管弦の名手で雅楽に優れていたという伝説的な人物である。

博雅が去った後、シテの逆髪が現れる。

シテ、サシ一声「これは延喜第三の御子。逆髪とは我が事なり。我皇子とは生るれども。いつの因果の故やらん。
詞「心より/\狂乱して。辺土遠郷の狂人となって。翠の髪は空さまに生い上つて撫づれども下らず。
詞「いかにあれなる童どもは何を笑ふぞ。何我が髪の逆さまなるがをかしいとや。実に/\逆さまなる事はをかしいよな。さては我が髪よりも。汝等が身にて我を笑ふこそ逆さまなれ。
詞「面白し/\。是等は皆人間目前の境界なり。夫れ花の種は地に埋もつて千林の梢に上り。月の影は天にかゝつて万水の底に沈む。是等をば皆何れが順と見逆なりと言はん。我は皇子なれども。庶民に下り。髪は身上より生ひ上つて星霜を戴く。これ皆順逆の二つなり。面白や。
カケリ「柳の髪をも風は梳るに。
地「風にも解かれず。
シテ「手にも分けられず。
地「かなぐり捨つるみての袂。
シテ「抜頭の舞かやあさましや。
地歌「花の都を立出でて。花の都を立出でて。憂き音に鳴くか鴨河や。末しら河を打ち渡り。粟田口にも着きしかば今は誰をか松坂や。関の此方と思ひしに。跡になるや音羽山の名残惜しの都や。松虫鈴虫きりぎりすの。鳴くや夕陰の山科の里人も咎むなよ。狂女なれど心は清滝川と知るべし。
シテ「逢坂の。関の清水に影見えて。
地「今や引くらん望月の。駒の歩も近づくか。水も走井の影見れば。我ながら浅ましや。髪は蓬を戴き黛も乱れ黒みて。実に逆髪の影映る。水を鏡とゆふ波の現なの我が姿や。

逆髪が蝉丸のいる藁屋に近づくと、中からは琵琶の音が聞こえてくる。蝉丸は博雅が戻ってきたかと思い外へ出る。ここで姉と弟は対面し、手を取り交わしながら、互いの不幸を嘆く。

ツレ、サシ「第一第二の絃は索々として秋の風。松を払つて疎韻落つ。第三第四の宮は。我蝉丸が調べも四つの。をりからなりける村雨かな。あら心凄の夜すがらやな。世の中は。とにもかくにも有りぬべし。宮も藁屋も果てしなければ。
シテ「不思議やなこれなる藁屋の内よりも。撥音けだかき琵琶の音聞ゆ。そもこれ程の賎が家にも。かゝる調べのありけるよと。思ふにつけてなどやらん。世になつかしき心地して。藁屋の雨の足音もせで。ひそかに立ちより聞き居たり。
ツレ「誰そや此藁屋の外面に音するは。此程をり/\訪はれつる。博雅の三位にてましますか。
シテ詞「近づき声をよく/\聞けば。弟の宮の声なりけり。なう逆髪こそ参りたれ。蝉丸は内にましますか。
ツレ「何逆髪とは姉宮かと。驚き藁屋の戸を明くれば。
シテ「さも浅ましき御有様。
ツレ「互に手に手を取りかはし。
シテ「弟の宮か。
ツレ「姉宮かと。
地「共に御名をゆふ付の。鳥も音を鳴く逢坂の。せきあへぬ御涙。互に袖やしをるらん。

クセの部分では、シテではなくツレの蝉丸の身の上が語られる。蝉丸が謡うことはないが、居グセの姿勢をとって、シテの存在を盛り上げる。

地クリ「夫れ栴檀は二葉より香ばしといへり。ましてや一樹の宿として。風橘の香を留めて。花も連なる。枝とかや。
シテ、サシ「遠くは浄蔵浄眼早離速離。近くは又応神天皇の御子。
地「難波の皇子菟道の御子と。互に即位謙譲の御志。皆これ連理の情とかや。シテ「さりながらこゝは兄弟の宿とも。
地「思はざりしに藁屋の内の。一曲なくはかくぞともいかで調の四つの緒に。シテ「引かれてこゝに。よるべの水の。
地「浅からざりし契かな。
クセ「世は末世に及ぶとても。日月は地に落ちぬ。習とこそ思ひしに。我等如何なれば。わうじを出でてかくばかり。人臣にだに交はらで。雲居の空をも迷ひ来て都鄙遠境の狂人路頭山林の賎となつて。辺土旅人の憐をたのむばかりなり。さるにても昨日までは。玉楼金殿の。床を磨きて玉衣の。袖引きかへて今日は又かゝる所の臥所とて。竹の柱に竹の垣軒も枢もまばらなる。藁屋の床に藁の窓。敷く物とても藁莚。これぞ古の錦の褥なるべし。
ツレ「たま/\こと訪ふものとては。
地「峯に木伝ふ猿の声。袖を湿ほす村雨の。音にたぐへて琵琶の音を。弾き鳴らし弾き鳴らし。我が音をも泣く涙の。雨だにも音せぬ藁屋の軒のひまひまに。時時月は漏りながら。目に見る事の叶はねば。月にも疎く雨をだに。聞かぬ藁屋の起臥を。思ひやられて痛はしや。

クセが終わると別離の場面。二人は名残を惜しむでもなく、淡々と分かれる。この別れが、なんとも言えずさびしい趣を曲に漂わせている。

ロンギ、シテ「これまでなりやいつまでも。名残は更に尽きすまじ。暇申して蝉丸。
ツレ「一樹の蔭の宿とて。それだに有るにまして実に。兄弟の宮の御わかれ。とまるを思ひやり給へ。
シテ「実に痛はしや我ながら。行くは慰む方もあり。留まるをさこそとゆふ雲の。立ちやすらひて泣き居たり。
ツレ「鳴くや関路の夕烏。浮かれ心は烏羽玉の。
シテ「我が黒髪の飽かで行く。
ツレ「別路とめよ逢坂の。
シテ「関の杉村過ぎ行けば。
ツレ「人声遠くなるまゝに。
シテ「藁屋の軒に。
ツレ「たゝずみて。
地「互にさらばよ常には訪はせ給へと。幽かに声のする程聞き送りかへり見おきて泣く泣く別れ。おはします泣く/\別れおはします。

蝉丸神社は、大津市の南西、山城と近江の境をなす逢坂山にある。蝉丸神社には上下別と三社あるそうだが、一般に蝉丸神社として通っているのは下社である。

数年前、筆者は謡曲の仲間とともにこの地を旅し、蝉丸神社を訪れたことがあった。豊かな自然の中に古びた拝殿があり、その前には舞台があった。我々はこの舞台の上で、是非蝉丸の一節を謡いたいと思っていた。そこで、あらかじめ神社の許可をとり、当日は10名ばかりの仲間とともに舞台に上がると、声を揃えて斉唱したのであった。


    


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