日本語と日本文化


狂言「萩大名」:野卑な大名


狂言「萩大名」は田舎者の無知を笑うという趣向の作品である。大名と言っても、戦国時代の守護大名ではなく、田舎のちょっとした地主といったものだ。田舎者であるから、教養があるわけではなく、かえって野卑といってよい。そんな野卑な大名が京へ来たついでに、優雅な遊びがしたいという。しかしそもそも、日頃優雅とは無縁なことから、人前でとんだ恥さらしをする。それを笑うというのが、この狂言の趣向である。

大名が無知な役柄にある一方、太郎冠者が多少の教養をもった人間として描かれている。そのへんのところが、他の大名狂言とはちょっと違ったところだ。

ここでは先日NHKが放映した舞台を紹介する。シテの大名は野村萬、太郎冠者は野村太一郎、亭主が野村萬録であった。

まず、亭主が出てきて脇座に就いた後、大名が出てきて口上を述べ、遊山の相談とて太郎冠者を呼び出す。どこか変わったところに行きたいから連れていけと大名がいうと、下京辺によい庭があって、いまは萩の花盛りだからそれを見に行きましょうと提案する。しかしそれにはひとつ条件がある。萩を見た感想を三十一文字の歌にして亭主に披露しなければならない。大名が、そんな難しいことは自分には出来ぬと尻込みすると、若い衆が下歌に作ったものがあるので、それを自分のものとして披露したらよいと入智慧する。ところが大名は、「七重八重、九重とこそ思いしに、十重咲き出づる、萩の花かな」というその歌を、自分にはとても覚えておられぬという。そこで太郎冠者が名案を思い付く。(以下テクストは、山本東本による)

太郎冠者「イヤ、物によそえましては何とござろうぞ。
大名「いかに、みどもが愚鈍なというて、物によそえて覚えられぬことはあるまい。して何によそゆるぞ。
太郎冠者 扇を腰から抜いて手に持ち「まず、この扇と申すものは、たいすう骨の十本あるものでござる。
大名「いかにも十本あるものじゃ。
太郎冠者「七重八重と申す時分は」開いて見せながら「七本、八本お目にかけましょう」さらに一本開き「九重に九本、十重咲き出づるにぱらりと開きましては、」と、いったん閉じてから全部開いて見せる「何とでござろうぞ
大名「これは一段とよかろう。が、まだあとに何やらあったような。
太郎冠者「あとの、萩の花かなは成りましょう
大名「これも何ぞによそえずは成るまい
太郎冠者「これほどのことも成りませぬか
大名「なかなか成らぬことじゃ
太郎冠者「さてさてそれは苦しいことでござる。何ぞよそえ物はあるまいか知らぬ。」考えて「イエ、これもよいよそえ物がござる。つねづねこなたの、私を叱らせらるるに、アノすねはぎの、延びてのかごうでの、と仰せられまするによって、近頃慮外にはござれども、萩の花かな、と申す時分は、私の向うずねと鼻の先をお目にかけましょうが、何とござろうぞ。
大名「これは一段とよかろう。それならばおっつけ行こう
太郎冠者「ようござりましょう

こうして二人は萩の庭がある宿へと出かけて行き、亭主の許しを得て、庭を一望する場所に案内される。庭を眺めていた大名は妙なところに感心する。梅の古木を見ては、茶臼の挽き木に持って来いといって太郎冠者にたしなめられたり、見事な石を見ては、火打石にしたらよかろうといって、これもまた太郎冠者にたしなめられる。そのうち本命の萩の花が目に留まり、ちぐはぐな感想をもらしていると、いよいよ亭主から和歌を詠むようにと催促される。そこで、例の打ち合わせどおり、太郎冠者がよそえ物の合図をするが、中々思うように文句が出てこない。

大名「のうのう亭主。外聞ともおしゃるによって、一首詠うでみょうが、久しう詠まぬによって、ちと案じてみずはなるまい。その間、つっとあちらを向いていておくりゃれ」扇で脇柱のほうをさす
亭主「何がさて、畏まってござる。」正面を向く。以下太郎冠者は約束したとおりに扇で教える。大名はそれを見て亭主に言う。大名が間違えて言うと、亭主は、その言葉を繰り返したりして不審がる
大名「七本八本
太郎冠者「シー、七重八重でござる
大名「のうのう、今のはちと違うてござる。
亭主「何とござる。
大名「七重八重でおりゃる。
亭主「ハハア、七重八重。
大名「なかなか
亭主「まずは五文字が面白うござる。あとを承りましょう。
大名「ただいま申そう。早うあちらを向かしめ。
亭主「心得ました。
大名「九つ時。
太郎冠者「シー、九重とこそ思いしに、でござる。
大名「のうのう亭主。今のはざれごとでおりゃる。
亭主「して、何とござるぞ。
大名「九重とこそ思いしに、でおりゃる。
亭主「九重とこそ思いしに。
大名「なかなか。
亭主「だんだんできまする。あとを承りとうござる。
大名「おっつけ申そう。早うあちらを向かしめ。
亭主「心得ました。
大名「ぱらりと開いた。
亭主「なんじゃ、ぱらりと開いた。ハア合点の行かぬ。
太郎冠者「シー、十重咲き出づる、でござる。
大名「ヤア、
太郎冠者「十重咲き出づる。」扇で自分の脛と鼻の先をさして、大名と顔を見合わせ、たがいに無言でうなずき、狂言座へ行き、座る。
大名「面目もおりない。また違うておりゃる。
亭主「再々違いまするが、何とござるぞ。
大名「十重咲き出づる、でおりゃる。
亭主「吟じてみましょう。
大名「勝手次第。」正面を向く。
亭主 正面を向いて「七重八重、九重とこそ思いしに、十重咲き出づる」大名の方を向き「イヤ、これは殊の外面白いことでござる。このあとを承りとうござる。」

こういわれた大名は、助けを求めて太郎冠者の方を向くが、太郎冠者の方では、大名がへまばかりしているのに愛想をつかし、自分ひとりで立ち去ってしまったのだった。一人残された大名は、続きの句をどうしても思い出せない。そこで何とかすらとぼけてその場から逃げようとするが、亭主の方では、歌が完結しないうちは逃がさないと言って大名を拘束する。拘束された大名は、口から出まかせをいって取り繕うとするが、それがいよいよ亭主を怒らせる。

こういう具合で、大名はとことん馬鹿な人間として描かれている。馬鹿なくせして大名とはこれいかに、というわけだ。そのちぐはぐさが、見る者の笑いを誘ってやまないわけである。






  
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