日本語と日本文化


狂言「蚊相撲」


大名狂言には、大名が新参を抱えるという類型がある。「蚊相撲」はその代表的なものだ。大名が相撲取りを抱えようとするのであるが、どういうわけか、やってきた相撲取りとは蚊の精のことで、大名が蚊に刺されながら相撲を取るという話である。蚊が相撲とりになるというのも奇想天外なことであるが、その蚊を相手に、大真面目に相撲をとる大名というのもなかなか人の意表を突くというわけで、何ともユーモラスな一番である。

ここでは先日NHKが放送したものを紹介したい。シテ(大名)は善竹忠一郎、アド(蚊の精)は善竹忠重だった。

舞台には大名と太郎冠者が登場する。大名は、今や天下治まりめでたい世であるから相撲が流行っているといい、自分も相撲取りを召し抱えたいと言い出す。そこで太郎冠者にむかってその旨を説明し、相撲取りを探して連れて来いと命じる。何人召し抱えるつもりかと太郎冠者に聞かれた大名は、始めは三千人、ついで五百人などと大袈裟な数字をいうが、最期には一人だけにしようということに落ち着く。そこで太郎冠者は街道へまかり参じて相撲取りの来るのを待つこととあいなる。

そこに蚊の精が登場し、相撲が流行っているようだから、自分も相撲取りになろうという。

蚊の精「まかり出でたる者は、江州守山に住む蚊の精でござる。天下治まりめでたい御世でござれば、都には相撲がはやると申すによって、相撲取りになって都に上り、思うままに血を吸おうと存ずる」
蚊の精を見かけた太郎冠者が声をかける。
太郎冠者「聊爾な申しごとながら、そなたはどれからどれへおりゃるぞ。
蚊の精「私は相撲取りでござるが、奉公の望みあって都へ上りまする。
太郎冠者「ヤアヤア、奉公の望みあって都へ上る。
蚊の精「なかなか。
太郎冠者「それはさいわいなことじゃ。抱ようものを。
蚊の精「アノ、こなたの。
太郎冠者「もっともな。みどもが抱ゆるではおりない。某が頼うだ人はクヮッと御大名じゃ。このたび相撲の者をあまた抱えさせらるるによって、わごりょが望みならば、言うて出いておまそうかということじゃ。
蚊の精「それは私の望むところでござる」

こうして二人は連れ立って大名の所にやって来る。大名は新参者の人柄を試してみるために、沢山用をいいつけろなどと命じるうちに、とりあえず会ってみようという気になり、太郎冠者に次のように言いつける。
大名「行て言おうは、新参の者にはるばるのところを大儀にこそあれ。そうあれば、頼うだ人折ふし御機嫌ようて表へ出させられた。白州へ回って目見えをせい。それもお目がいたならばさっそく御見参であろうず。またお目がいかずば五日も十日も逗留することがあろう、と言うて、これは汝が分で探がらせておけ
太郎冠者「かしこまってござる」

蚊の精をちらりとみた大名は、続いて太郎冠者を相手に次のようなことを言う。
大名「ヤイ太郎冠者、今のが新参の者か。
太郎冠者「さようでござる。
大名「さてさて興がったつらじゃなあ。
太郎冠者「興がったつらでござる。
大名「あれが相撲を取るか。
太郎冠者「いかにも取ると申しまする。
大名「して国はいずくじゃと言うぞ。
太郎冠者「江州守山じゃと申しまする。
大名「ウーン、江州守山は相撲所と聞いた。それならばおっつけて相撲が見たいによって、これへ出て取れといえ。
太郎冠者「畏まってござる。」

ところが蚊の精は、相手がなければ相撲は取れぬという。大名は太郎冠者に相手になれというが、太郎冠者は相撲の取り方がわからぬと言うので、自分が相手になろうと言い出す。こうして大名と蚊の精との一番と相成るのだが、大名は相手が手加減するように、釘をさすのを忘れない。
大名「ヘエ、きゃつが相撲も知れた。下手であろう。
太郎冠者「それは何故にでござる。
大名「みどもを取って打ちつけて、誰が扶持をするものか。
太郎冠者「これはごもっともでござる。」

こうして大名と蚊の精が相撲を始めるが、蚊の精の方は余り遠慮する様子もなく、大名のまわりをブンブン飛び回っては、大名の目玉をクルクルといわす。
大名「さてさて、きゃつが相撲は早い相撲じゃ。ヤッという、おっぴらく、何やら身内がしくしくとすると思うたれば、目がくるくるともうた。ちかごろ合点の行かぬ相撲ではないか。
太郎冠者「まことに、ふしぎなことでござる。
大名「きゃつが国はいずくとやら言うたなあ。
太郎冠者「江州守山じゃと申しました。
大名「オオそれそれ、それについて思い出いた。江州守山は蚊の名所で、いにしえも人ほどの蚊が出て相撲取りになり、人間に近づき血を吸うたということがある。もしきゃつは蚊の精ではないか。」

相手が蚊の精とわかった二人は、扇を仰いで風を起こせば、吹き飛んでしまうだろうと思い、陰謀をたくらむ。陰謀を知らぬ蚊の精はもう一番応じるが、傍らから太郎冠者に扇を煽り立てられ難儀する。
蚊の精「ブーン
大名「ヤイヤイあおげあおげ。
蚊の精「ブーン
大名「(よろこんで)さればこそ、いやがるは、いやがるは。疑いもなく蚊の精じゃ。随分精を出いてあおげあおげ。
太郎冠者「こしこまってござる。

風であおられた蚊の精はふらふらとする。それを大名がつかまえて
「ヤットナ」と突き飛ばしながら、蚊の口についた針をもぎ取る。針を抜かれた蚊の精はフラフラになりながら退場していく。






  
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