日本語と日本文化


能「箙」:梶原源太景季と梅


能「箙」は、「田村」、「八島」とともに勝修羅三番と呼ばれている。通常の修羅者が、戦で死んだ主人公の恨みをテーマにするのに対して、勝修羅は勇壮な戦いぶりを描いていることから、徳川時代には、一種の祝言能として、人気があった。

田村が坂上の田村麻呂、八島が源義経といった歴史上の大英雄を主人公とするのに対して、箙は梶原源太景季という若武者を主人公とする。したがって他の二作に比べてやや、軽快な仕上げになっている。

前半では、里人が現れて一の谷の合戦における、源太景季の戦いぶりと、その彼が箙に梅をさして戦ったことなどが語られる。後半ではその源太景季が梅の枝をさした箙を背負って現われ、勇壮なカケリを披露する。

非常に単純な構成ながら、見所にとんだ作品である。

舞台にはまず、旅の僧が連れのもの二人とともに登場する。(以下テクストは「半魚文庫」活用)

ワキ、ワキツレ二人次第「春を心のしるべにて。春を心のしるべにて。憂からぬ旅に出でうよ。
ワキ詞「これは西国方より出でたる僧にて候。我未だ都を見ず候ふ程に。此度都に上り洛陽一見と志し候。
道行三人「旅心。筑紫の海の船出して。筑紫の海の船出して。八重の潮路を遥々と分けこし方の雲の波。煙も見えし松原の。里の名問へば須磨の浦。生田の川に着きにけり。生田の川に着きにけり。

そこへ、ひとりの里人が現れる。直面である。

シテ次第「来る年の矢の生田川。流れて早き月日かな。
サシ「飛花落葉の無常は又。常住不滅の栄をなし。一色一香の縁生は。無非中道の眼に応ず。人間個々円成の観念。なほ以て至り難し。あら定めなの身命やな。
下歌「人間有為の転変は。眼子の中に現れて。
上歌「閻浮に帰る妄執の。閻浮に帰る妄執の。その生死の海なれや。生田の川の幾世まで夜の巷に迷ふらん。よしとても身の行方定ありとても終には夢の直路に帰らん夢の直路に帰らん。

僧は傍らの梅の由来を里人に尋ねる。里人は箙の梅だと答える。しかして、いわれらしきものはなく、自分がそう名づけたのだという。また箙とは、かの梶原源太景季の背負っていた箙のことであり、彼は一の谷の戦いに際して、その箙に梅の枝を刺したのだと説明する。

ワキ詞「いかに申すべき事の候。これなる梅は名木にて候ふか。
シテ「さん候これは箙の梅と申し候。
ワキ「あらおもしろや箙の梅とは。いつの世よりの名木にて候ふぞ。
シテ「いや名木ほどの事は候はねども。ただわたくしに申しならはしたる異名にて候。
ワキ「よし/\わたくしに名づけたる異名なりとも。委しく御物語り候へ。
シテ詞「そも/\この生田の森は。平家十万余騎の大手なりしに。源氏の方に梶原平三景時。同じき源太景季。色殊なる梅花の有りしを。一枝折つて箙にさす。此花則ち笠印となりて。景色あらはに著く。功名人に勝れしかば。景季かへつて此花を礼し。則ち八幡の神木と敬せしよりこのかた。名将の古跡の花なればとて。箙の梅とは申すなり。
ワキ「実にや名将の古跡と云ひ名木と云ひ。名残つきせぬ年々に。
シテ詞「ふるはほどなき春雨の。ふるきに帰る名を聞けば。
ワキ「その景季の盛なりし。
シテ「若木の花のしらま弓。
ワキ「箙の梅の。
シテ「今までも。
地上歌「名をとめし。主は花の景季の。主は花の景季の。末の世かけて生田川の。身を捨てゝこそ。名は久しけれものゝふの。やたけ心の花にひく弓筆の名こそ妙なれや弓筆の名こそ妙なれ。

クセは長い居グセで、源太の亡霊である里人が、源太の勇壮な戦いぶりを語る。

クリ「さるほどに平家は去年播磨の室山。備中の水島二箇度の合戦に打ち勝つて。山陽道南海道。合はせて十四箇国のつはもの。都合十万余騎。津の国一の谷にぞ籠りける。
シテサシ「東は生田の森。西は一の谷をかぎつて。そのあひ三里が程は充ち満ちたり。
地「浦浦には数千艘の船をうかべ。陸には赤旗いくらも立てならべ。春風になびき天に翻るありさま。猛火雲を焼くかと見えたり。
シテ「総じてこの城の。前は海後は山。
地「左は須磨右は明石の。とよりかくより。行きかふ舟の。ともねの千鳥の声々なり。
クセ「時しもきさらぎ上旬の空のことなれば。須磨の若木の桜もまだ咲きかぬる薄雪のさえかへる浪こゝもとに。生田のおのづからさかりを得て。かつ色見する梅が枝一花開けては天下の春よと。軍の門出を祝ふ心の花もさきかけぬ。さるほどに味方の勢。六万余騎を二手に分けて。範頼義経の大手からめての。海山かけて須磨の浦。四方をかこみて押し寄する。
シテ「魚鱗鶴翼もかくばかり。
地「後の山松に群れゐるは。残りの雪の白妙に。ねぐらをたゝぬまなづるの。ちばさをつらぬるそのけしき。雲にたぐへておびたゞし。浦には海人さまざまの。漁父の船かげかず見えて。いさりたく火もかげろふや。あらしも波も須磨のうら野にも山にも漕ぎ寄する。兵船はさながら。天の鳥船もかくやらん。

一通り語り終わると、里人は自分が源太の幽霊だと断って消える。

ロンギ「はや夕ばえの梅の花。月になりゆくかり枕。一夜の宿をかし給へ。
シテ「われはやどりも白雪の。花の主と思し召さばしたぶしに待ち給へ。
地「花の主と思へとは。御身いかなる人やらん。
シテ「今は何をか包むべき。われはこの世になき景の。
地「跡訪はれんといふ草の。
シテ「その景季が幽霊なり。
地「御身他生の縁ありて。一樹の蔭の花の緑に。鴬宿梅の木のもとに。宿らせ給へわれはまた世を鴬の塒はこの花よとて失せにけりこの花よとてぞ失せにける。

中入間 アイが出てきて、一の谷の合戦に際しての、梶原源太景季の戦いぶりを語り、その際に箙の梅が旗印になったことなどを語る。

やがて、ワキの待歌にさそわれるように、武将姿になった源太景季があらわれる。

ワキ上歌三人待謡切迄囃子「うば玉の。夜の衣を返しつゝ。夜の衣を返しつゝ。更け行くまゝに生田川水音も澄む夜もすがら。花の木蔭に臥しにけり。花の木蔭に臥しにけり。
後シテ一声「魂は陽に帰り。魄は陰に残る。執心却来の修羅の妄執。去つて生田の名にしおへり。
地「地は〓鹿{たくろく}の河となり。
シテ「紅波楯を流しつゝ。
地「白刄骨を砕く苦。月をも日をも。手に取る影かや。長夜のやみ/\と眼もくらみ。心も乱るゝ。修羅道の苦御覧ぜよ。
ワキ「不思議やなそのさまいまだ若武者の。胡〓{やなぐひ:竹冠に録}に梅花の枝をさし。さも華やかに見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ「今は何をか包むべき。これは源太景季。他生の縁の一樹の蔭に。夢中の対面向顔をなす。御身貴き人なれば。法味を得んと魄霊の。魂にうつりて来りたり。跡とひ給へといはんとすれば。

キリの部分は源太の勇壮なカケリで、この曲最大の見所だ。

カケリ「又嗔恚の敵の責。あれ御覧ぜよ御聖。
ワキ「げにげに見れば恐ろしや。剣は雨と降りかゝつて。
シテ「天地をかへす如くにて。
ワキ「山も震動。
シテ「海も鳴り。
ワキ「雷火も乱れ。
シテ「悪風の。
地「紅焔の旗を靡かし紅焔の旗を靡かして。閻浮に帰る生田河の。浪をたて水をかへし。山里海川も。皆修羅道の巷となりぬ。是はいかにあさましや。
シテ「暫く心を静めて見れば。
地「心を静めて見れば。所は生田なりけり。時も昔の春の。梅の花さかりなり。一枝手折りて箙にさせば。もとより窈窕たる若武者に。相逢ふ若木の花かづら。かくれば箙の花も源太も我さきかけんさきかけんとの。心の花も梅も。散りかゝつて面白や。敵のつはものこれを見て。あつぱれ敵よ遁がすなとて。八騎が中にとりこめらるれば。
シテ「兜も打ち落されて。
地「大童の姿となつて。
シテ「郎等三騎に後をあはせ。
地「向ふ者をば。
シテ「拝みち。
地「又めふり合へば。
シテ「車斬。
地「蜘蛛手かく縄十文字。鶴翼飛行の秘術を尽すと見えつるうちに。夢覚めて。しら/\と夜も明くれば。是までなりや旅人よ。いとま申して花は根に。鳥は古巣に帰る夢の鳥は古巣に帰るなり。よく/\弔ひて給び給へ。


    

  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME能と狂言




作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2012
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである