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紅葉狩:観世小次郎信光の風流能





「紅葉狩」は、「船弁慶」などと並んで、観世小次郎信光の風流能の傑作である。信光は世阿弥の甥音阿弥の子であるが、世阿弥が幽玄を旨とする複式夢幻能を作ったのに対して、ショー的な要素を旨とする風流能を作った。世阿弥の幽玄を物足らなく思った当時の観客の需要に応えたのだと評価されている。

「紅葉狩」は鬼退治の話を能に仕立てた切能である。前段では美しい上臈が登場して、戸隠山の山陰で紅葉狩りを楽しみながら宴会をしていると、平惟茂がそこを通りがかる。惟茂は上臈たちの前を憚って退散しようとするが、上臈に誘われるまま宴会に加わり、酔って寝てしまう。するとその夢枕に八幡八幡宮の末社の神が現れ、鬼退治をするようにと惟茂に告げる。惟茂が眠りから覚めると鬼が現れ惟茂に襲い掛かる。だが惟茂は末社の神からさずかった神剣の威力によって鬼を退治する、というような他愛ない内容の話である。

ここでは、先日NHKが放送した観世流の舞台を紹介しよう。シテは観世喜正、ワキは殿田謙吉。鬼揃いという小書きによる演出である。「鬼揃い」と言うのは、前段で出て来た女たちがそのまま後段の鬼となるというもので、惟茂が大勢の鬼を相手に大立ち回りをするという趣向である。

舞台には山の作り物が据えられ、そこに上臈の一行が登場する。シテ以下四人である。(以下テクストは「半魚文庫」を活用)

シテツレ次第「時雨を急ぐ紅葉狩。時雨を急ぐ紅葉狩。深き山路を尋ねん。
シテ「これは此あたりに住む女にて候。
シテツレ四人「げにやながらへて浮世に住むとも今は早。誰しら雲の八重葎。茂れる宿の淋しきに。人こそ見えね秋の来て。庭の白菊。移ふ色も。うき身の類と哀なり。
シテ「あまり淋しき夕まぐれ。しぐるゝ空を眺めつゝ。四方の梢もなつかしさに。
シテツレ四人下歌「伴ひ出づる道のべの草葉の色も日に添ひて。
上歌「下紅葉。夜の間の露や染めつらん。夜の間の露や染めつらん。あしたの原は昨日より。色深き紅を分け行くかたの山深み。げにや谷河に。風のかけたる柵は。流れもやらぬもみぢ葉を。渡らば錦。中絶えんと。まづ木の本に立ちよりて。四方の梢をながめて暫く休み給へ。


上臈たちが宴会をしているところへ、平惟茂の一行がやってくる。山陰に上臈たちの姿を認めた惟茂は、その正体を確かめるように、従者に命じる。

ワキサシ一声「面白やころは長月廿日あまり四方の梢もいろ/\に。錦を色どる夕時雨。濡れてや鹿の独り鳴く。声をしるべの狩場の末。げに面白き景色かな。
ワキツレ一セイ「明けぬとて。野辺より山に入る鹿の。跡吹き送る風の音に。駒の足並。勇むなり。
ワキ、ワキツレ上歌「大丈夫が。やたけ心の梓弓。やたけ心の梓弓。いる野の薄露分けて。行くへも遠き山陰の。鹿垣の道のさかしきに。落ちくる鹿の声すなり。風のゆくへも。心せよ風のゆくへも心せよ。
ワキ詞「如何に誰かある。
ワキツレ詞「御前に候。
ワキ「あの山陰にあたつて人影の見え候ふは。如何なる者ぞ名を尋ねて来り候へ。

惟茂の従者が上臈たちの従者(狂言方)に上臈の身分を訪ねると、上臈の方では身分を明かさない。そこで不審に感じた惟茂は、その場を通り過ぎようとする。

ワキツレ「畏つて候。名を尋ねて候へば。やごとなき上臈の。幕うちまはし屏風を立て。酒宴なかばと見えて候ふ程に。懇に尋ねて候へば。名をば申さず。只さる御方とばかり申し候。
ワキ「あら不思議や。此あたりにてさやうの人は思ひもよらず候。よし誰にてもあれ上臈の。道のほとりの紅葉狩。ことさら酒宴の半ならば。かたがた乗打叶ふまじと。
地歌「馬よりおりて沓をぬぎ。馬よりおりて沓をぬぎ。道をへだてゝ山陰の。岩のかけ路を過ぎ給ふ。心づかひぞ。たぐひなき心づかひぞたぐひなき。

上臈は通り過ぎようとする惟茂を呼び止めて、是非宴会に加わるようにと誘惑する。そのやり取りもひとつの見どころだ。

シテ「げにや数ならぬ身ほどの山の奥に来て。人は知らじとうちとけて。独り眺むるもみぢ葉の。色見えけるか如何にせん。
ワキ「我は誰とも白真弓。たゞやごとなき御事に。恐れて忍ぶばかりなり。
シテ「忍ぶもぢずり誰ぞとも。知らせ給はぬ道のべの。便に立ち寄り給へかし。
ワキ詞「思ひよらずの御事や。何しに我をばとめ給ふべきと。さらぬやうにて過ぎ行けば。
シテ「あら情なの御事や。一村雨の雨宿。
ワキ「一樹の蔭に。
シテ「立ち寄りて。
地「一河の流を汲む酒を。いかでか見捨て給ふべきと。恥かしながらも袂にすがり留むれば。さすが岩木にあらざれば。心弱くも立帰る。所は山路の菊の酒
何かは苦しかるべき。

以下クリ、サシ、クセと続き、惟茂の誘惑に成功した上臈の、鬼としての本心が少しづつ明らかにされていく。

地クリ「げにや虎渓を出でし古も。志をば捨てがたき。人の情の盃の。深き契のためしとかや。
シテサシ「林間に酒を煖めて紅葉を焼くとかや。
地「げに面白や所から。巌の上の苔筵。片敷く袖も紅葉衣のくれなゐ深き顔ばせの。
ワキ「此世の人とも。思はれず。
地「胸うち騒ぐばかりなり。
クセ「さなきだに人心。乱るゝふしは竹の葉の。露ばかりだに受けじとは。思ひしかども盃に。向へばかはる心かな。されば仏も戒の。道はさまざま多けれど。殊に飲酒を破りなば。邪淫妄語ももろともに。乱心の花かづら。斯かる姿はまた世にも。たぐひあらしの山桜。よその見る目も如何ならん。
シテ「よしや思へばこれとても。
地「前世のちぎり浅からぬ。深き情の色見えて。かゝるをりしも道のべの。草葉の露のかごとをもかけてぞ頼む行末を。契るもはかな打ちつけに。人の心もしら雲の立ちわづらへるけしきかな。かくて時刻も移りゆく。雲に嵐の声すなり。散るか正木の葛城の。神の契の夜かけて。月の盃さす袖も。雪をめぐらす袂かな。堪へず紅葉。

ここで上臈たちによる中ノ舞がある。

シテワカ「堪へず紅葉青苔の地。
地「堪へず紅葉青苔の地。又これ涼風暮れゆく空に。雨うちそゝぐ夜嵐の。もの凄ましき。山陰に。月待つほどのうたゝ寐に。かたしく袖も露深し。夢ばし覚まし。給ふなよ夢ばし覚まし給ふなよ。

中入では、上臈は山の作り物の影に姿をかくし、従者の女房たちは舞台から消える。そこへ八幡八幡宮の末社の神(間狂言)が現れ、上臈の本性が鬼であることを告げ、寝ている惟茂の前に神剣を置き、これで鬼どもを退治するようにと命じる。

惟茂が眼を覚ますと、山の影から鬼と化した上臈が、また橋掛かりから鬼の従者たちが、併せて四人現れて惟茂に襲い掛かる。

ワキ「あらあさましや我ながら。無明の酒の酔心。まどろむ隙もなき内に。あらたなりける夢の告と。
地「驚く枕に雷火乱れ。天地も響き風遠近の。たづきも知らぬ山中に。おぼつかなしや。恐ろしや。
歌「不思議や今までありつる女。不思議や今までありつる女。とりどり化生の姿をあらはし。あるひは巌に火焔を放ち。または虚空に焔を降らし。咸陽宮の。烟の中に。七尺の屏風の上になほ。あまりて其たけ一丈の鬼神の。角はかぼく眼は日月。面を向くべきやうぞなき。
ワキ「維茂すこしも騒がずして。
地「維茂すこしも騒ぎ給はず。南無や八幡大菩薩と。心に念じ。剣を抜いて待ちかけ給へば。微塵になさんと。飛んでかゝるを。飛び違ひむずと組み鬼神の真中さしとほす所を。頭をつかんで上らんとするを。切り払ひ給へば。剣に恐れて巌へ上るを。引きおろし刺し通し。忽ち鬼神を従へ給ふ。威勢の程こそ恐ろしけれ。

この能の見どころは、劇的に展開していくストーリーと、惟茂と鬼の格闘というところにある。その点で、非常にショー的な要素の強い作品だということができよう。



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