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能「葵上」を見る





「葵上」は、源氏物語をもとにした近江猿楽系の古作の能を、世阿弥が改作したものである。現行の形になるまでに、いくつかの変遷があるとされている。たとえば、前シテの登場に、破れ車の作り物を出したり、もう一人別のシテツレを、青女房として出し、一定の役を持たせたりといったものだが、現行の演出では、どの流派でも省かれている。

「葵上」のテーマは女の嫉妬である。その嫉妬が怨念と化し、恋敵を呪うところから、シテは後半で般若面をかぶる。般若面の能としては、この曲がもっとも迫力がある。

曲名は「葵上」だが、主人公は葵上を恋敵として恨む六条御息所である。それに対して葵の上は、病臥していることになっていて、舞台の上では、床に置かれた小袖によって象徴的に表現され、役者は出てこない。出て来るのは、六条御息所のほか、ワキの役行者、ワキツレとして廷臣、そしてシテツレの資格で照日の巫女である。

ここでは、先日NHKが放送した宝生流の能によって、紹介したい。シテは武田孝史、ワキは森常好である。舞台にはまず、シテツレの照日の巫女が現れ、ワキ座の手前に就く。そこへ、ワキツレの廷臣が現れ、葵上の病変について語る。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

ワキツレ詞「是は朱雀院につかへ奉る臣下なり。さても左大臣の御息女葵上の御物の気。以ての外に御座候ふ程に。貴僧高僧を請じ申され。大法秘法医療さまざまの御事にて候へども。更にその験なし。ここに照日の神子とて隠れなき梓の上手の候ふを召して。生霊死霊の間を。梓に掛けさせ申せとの御事にて候ふ程に。此由申し付けばやと存じ候。やがて梓に御かけ候へ。
ツレアヅサ「天清浄地清浄。内外清浄六根清浄。より人は。今ぞ寄りくる長浜の。芦毛の駒に手綱ゆりかけ。

巫女が弾く梓弓の音にいざなわれるようにして、六条御息所の生霊が現われる。面は泥眼で、嫉妬の憤怒を表現しているが、まだ般若ほどには爆発していない、内向した嫉妬の感情を表している。

シテ一セイ「三つの車にのりの道。火宅の門をや。出でぬらん。
二ノ句「夕顔の宿の破車。やる方なきこそ悲しけれ。
次第「浮世は牛の小車の。浮世は牛の小車の。廻るや報なるらん。
サシ「凡そ輪廻は車の輪の如く。六趣四生を出でやらず。人間の不定芭蕉泡沫の世の習。昨日の花は今日の夢と。驚かぬこそ愚なれ。身の憂きに人の恨のなほ添ひて。忘れもやらぬ我が思。せめてや暫し慰むと。梓の弓に怨霊の。これまで現れ出でたるなり。
下歌「あら恥かしや今とても忍車の我が姿。
上歌「月をば眺め明かすとも。月をば眺め明かすとも。月には見えじかげろふの。梓の弓のうら弭に立ち寄り憂きを語らん立ち寄り憂きを語らん。
シテ「梓の弓の音は何くぞ。梓の弓の音は何くぞ。
ツレ「東屋の母屋の妻戸に居たれども。
シテ「姿なければ訪ふ人もなし。
シテ「不思議やな誰とも見えぬ上臈の。破車に召されたるに。青女房と思しき人の。牛もなき車の轅に取りつき。さめざめと泣き給ふ痛はしさよ。
詞「若しかやうの人にてもや候ふらん。
ワキツレ「大方は推量申して候。唯つゝまず名を御名乗り候へ。
シテ「それ娑婆電光の境には。恨むべき人もなく。悲しむべき身もあらざるにいつさて浮かれ初めつらん。唯今梓の弓の音に。引かれて現れ出でたるをば。如何なる者とか思し召す。是は六条の御息所の怨霊なり。われ世に在りしいにしへは。
雲上の花の宴。春の朝の御遊に馴れ。仙洞の紅葉の秋の夜は。月に戯れ色香に染みはなやかなりし身なれども。衰へぬれば。朝顔の。日影待つ間の有様なり。唯いつとなき我が心。もの憂き野辺の早蕨の。萌え出でそめし思の露。斯かる恨を晴らさんとて。これまで現れ出でたるなり。
地下歌「思ひ知らずや世の中の情は人のためならず。
上歌「我人のためつらければ。我人のためつらければ必ず身にも報ふなり。何を歎くぞ葛の葉の恨はさらに尽きすまじ。恨はさらに尽きすまじ。

葵上に向って憤怒の感情をぶつける六条御息所は、次第に感情が高まって行って、病臥している葵上の枕の上から襲い掛かり、葵上を呪い殺そうとする。その六条御息所に対して、照日の巫女が制止しようと、二人の間でやりとりが展開する。

シテ「あら恨めしや。
詞「今は打たでは叶ひ候ふまじ。
ツレ「あら浅ましや六条の。御息所程の御身にて。うはなり打ちの御振舞。いかでさる事の候ふべき。唯思し召し止り給へ。
シテ詞「いや如何に云ふとも。今は打たでは叶ふまじと。枕に立ち寄りちやうと打てば。
ツレ「この上はとて立ち寄りて。妾は跡にて苦を見する。
シテ「今の恨は有りし報。
ツレ「嗔恚のほむらは。
シテ「身を焦がす。
ツレ「おもひ知らずや。
シテ「思ひ知れ。
地「恨めしの心や。あら恨めしの心や。人の恨の深くして。憂き音に泣かせ給ふとも。生きて此世にましまさば。水闇き。沢辺の蛍の影よりも。光る君とぞ契らん。
シテ「妾は蓬生の。
地「本あらざりし身となりて。葉末の露と消えもせば。それさへ殊に恨めしや。夢にだにかへらぬものを我が契。昔語になりぬれば。なほも思は増鏡。その面影も恥かしや。枕に立てる破車うち乗せ隠れ行かうようち乗せ隠れ行かうよ。

ここで、六条御息所は舞台の奥にひき、そこで般若に変身するための物着とあいなる。一方、廷臣は、事態の尋常ならざることに気おされ、六条御息所の怨念を鎮めるために、役行者に加持祈祷をさせようと、使いを立てる。狂言方演じる使いは、役行者のもとに馳せつけ、怨霊を鎮めるための加持祈祷を求める。それに対して役行者は、もったいぶりながらも、大臣の要請では行かねばならぬだろうと言いつつ、葵上の臥所へとやって来る。

ワキツレ詞「いかに誰かある。葵上の御物の気。いよいよ以ての外に御座候ふ程に。横川の小聖を請じて来り候へ。
狂言シカジカ
ワキ「九識の窓の前。十乗の床のほとりに。瑜伽の法水をたゝへ。
詞「三密の月を澄ます所に。案内申さんとは如何なる者ぞ。
狂言シカジカ
ワキ「此間は別行の子細あつて。何方へも罷り出でず候へども。大臣よりの御使と候ふ程に。やがて参らうずるにて候。

葵上の臥所にやってきた役行者は、さっそく加持祈祷にとりかかる。

ワキツレ「唯今の御出御大儀にて候。
ワキ「承り候。扨病人は何くに御座候ふぞ。
ワキツレ「あれなる大床に御座候。
ワキ「さらば頓て加持し申さうずるにて候。
ワキツレ「尤もにて候。
ワキ「行者は加持に参らんと。役の行者の跡を継ぎ。胎金両部の峯を分け。七宝の露を払ひし篠懸に。
詞「不浄を隔つる忍辱の袈裟。赤木の珠数のいらたかを。さらりさらりと押しもんで。一祈こそ祈つたれ。曩謨三曼荼縛曰羅赦。

役行者が加持祈祷をしつつ、祈りの言葉をあげていると、般若面を被った六条御息所が舞台の前面に出て来て、役行者と対決する。両者は激しくやりあうが、やがて役行者の加持祈祷が効果を表し、六条御息所の生霊は、なぐさめられて消えてゆく。

シテ「如何に行者。早帰り給へ。帰らで不覚し給ふなよ。
ワキ「たとひ如何なる・悪霊なりとも。行者の法力尽くべきかと。重ねて珠数を押しもんで。
地「東方に降三世明王。
シテ「南方軍荼利夜叉。
地「西方大威徳明王。
シテ「北方金剛。
地「夜叉明王。
シテ「中央大聖。
地「不動明王。曩謨三曼荼縛曰羅赦。旋陀摩訶魯遮那。娑婆多耶吽多羅咤干マン。聴我説者。得大智慧。知我身者。即身成仏。
シテ「あら/\恐ろしの般若声や。これまでぞ怨霊。この後又も来るまじ。
キリ地「読誦の声を聞く時は。読誦の声を聞く時は。悪鬼心を和らげ。忍辱慈悲の姿にて。菩薩もここに来迎す。成仏得脱の。身となり行くぞ有難き身となり行くぞ有難き。

このように、一曲の最後は、六条御息所の憤怒がなだめられ、葵上も呪いから解放されるといった具合に、ハッピーエンドの形をとっている。源氏物語の原作では、葵上は夕霧を生んだあと死ぬことになっていた。



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