日本語と日本文化


高砂:世阿弥の脇能


「高砂」は世阿弥の書いた脇能の傑作である。全編が祝祭的な雰囲気に満ちており、祝言の能として長く人びとに愛されてきた。「四海波」や「高砂や」の一節は、今でも結婚式の席上で謡われている。能に関心のない人でも、知らない者はないであろう。とにかく目出度いものなので、正月を飾るものとして最も相応しいといえる。

徳川時代に定められた能の演技次第には、一日に五番を演ずることを原則とすとあり、脇能はその最初に、あるいは「翁」に続いて演じられた。「翁」の脇に演じられることから、「脇能」といわれるようになったといわれる。また、番組の最初に演じられるところから、一番目物ともいわれる。

脇能の主人公は神である。神が現れて当代の平和を祝福するという体裁をとっている。猿楽のもともとの姿は、大きな社寺の祭礼や村々の祭に出かけて、社寺や土地の神を寿ぐことにあった。この場合、猿楽師は、その神より一段低い脇の神を演じることで、当の神を祝福する効果をあげた。だから「脇能」とは、この脇の神に由来するのだという説もある。

世阿弥は、複式夢幻能の境地を開き、その手法を用いて、修羅ものや鬘ものを多く作った。脇能はおのずから少ないのであるが、ほかにも、「弓八幡」や「養老」を作っている。その中でも、「高砂」はもっとも成功したものであり、今でも多くの能楽ファンに愛されている。

「高砂」では、老人の姿を借りた松の精が現れる。それも相生の松といって、男女一組の夫婦の松である。世阿弥は、「古今和歌集」の序にある「高砂・住吉の松も相生のやうに覚え」から、一曲のテーマを借りたようである。だから、この曲は、天下泰平を寿ぐとともに、夫婦円満の応援歌ともなっている。こんなことが、今日でもこの曲を結婚式に欠かせぬものとさせているのである。

舞台にはまず、阿蘇の宮の神主友成とそのツレが現れる。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用)

ワキ、ワキツレ 真ノ次第「今を始の旅衣、今を始の旅衣、日もゆく末ぞ久しきワキ「そも/\これは九州肥後の国。阿蘇の宮の神主友成とはわが事なり、われいまだ都を見ず候ふほどに、此度思ひ立ち都に上り候、又よき序なれば、播州高砂の浦をも一見せばやと存じ候、
ワキ、ワキツレ「旅衣、末はるばるの都路を、末はるばるの都路を、けふ思ひ立つ浦の波、舟路のどけき春風の、幾日来ぬらん跡末も、いさ白雲のはるばると、さしも思ひし播磨潟、高砂の浦に着きにけり、高砂の浦に着きにけり、

友成一行が播磨の国高砂の浦につくと、熊手をもった翁と箒をもった姥が現れる。二人はそれぞれに、木陰の塵をはく仕草をする。

シテ、ツレ真の一セイ「高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘も響くなり、
ツレ二ノ句「波は霞の磯がくれ、
シテ、ツレ「音こそ潮の満干なれ、
シテサシ「誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の友ならで、過ぎ来し世世はしら雪の、積り/\て老の鶴の、塒に残る有明の、春の霜夜の起居にも、松風をのみ聞き馴れて、心を友と、菅筵の、思を述ぶるばかりなり、
下歌「おとづれは松にこと問ふ浦風の、おち葉衣の袖そへて木蔭の塵を掻かうよ、木蔭の塵を掻かうよ、
上歌「所は高砂の、所は高砂の、尾上の松も年ふりて、老の波もよりくるや、木の下蔭の落葉かくなるまで命ながらへて、猶いつまでか生の松、それも久しき名所かな、それも久しき名所かな、

友成は、老人夫婦に向かって、高砂の松について聞き、また高砂・住吉は国を隔てているにかかわらず、何故相生の名がついたか、そのいわれを聞く。

ワキ詞「里人を相待つところに、老人夫婦きたれり、いかにこれなる老人に尋ぬべき事の候、
シテ詞「こなたの事にて候ふか何事にて候ふぞ、
ワキ「高砂の松とは何れの木を申し候ふぞ、
シテ「唯今木蔭を清め候ふこそ高砂の松にて候へ、
ワキ「高砂住の江の松に相生の名あり、当所と住吉とは国を隔てたるに、何とて相生の松とは申し候ふぞ、
シテ「仰の如く古今の序に、高砂住の江の松も、相生のやうに覚えとありさりながら、此尉は津の国住吉の者、是なる姥こそ当所の人なれ、知る事あらば申さ給へ、

老人は古今の序について語り、自分らも高砂・住吉にそれぞれ別れてすむものだというと、友成は不審がる。それに対して老人は、非情の松でさえ相生の名があるなら、生ある人として、離れて暮らしながらも、この歳まで相生の夫婦でおられるのだと語る。

ワキ「ふしぎや見れば老人の、夫婦一所にありながら、遠き住の江高砂の、浦山国を隔てゝ住むと、いふはいかなる事やらん、
ツレ「うたての仰候ふや、山川万里を隔つれども、たがひに通ふ心づかひの、妹背の道は遠からず、
シテ「まづ案じても御覧ぜよ、
シテツレ「高砂住の江の、松は非情のものだにも、相生の名はあるぞかし、ましてや生ある人として年久しくも住吉より、通ひ馴れたる尉と姥は、松もろともに、此年まで、相生の夫婦となるものを、

友成と老人との会話が続き、老人は高砂・住吉のところのいわれをも語る。

ワキ「いはれを聞けばおもしろや、さて/\さきに聞えつる、相生の松の物語を、所に言ひ置く謂はなきか、
シテ詞「昔の人の申しゝは、これはめでたき世のためしなり、
ツレ「高砂といふは上代の、万葉集の古の義、
シテ「住吉と申すは、いま此御代に住み給ふ延喜の御事、
ツレ「松とは尽きぬ言の葉の、
シテ「栄は古今相同じと、
シテツレ二人「御代を崇むる喩なり、
ワキ「よく/\聞けばありがたや、今こそ不審はるの日の、
シテ「光和らぐ西の海の、
ワキ「かしこは住の江、
シテ「こゝは高砂、
ワキ「松も色そひ、
シテ「春も、
ワキ「のどかに、
地上歌「四海波静かにて、国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや、逢ひに相生の、松こそめでたかりけれ、げにや仰ぎても、ことも愚やかゝる世に、住める民とて豊なる、君の恵ぞ有難き、君の恵ぞ有難き、

この四海波の部分は、昔から結婚披露の席上で、仲人によって歌い続けられてきた。「宋家の三姉妹」という中国映画の中で、孫文と宋慶齢が日本で結婚式をあげるシーンでこの謡が流されていたが、あるいはそんなことがあったかもしれない。

このあとは、クリ、サシ、クセと続き、相生の松のめでたさが強調される。

ワキ詞「なほ/\高砂の松のめでたきいはれ、委しく御物語り候へ、
地クリ「それ草木心なしとは申せども花実の時をたがへず、陽春の徳を具へて、南枝花始めて開く、
シテサシ「然れども此松は、そのけしき長へにして花葉時を分かず、
地「四つの時至りても、一千年の色雪のうちに深く、または松花の色十廻とも云へり、
シテ「かゝるたよりを松が枝の、
地「言の葉草の露の玉、心を磨く種となりて、
シテ「生きとし生ける、もの毎に、
地「敷島の陰に、よるとかや、
クセ「然るに、長能が言葉にも、有情非情のその声みな歌にもるゝ事なし、草木土砂、風声水音まで万物のこもる心あり、春の林の、東風に動き秋の虫の、北露に鳴くもみな、和歌の姿ならずや、中にも此松は、万木に勝れて、十八公のよそほひ、千秋の緑を為して、古今の色を見ず、始皇の御爵に、あづかるほどの木なりとて異国にも、本朝にも万民これを賞翫す
シテ「高砂の尾上の鐘の音すなり、
地「暁かけて、霜はおけども松が枝の、葉色は同じ深緑立ちよる蔭の朝夕に、かけども落葉の尽きせぬは、真なり松の葉の散り失せずして色はなほまさきのかづら長き世の、たとへなりける常盤木の中にも名は高砂の、末代のためしにも相生の松ぞめでたき、

ここで、友成が老人の素性を尋ねると、自分たちは松の精なのだといって、老人たちは消える。しかして、住吉において待ち申さんとの言葉を残すのである。

ロンギ地「げに名を得たる松が枝の、げに名を得たる松が枝の、老木の昔あらはして、その名を名のり給へや、
シテツレ二人「今は何をかつゝむべき、これは高砂住の江の、相生の松の精、夫婦と現じ来りたり、
地「ふしぎやさては名所の、松の奇特を現して、
シテツレ二人「草木心なけれども、
地「かしこき代とて、
シテツレ二人「土も木も、
地「わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にまづ行きてあれにて、待ち申さんと、ゆふ波の汀なる海人の、小舟に打ち乗りて、追風にまかせつつ、沖の方に出でにけりや沖の方にいでにけり、

老人たちは一旦消えて中入となり、友成らの待謡が入る。

ワキ歌(三人)待謡「高砂や、此浦舟に帆をあげて、此浦舟に帆をあげて、月もろともに出で汐の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖すぎてはや住の江に着きにけり、はや住の江につきにけり、

この部分も結婚式でよく歌われるところである。

後半には、若い神の姿に変じたシテが登場する。神は住吉明神である。シテは神舞といわれる厳粛な舞を披露しながら、千秋万歳の寿福を述べるのである。

後シテ出端「われ見ても久しくなりぬ住吉の、岸の姫松幾世経ぬらん、睦まじと君は知らずや瑞籬の、久しき世々の神かぐら、夜の鼓の拍子を揃へて、すゞしめ給へ、宮つこたち、
地「西の海。檍が原の波間より、
シテ「あらはれ出でし、神松の、春なれや、残の雪の浅香潟、
地「玉藻刈るなる岸蔭の、
シテ「松根によつて腰をすれば、
地「千年の翠、手に満てり、
シテ「梅花を折つて頭にさせば、
地「二月の雪衣に落つ、

(神舞)

ロンギ地「ありがたやの影向や、ありがたやの影向や、月すみよしの神遊、御影を拝むあらたさよ、
シテ「げにさまざまの舞姫の、声も澄むなり住の江の、松影も映るなる、青海波とはこれやらん、
地「神と君との道すぐに、都の春に行くべくは、
シテ「それぞ還城楽の舞、
地「さて万歳の、
シテ「小忌衣、
地「さす腕には、悪魔を払ひ、をさむる手には、寿福を抱き、千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ、相生の松風颯々の声ぞたのしむ、颯々の声ぞたのしむ、


    


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